その抱擁は、まだ知らない愛のかたち
どれほどの時間が流れたのか、わからなかった。
沈黙を破ることなく、麻里子はただ俯いていた。
やがて、貴之が無言のまま身体を離す。
その気配に、麻里子はゆっくりと顔を上げた。
背を向け、寝室の扉へと歩き出す貴之。
ドアが開き、彼の背中が部屋の外へと消えていく—
その瞬間、麻里子の胸に冷たいものが落ちた。
(……これで、終わりだ)
静かに、しかし確かにそう思った。
ベッドから身を起こし、乱れた服を整える。
バッグを取りにリビングへ向かおうと、寝室を出た。
けれど、リビングに貴之の姿はない。
バッグを手にし、玄関へと歩き出したその時—
「……麻里子、どこに行く?」
背後から低く、しかし明確な声が響く。
書斎の扉が開き、そこに立っていたのは貴之だった。
その目は、まるで獲物を捕える前の獣のように研ぎ澄まされていた。
麻里子は振り返らずに答えた。
「……帰るわ。さようなら」
次の瞬間、強い腕が彼女の腰を捉える。
「帰さない」
低く唸るような声。
麻里子が振り向いた先、貴之が真っ直ぐに彼女を見下ろしていた。
その瞳に宿っていたのは、諦めでも、悲しみでもない。
ただ一つ、獰猛なまでの独占欲だった。
「俺は、お前を逃さない。—絶対に」
そう言いながら、貴之の腕が麻里子の腰をさらに強く引き寄せた。
身体が密着し、麻里子は息を呑む。彼の体温が、圧倒的な存在感で押し寄せてくる。
「……やめて」
弱々しくそう言っても、貴之の腕は微動だにしない。
「お前が俺のものじゃないなんて……もう、そんなこと、俺は許さない」
囁きながら、貴之の手が麻里子の後頭部を掬うようにして引き寄せ、額と額が触れ合う距離に顔を寄せる。
その瞳は熱を帯び、濡れたように輝いていた。
「俺の知らないところで泣くな。俺から逃げようとするな。……お前の全部を、俺に支配させろ」
甘さなど微塵もない、命令に近い囁き。
けれど、その奥にあるのは、ただの欲望ではなかった。
麻里子という一人の女を、完全に“自分のもの”にしたい—男の本能、獣性、そして執着の塊だった。
「お前はまだ気づいてない。俺がどれだけ……お前を愛しているか」
顎に添えられた手が、彼女の顔を正面に向けさせる。
視線を逸らすことすら、許されない。
「ここに来たのは、お前の意思だ。なら最後まで責任を取れ。……俺に、すべてを明け渡せ」
麻里子の背中を支えるように、彼のもう一方の手が滑る。
逃げられない。
いや、逃げることなど、最初から許されていなかった。