その抱擁は、まだ知らない愛のかたち
「本当だ」
貴之は静かに言い切った。
「うちの社員は、大方俺のお前への気持ちに気づいてる。……たぶん、お前だけが気づいてなかったんだろうな」
麻里子が驚いたように瞬きをする。
「もうお前を不安にさせたくない。だから—俺の過去も話すよ。聞きたくないことがあるかもしれない。それでも全部、知っておいてほしい」
貴之の声には嘘がなかった。
麻里子は、黙って頷いた。
「お前も知ってる通り、俺は離婚経験がある。相手は、大学を卒業して最初に就職した会社の同期だった」
「2年ほど付き合って、結婚した。……でも、俺はそのとき必死で働いてて、家にもほとんど帰れなかった」
短く息を吐き、続ける。
「結婚生活は一年も持たなかった。彼女に寂しい思いをさせた。……“もう無理”って言われて、離婚届に判を押したよ」
「彼女はそのあと再婚して、今は幸せに暮らしてるらしい。共通の友人から聞いた」
しばしの沈黙。
「それからだ。俺は、誰とも本気で付き合うのをやめた。罪滅ぼしみたいなものかもしれない」
「女には……困ったことはなかった。正直、体だけの関係なら何人もいた。そういう欲求はあるし、割り切ってきた」
「でもな、麻里子」
貴之の声が少し低くなる。
「それは“愛”じゃなかった。ただの行為だ。虚しい繰り返しだよ。男ってやつは、本気じゃない女は抱ける。むしろ、愛してないほうが楽なんだ」
麻里子が息を呑んだ。
「……でも、大事な女は、そう簡単に抱けない」
貴之の手が、そっと麻里子の頬に触れる。
「お前がそうだ。—俺は、あの晩お前を最後まで抱けなかった。抱きたくてたまらなかったけど、抱けなかった」
「大切にしたいと思った。壊すようなことを、したくなかった」
真っ直ぐに麻里子を見つめたまま、貴之は言った。
「麻里子。ここまで聞いて—何か、聞きたいことはあるか?」
その瞳には、過去も弱さも隠さない、真摯な男の覚悟が宿っていた。
「……話してくれて、ありがとう」
麻里子はぽつりと呟いた。
「言いにくいことまで……ちゃんと話してくれて、嬉しかった」
俯いたまま、小さく続ける。
「……私、男女間の経験がなさすぎて、自分の気持ちがよくわからないの。なんだか、中学生みたいで……」
「大人の女として、ちゃんとふるまえなくて……ごめんなさい」
その声はかすかに震え、視線は床に落ちていた。
貴之は黙って、麻里子の顎にそっと指を添える。
力ではなく、導くような優しさで、彼女の顔を自分の方へと向けさせた。
「……そうか」
目が合う。
その瞬間、貴之は穏やかな笑みを浮かべた。
「じゃあ……麻里子、キスしてくれ」
「……え?」
不意を突かれた麻里子の目が揺れる。
けれど、貴之は真剣だった。
「お前の“経験”とやらを、少しずつ増やしていこう。俺と一緒に」
「……経験が、お前にとってそんなに大事ならな」
麻里子が戸惑いながら口を開く。
「……だって、仕事では“どれくらい経験があるか”ってすごく重要なポイントじゃない? 採用にも関わってくるし、何かを教えるときも……」
貴之は、思わず微笑んだ。
「なるほど。そういう視点か」
そして、麻里子の頬に視線を落としながら静かに言った。
「確かに、経験が大切なこともある。けど……恋愛ってのは、“経験”でどうにかなるもんじゃない。俺は、そう思ってる」
「誰かを本気で好きになって、戸惑って、不器用なままで……それでも一緒にいたいと思える。そういうのが、愛なんじゃないか?」
その言葉に、麻里子の胸がじんわりと熱くなった。
「……麻里子、キスしてくれ」
促すような声に、麻里子はゆっくりと顔を近づける。
緊張に呼吸が浅くなる。唇が震えそうになる。
けれど—
待ちかねていた貴之が、ふっと穏やかに笑った。
その表情に、麻里子の緊張が少しだけほどけていく。
そして、二人の唇が、そっと、触れた。
貴之は静かに言い切った。
「うちの社員は、大方俺のお前への気持ちに気づいてる。……たぶん、お前だけが気づいてなかったんだろうな」
麻里子が驚いたように瞬きをする。
「もうお前を不安にさせたくない。だから—俺の過去も話すよ。聞きたくないことがあるかもしれない。それでも全部、知っておいてほしい」
貴之の声には嘘がなかった。
麻里子は、黙って頷いた。
「お前も知ってる通り、俺は離婚経験がある。相手は、大学を卒業して最初に就職した会社の同期だった」
「2年ほど付き合って、結婚した。……でも、俺はそのとき必死で働いてて、家にもほとんど帰れなかった」
短く息を吐き、続ける。
「結婚生活は一年も持たなかった。彼女に寂しい思いをさせた。……“もう無理”って言われて、離婚届に判を押したよ」
「彼女はそのあと再婚して、今は幸せに暮らしてるらしい。共通の友人から聞いた」
しばしの沈黙。
「それからだ。俺は、誰とも本気で付き合うのをやめた。罪滅ぼしみたいなものかもしれない」
「女には……困ったことはなかった。正直、体だけの関係なら何人もいた。そういう欲求はあるし、割り切ってきた」
「でもな、麻里子」
貴之の声が少し低くなる。
「それは“愛”じゃなかった。ただの行為だ。虚しい繰り返しだよ。男ってやつは、本気じゃない女は抱ける。むしろ、愛してないほうが楽なんだ」
麻里子が息を呑んだ。
「……でも、大事な女は、そう簡単に抱けない」
貴之の手が、そっと麻里子の頬に触れる。
「お前がそうだ。—俺は、あの晩お前を最後まで抱けなかった。抱きたくてたまらなかったけど、抱けなかった」
「大切にしたいと思った。壊すようなことを、したくなかった」
真っ直ぐに麻里子を見つめたまま、貴之は言った。
「麻里子。ここまで聞いて—何か、聞きたいことはあるか?」
その瞳には、過去も弱さも隠さない、真摯な男の覚悟が宿っていた。
「……話してくれて、ありがとう」
麻里子はぽつりと呟いた。
「言いにくいことまで……ちゃんと話してくれて、嬉しかった」
俯いたまま、小さく続ける。
「……私、男女間の経験がなさすぎて、自分の気持ちがよくわからないの。なんだか、中学生みたいで……」
「大人の女として、ちゃんとふるまえなくて……ごめんなさい」
その声はかすかに震え、視線は床に落ちていた。
貴之は黙って、麻里子の顎にそっと指を添える。
力ではなく、導くような優しさで、彼女の顔を自分の方へと向けさせた。
「……そうか」
目が合う。
その瞬間、貴之は穏やかな笑みを浮かべた。
「じゃあ……麻里子、キスしてくれ」
「……え?」
不意を突かれた麻里子の目が揺れる。
けれど、貴之は真剣だった。
「お前の“経験”とやらを、少しずつ増やしていこう。俺と一緒に」
「……経験が、お前にとってそんなに大事ならな」
麻里子が戸惑いながら口を開く。
「……だって、仕事では“どれくらい経験があるか”ってすごく重要なポイントじゃない? 採用にも関わってくるし、何かを教えるときも……」
貴之は、思わず微笑んだ。
「なるほど。そういう視点か」
そして、麻里子の頬に視線を落としながら静かに言った。
「確かに、経験が大切なこともある。けど……恋愛ってのは、“経験”でどうにかなるもんじゃない。俺は、そう思ってる」
「誰かを本気で好きになって、戸惑って、不器用なままで……それでも一緒にいたいと思える。そういうのが、愛なんじゃないか?」
その言葉に、麻里子の胸がじんわりと熱くなった。
「……麻里子、キスしてくれ」
促すような声に、麻里子はゆっくりと顔を近づける。
緊張に呼吸が浅くなる。唇が震えそうになる。
けれど—
待ちかねていた貴之が、ふっと穏やかに笑った。
その表情に、麻里子の緊張が少しだけほどけていく。
そして、二人の唇が、そっと、触れた。