その抱擁は、まだ知らない愛のかたち
銀座の通りを抜け、ふたりは喫茶店「トリコローレ」へ向かった。
ステンドグラスの照明が優しく灯る、どこか懐かしい空間。
麻里子は迷わず言った。
「アップルパイとカフェオレ、お願いします」
「甘いものが主役だな」
貴之が笑うと、麻里子もにっこり。
「今日のメインイベントよ?」
運ばれてきた温かいアップルパイに、バニラアイスがとろりと溶けていく。
「……はぁ、しあわせ」
一口食べた麻里子が目を細める。
「良かったな」
貴之も満足そうに頷く。
ふと彼が目をやる。
「ネックレス、ちゃんと見えるようにしてるんだな」
「うん……すごく嬉しいわ、どうもありがとう」
その言葉に、貴之が小さく笑う。
「そういうとこ、ずるい」
「え?」
「どんどん、好きになる」
麻里子は少しだけうつむいて、カフェオレを口にした。
トリコローレを出ると、貴之が手を挙げてタクシーを止めた。
「このビルまでお願いします」
麻里子が不思議そうに聞く。
「貴之さん、どこに行くの?」
「秘密。でも、麻里子はきっと気に入る」
「え……また私のため?」
「俺のため、って言った方が正解かもな」
タクシーは都心の混雑をすり抜け、やがて目的地のビルに到着した。
セキュリティを通過し、人気のないエレベーターに乗る。高層階で扉が開くと、品のいい装いの女性ふたりが出迎えていた。
「お待ちしておりました、鈴木様」
麻里子は驚いて貴之を見上げる。
「……もしかして、ここって……」
「知ってたか? 幻のメゾンって言われてる場所」
「うん、ランジェリー好きの間では有名……」
「じゃあ、もう“幻”じゃない。今日は楽しんで。俺のために」
ラグジュアリーな空間に通され、貴之は重厚なソファに腰を下ろす。
麻里子は奥のフィッティングルームへと案内された。
「サイズをお測りいたしますね」
スタッフの手が柔らかく動く。
「どのようなものをお探しですか?」
「……実は、今日ここに来るなんて思っていなくて」
「お召しのランジェリー、フランスのものですね。とてもお似合いです。こちらにぴったりのものをいくつかお持ちしますので、どうぞおかけになってお待ちください」
一方、貴之はソファに座りながら、真樹にメッセージを送っていた。
急に頼んで悪かった。紹介してくれて感謝する。
すぐに、「グッドラック」というワニのスタンプが返ってきた。
そこへもう一人のスタッフがカタログと飲み物を運んでくる。
「本日はようこそお越しくださいました。もし奥様に贈りたいものがございましたら、こちらからお選びくださいませ」
貴之はページをめくりながら、目を留めた。
アイボリーホワイトの繊細なレースのスリップ。
黒地に金糸をあしらったベビードール。胸元はリボン、揃いのパンティもセットだ。
どちらも、麻里子の美しい身体に映えると確信があった。
その頃、フィッティングルームでは麻里子が鏡の前で息をのんでいた。
「……すごく、ぴったり……」
「お胸のラインがとても美しいので、このデザインは本当にお似合いです。ナイトブラやケアを丁寧にされていらっしゃいますね?」
「わかりますか……?」
「もちろんです。お肌もとても整っていらっしゃいます」
麻里子は悩みながら、今まで着たことのない色のセットを選んだ。
「この色と、このデザインに決めます」
「かしこまりました」
ふと、麻里子はためらいがちに尋ねた。
「あの……こちらって、男性のお客様も多いんですか?」
スタッフは微笑んで答える。
「はい。おひとりでいらして、奥様や恋人へのギフトを選ばれる男性の方も多いです。とても素敵なことだと思います」
麻里子は、静かに感心したように頷いた。
やがて、彼女が貴之のもとへ戻ってくる。
「……気に入ったのが、ありました」
「よかった」
貴之は麻里子の手を取り、目を見て言った。
「今夜、着けてくれ。見たい」
麻里子は目を伏せ、小さく頷いた。
「……はい」
タクシーに乗り込むと、車内は静かだった。
けれど、お互いの手のぬくもりが、言葉以上に気持ちを伝えていた。
行き先は、貴之のマンションだった。