その抱擁は、まだ知らない愛のかたち
「ちょっと、おつまみ追加しようかしら」
美和子が立ち上がると、麻里子もすぐにそれに続いた。

「お手伝いします」

「ありがとう。じゃあ、キッチン、こっち」

リビングの喧騒を背に、ふたりは並んでキッチンに立つ。
小皿にナッツを盛りながら、美和子がふと、横目で麻里子を見た。

「…幸せそうね」

「え?」

「さっき、真樹さんの話に笑ってたとき。麻里ちゃん、いい顔してた」

麻里子は少しだけ頬を赤らめて、照れたように笑う。

「美和子さんこそ。…25年ぶりの恋、って言っていいのかわからないですけど、素敵です」

「もうね、恋とか愛とか、若い頃みたいにキラキラした言葉じゃ語れないの。でも、不思議ね。いまのほうが、ずっと深くて、穏やか」

美和子の手が、一瞬止まる。
そして、小皿をそっと麻里子のほうに差し出しながら、目を細めた。

「でもね、女って、いくつになっても…愛されると変わるのよ。あの人がそれを、また思い出させてくれた」

「……はい」
麻里子も静かに頷く。

小さなキッチンのなかで、ふたりの間に言葉よりも濃やかな“理解”が流れた。

リビングからは、真樹の豪快な笑い声と、貴之の落ち着いた相づちが聞こえてくる。

「そろそろ戻りましょうか。ふたりとも、飲みすぎてないといいけど」

「ふふっ、大丈夫ですよ。ちゃんと見張ってますから」

笑い合いながら、ふたりは皿を手にリビングへ戻っていった。

真樹と貴之が書斎に移動したので、彼らの低い笑い声が遠ざかる。
リビングに残った麻里子と美和子は、食器を片付けながらゆるやかにキッチンへと移動した。

「ねえ、麻里ちゃん」

ワイングラスを軽くすすりながら、美和子がふと声を落とす。

「今度、買い物に付き合ってくれない?」

「もちろん。何を探しに行きます?」

「……ランジェリー」

麻里子の手がふと止まり、美和子の顔を見る。

「実はね、最近ようやく“ちゃんと選ぶ楽しさ”を知ったの。どうせ着るなら、自分が心地よくて、ときめくものがいいなって」

麻里子はその言葉に、微笑みを浮かべながらそっと返す。

「……私、実はランジェリー、かなり好きなんです」

「えっ、本当に? そうは見えなかった!」

「昔から好きで。高校の頃に初めて雑誌で〈La Perlala〉の広告を見たとき、衝撃だったんです。“こんな世界があるの?”って。そこから、誕生日ごとに少しずつ集めて……」

「La Perla! 私、最近〈Carine Gilsono〉のシルクスリップにハマってて……すごく肌が喜ぶの。もう既製品に戻れない」

「わかります!〈Flower of England〉のチュールレース、たまらないですよね。透け感も繊細で、媚びてないのに色っぽいっていうか」

「うんうん、わかるわかる!」

女ふたり、グラスを手にソフトな照明のもとで、しっとり熱く盛り上がる。

「……まさか麻里ちゃんと、こんな話できるとは思わなかった。うれしい」

「私もです。ランジェリーって、服よりも自分自身に近いものだから……誰かと共有するの、ちょっと勇気いりますよね」

「そうなのよ。大人になってやっと、“選ぶこと自体が自分への愛”って思えるようになってきたの」

「じゃあ次の休み、一緒に代官山まわります? あの通りにいいショップがいくつかあって。試着できるところもあるし」

「ぜひ。楽しみだわ。あ、でも麻里ちゃん、行ったら私より詳しくて引くかもよ?」

「そのときは遠慮なく語らせてもらいますね♡」

ふたりの笑い声が、夜の静けさにやわらかく響いた。
男たちの低音の語りと、女たちの繊細な色香が、別々の部屋で静かに交差する—そんな、上質な夜だった。
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