その抱擁は、まだ知らない愛のかたち
「貴之さん……その曲、好きなんですか?」

麻里子が車内に流れる音楽に目を向けて尋ねた。
流れていたのは、少し懐かしいJ-POPのバラード。

「ああ。たまたまラジオで聴いて、気に入って。歌詞がいいんだよ」

「へえ……意外です。もっと洋楽とか、ジャズとか聴きそうなイメージだった」

「そうか? 俺、意外とミーハーなんだよ」

麻里子はくすっと笑う。

「……それもまた、意外です」

「……今、なんて言った?」

「えっ?」

「“です”って言っただろ。しかも一度だけじゃない、何度も言っているぞ」

「……あっ……! ご、ごめんなさいっ……っじゃなくて……ごめん……」

「あーあ」

「な、なに?」

「敬語使った。しかもフル装備だった。俺、ちゃんと“敬語禁止”って言ったよな?」

「う……」

「じゃあ、罰な」

「ば、罰……?」

「手、出せ」

「え?」

「早く」

戸惑いながらも、おそるおそる両手を差し出す麻里子。
すると貴之は運転しながら、空いている左手で彼女の手をそっと包み込み、そしてそのまま、指先に軽く唇を押し当てた。

「なっ……⁉」

「これで、今回の罰は終了。次、また敬語使ったら、もっと甘いのを考えとく」

「そ、そんなのズルい……!」

麻里子は真っ赤になって、窓の外に顔を背けた。

(こんなの、反則……!)

でも、その手のぬくもりを振り払うことはできなかった。

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