その抱擁は、まだ知らない愛のかたち
お目当ての麹ランチセットにデザートまで堪能し、麻里子も貴之もすっかり満足していた。帰り際、店内でいくつかパンを選び、それぞれの好みで袋に詰めたが、支払いはすべて貴之が済ませていた。
「ちゃんと払いますから」と麻里子が車の中で財布を取り出したときも、
「カッコつけさせてくれよ」と、貴之は軽く笑って手で制した。
春の午後、まだ陽射しはやわらかい。
「時間、まだあるな。海岸でも寄ってくか?」
「風も気持ちいいし……うん、行きたいです」と麻里子が嬉しそうに返す。
海辺に着くと、二人は靴を脱いで砂浜へ出た。波が足元をやさしく撫でていくたび、くすぐったくて、心がふっと軽くなる。いつの間にか、会話も忘れて、ただ寄り添うように並んで歩いていた。
やがて麻里子は、もっと海水に触れたくなって、ふらりと波打ち際へ一歩足を進める。ワンピースの裾をそっと摘まみ、濡らさないように気をつけながら、けれど、その背中に、貴之の視線が注がれていることには気づかない。
彼は少し後ろから、携帯のカメラを構えていた。
(綺麗だな。可愛いな……)
麻里子は波に夢中だった。
「わあ、冷たくて気持ちいい……!」
と子どものように笑うその姿に、貴之の胸の奥が静かに熱を帯びる。
そのとき、風がふっと強くなり、大きな波がひとつ、沖から押し寄せてきた。
「麻里子!」と咄嗟に名前を呼ぶ。
振り向いた麻里子が、足元の砂にバランスを崩し、そのまま砂浜にぺたりと座り込んでしまった。直後に、ざぶーんと波がやってきて、彼女の下半身をすっぽりと濡らしてしまう。
「……わあ!」
麻里子は呆然としてから、思わず笑いだした。
貴之も肩を震わせながら近づいてきた。
「大丈夫か?」
「……たぶん……恥ずかしいけど……気持ちよかったです」
風はまだ少し強く吹いている。濡れたスカートが脚に張りついて、麻里子はそっと貴之の顔を見上げた。彼の目には、笑いと、それ以上のものが宿っていた。
「ちょっと待ってろ。タオル、取ってくる」
そう言い残すと、貴之は砂を蹴るようにして車へと駆け出した。
麻里子は波に濡れたスカートの裾をぎゅっと絞りながら、ゆっくりと立ち上がる。波打ち際に転がっていたサンダルを拾い、濡れた足元を見下ろしたそのときだった。
「麻里子!」
ビーチタオルを片手に、貴之がものすごい勢いで戻ってきた。そして何のためらいもなく、麻里子の下半身をタオルでさっとくるみ、続けざまに膝裏に腕を差し入れて、ひょいと抱き上げた。
「えっ、ちょっ……!」
驚いた麻里子は、思わず貴之の首にしがみついていた。体温と心音が急に近づき、胸がどきどきと波打つ。
「わ、私、自分で歩けますから。下ろしてください……」
「ダメだ」
有無を言わせぬ声。その瞳に抗えなくて、麻里子はそれ以上何も言えなくなった。
助手席のドアが開かれ、そっと座らせられる。ひと息ついた瞬間だった。
貴之が身をかがめ、麻里子の顔にぐっと近づいてくる。逃げ場のない空間。顎に指が添えられ、次の瞬間、唇が重なった。
軽く、けれど、確かに。
麻里子の目が大きく見開かれる。
「……言っただろ。敬語はやめろって」
低く囁くような声が、耳の奥に残る。
貴之はそれだけ言って、何事もなかったように運転席へ戻り、エンジンをかけた。
助手席に座る麻里子の胸は、まだおさまりそうになかった。
「ちゃんと払いますから」と麻里子が車の中で財布を取り出したときも、
「カッコつけさせてくれよ」と、貴之は軽く笑って手で制した。
春の午後、まだ陽射しはやわらかい。
「時間、まだあるな。海岸でも寄ってくか?」
「風も気持ちいいし……うん、行きたいです」と麻里子が嬉しそうに返す。
海辺に着くと、二人は靴を脱いで砂浜へ出た。波が足元をやさしく撫でていくたび、くすぐったくて、心がふっと軽くなる。いつの間にか、会話も忘れて、ただ寄り添うように並んで歩いていた。
やがて麻里子は、もっと海水に触れたくなって、ふらりと波打ち際へ一歩足を進める。ワンピースの裾をそっと摘まみ、濡らさないように気をつけながら、けれど、その背中に、貴之の視線が注がれていることには気づかない。
彼は少し後ろから、携帯のカメラを構えていた。
(綺麗だな。可愛いな……)
麻里子は波に夢中だった。
「わあ、冷たくて気持ちいい……!」
と子どものように笑うその姿に、貴之の胸の奥が静かに熱を帯びる。
そのとき、風がふっと強くなり、大きな波がひとつ、沖から押し寄せてきた。
「麻里子!」と咄嗟に名前を呼ぶ。
振り向いた麻里子が、足元の砂にバランスを崩し、そのまま砂浜にぺたりと座り込んでしまった。直後に、ざぶーんと波がやってきて、彼女の下半身をすっぽりと濡らしてしまう。
「……わあ!」
麻里子は呆然としてから、思わず笑いだした。
貴之も肩を震わせながら近づいてきた。
「大丈夫か?」
「……たぶん……恥ずかしいけど……気持ちよかったです」
風はまだ少し強く吹いている。濡れたスカートが脚に張りついて、麻里子はそっと貴之の顔を見上げた。彼の目には、笑いと、それ以上のものが宿っていた。
「ちょっと待ってろ。タオル、取ってくる」
そう言い残すと、貴之は砂を蹴るようにして車へと駆け出した。
麻里子は波に濡れたスカートの裾をぎゅっと絞りながら、ゆっくりと立ち上がる。波打ち際に転がっていたサンダルを拾い、濡れた足元を見下ろしたそのときだった。
「麻里子!」
ビーチタオルを片手に、貴之がものすごい勢いで戻ってきた。そして何のためらいもなく、麻里子の下半身をタオルでさっとくるみ、続けざまに膝裏に腕を差し入れて、ひょいと抱き上げた。
「えっ、ちょっ……!」
驚いた麻里子は、思わず貴之の首にしがみついていた。体温と心音が急に近づき、胸がどきどきと波打つ。
「わ、私、自分で歩けますから。下ろしてください……」
「ダメだ」
有無を言わせぬ声。その瞳に抗えなくて、麻里子はそれ以上何も言えなくなった。
助手席のドアが開かれ、そっと座らせられる。ひと息ついた瞬間だった。
貴之が身をかがめ、麻里子の顔にぐっと近づいてくる。逃げ場のない空間。顎に指が添えられ、次の瞬間、唇が重なった。
軽く、けれど、確かに。
麻里子の目が大きく見開かれる。
「……言っただろ。敬語はやめろって」
低く囁くような声が、耳の奥に残る。
貴之はそれだけ言って、何事もなかったように運転席へ戻り、エンジンをかけた。
助手席に座る麻里子の胸は、まだおさまりそうになかった。