その抱擁は、まだ知らない愛のかたち
貴之がスーパーへと出かけたあと、麻里子は静かに寝室のドアを開けた。
部屋の中には、まだ午前中のぬくもりが残っている。
熱を帯びたままの空気と、肌にすっと触れるような静けさ。
視線を床に落とすと、破かれたナイトドレスとパンティが散らばっていた。


けれど、それを見ても不快な気持ちはまったくなかった。
むしろ、心の奥に広がっていたのは、静かで、やわらかな余韻だった。

彼の熱く激しい想い。ためらいのない独占と、抑えきれない欲望。
けれど麻里子が心から満たされていたのは、「彼に選ばれたから」だけではなかった。

それは、麻里子自身が「私は愛されてもいい存在だ」と、自分に許せたから。
「私は、私を大切にしてくれる人と結ばれるにふさわしい」と、自分の心で決めたからだった。

もう、自分を否定しない。
私は、私のままで愛されていい…そう信じられたことが、何よりの喜びだった。


本当に大きかったのは、自分自身を認めるという、人生で一番大切な選択だった。


シーツにそっと指を触れたとき、頬がふわりと熱くなる。
昨夜、何度も交わされた愛の記憶が、体の奥にまだやさしく残っている気がした。

窓を開けると、夏のあたたかい風が部屋に吹き込んできた。
揺れるカーテンが、さっきまでのふたりの熱を、もう一度思い出させる。

胸の奥がじんわりとあたたかくなる。

――まさか、自分が“女であること”をこんなにも誇らしく思える日が来るなんて。

きっと、去年の私が聞いたら信じられなかった。
あの頃から私は、溺愛小説に夢中になって、“こんなふうに愛されたい”って、ページをめくるたびに胸を焦がしていた。
でもどこかで、それは物語の中だけのことだって…もう、半ばあきらめていたのよね。」

でも、今の私は、素直にこう思う。今、この肌で、愛を感じている。

「愛されることを自分に許すだけで、人はこんなにも優しく、強くなれるんだ」と。


貴之に愛された夜…
麻里子は、自分という存在がまるごと生まれ変わったような気がしていた。

肌に宿る熱。
耳の奥に残る、低く甘やかな囁き。
触れられたところすべてが、柔らかくひらかれ、優しく目覚めていく。

それはただの快楽ではなかった。
むしろ、それ以上のものだった。

愛されるとは、こんなにも深く、静かで、美しいものなのだと
麻里子の奥深くに、初めて刻まれた真実だった。


そのとき、スマートフォンが小さく震えた。
画面には「今から帰る」の文字。貴之からのメッセージだった。

もうすぐ始まる、ふたりだけの静かな晩酌の時間。
麻里子の胸の奥には、さっきより少しだけ強くなった何かが、静かに灯っていた。
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