甘い生活を夢見る私は、甘くない彼に甘やかされる
 朝一番から展開が急すぎて、何だか、フワフワとしてしまっているけれど、仕事は仕事だ。
 私は、いつものように、パソコンとにらめっこを始める。
 今、池之島さんの仕事を引き継いでいるので、以前よりも業務は多い。
 けれど、彼女が一日で終わらせるようなものを、二日も三日もかけられない、と、少々の残業込みで頑張っているのだ。

 ――以前(まえ)なら、ボヤいて、ふてくされて、何なら期限ギリギリのところで、美善さんに怒られながらやっていたのにな。

 私は、プリントアウトした書類を睨むように、見本と照らし合わせてチェックを入れる。

 ――頑張れば、美善さんは褒めてくれる。

 そう思えるから――やる気が出る。

 仕事を辞めたくて、辞表を書いたワケでは無いんだもの。
 続けると決めたのなら、頑張るだけだ。


 ――好きな人への想いが、力になる。


 これまで、与えられてばかりで、何不自由無く生きてきた私にとって――その気持ちは新鮮で、世界が変わったように思えた。



 今日は、総務飲みの日のようで、参加者らしき人達が、我先に部屋を後にしていく。
 それを見送りながら、私は、立ち上がると、美善さんの方へ向かった。

「――どうした、津雲田」

「……えっと……」

 朝言っていた”すり合わせ”は、どこでするんでしょうか、とは、聞けるはずもなく、口ごもってしまう。
 けれど、彼は、一瞬だけ私に視線を向け、そして、手元を見やり言った。
「……順調にいけば、後、三十分だ。先に帰れ。……終わり次第、部屋に行くから」
 抑えた声は、もう、数えるほどしか人がいなくなった総務部の中で、私にしか聞こえない。
「――……わかりました」
 私はうなづいて返すと、軽く頭を下げ、会社を後にした。



 その後、ソワソワしたまま部屋に帰ると、私は、冷蔵庫の中を眺め、頭を悩ませる。

 ――美善さんが来るなら……何か作って、驚かせたいな。

 まるで、今までのコトがウソのように、機嫌良くメニューをスマホで検索していく。
 増沢のように、見ただけで料理を考えるコトはできないけれど、こうやって、レシピを調べ、工程を確認しながらなら、何とか形になるようになってきたのだ。
 もちろん、もう、包丁で手を切る回数は減った――切るコトが無いとは言えないけれど。 
 朝にセットしたご飯は、もう、炊けている。
 冷蔵庫に入っていたのは、ひき肉と卵。
 後は、少しの野菜。
 そして、増沢の作ってくれたおかずが二つ。

「……オムライス、とか、できそう?」

 わざわざ技術のいるようなものを、と、思わないでもないけれど――久し振りに部屋に来る美善さんを想うと、張り切ってしまう。
 私は、スマホを見ながら、ぎこちなくも、玉ねぎを切り、ひき肉を炒め始める。
 すると――何だか、遠くから、サイレンの音が聞こえ、首をひねった。

 ――パトカー?
 ――救急車?

 ――消防車じゃない、よね、コレ……。

 音は気になるけれど、手を止めるワケにもいかない。
 野次馬根性を引っ込めると、私は、作業を再開した。



 ――そして、待つコト……三時間。


 ――いまだ、美善さんは来ていない。


 テーブルに置いた、ラップをかけた二人分のオムライスは、もう、冷え切っている。

 ――……さすがに……遅すぎないかな……。

 時刻は、もう、十時をとっくに過ぎている。
 私は、座ったまま視線を下げると、唇を噛んだ。


 ――……やっぱり……気が変わった……?

 ――……嫌になった、の、かな……。


 私は、両手を、きつく握り締める。
 そして、浮かんできた涙とともに、脳裏をよぎったのは、以前、池之島さんに言われた言葉。


 ――”恋愛なんて、自分が動かなかったら、あっさり終わるモンよ”。


 瞬間、勢いよく立ち上がった。


 ――そんなの、嫌‼

 ……終わらせたく、ない。

 ――私、まだ、美善さんが好きだもの!


 その想いとともに、部屋の鍵とスマホだけを勢いよく手に取ると、すぐに靴を履く。


 彼が来ないのなら――私が、行く。
 待っているだけは、もう、ダメなんだから……っ……!


 そして、思い切りドアを開ければ――


「うおっ……⁉あ……っぶねぇなあ……」


 目の前で、そのドアを手で押さえながら、美善さんが驚いた表情を見せていた。
 


 
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