マカロン文庫10周年記念企画限定SS

限定SS:きたみまゆ『溺愛恋鎖~強引な副社長に甘やかされてます~』

『多忙な彼を癒したい』

 いつものように社長室の扉をノックする。
「どうぞ」という声が聞こえ中に入ると、執務席に座る都倉社長が視線を上げた。
「おはよう、南」
 柔らかな笑みとともにそう声をかけられ、今日も社長はさわやかだなと思いながら「おはようございます」と挨拶を返す。
「本日のスケジュールの確認をさせていただいてもよろしいですか?」
「あぁ」
 彼がうなずいたのを確認し、今日の予定を共有する。ひと通りの確認事項を終え顔を上げると、「そういえば」と話しかけられた。
「緒方の帰国が遅れるって連絡は来た?」
 社長の言葉に「はい」とうなずく。
「今朝、メッセージが来ました」
 私の恋人でこの会社の副社長の緒方拓真さんは、現在アメリカに出張中だ。
 国際的なイベントの演出を依頼され、その調整のために渡米している。現地で発注していた機材が届かず、予定以上に時間がかかっているらしい。
「もうすぐ結婚式で準備が忙しいのに、緒方がいないと大変だろ。大丈夫?」
 社長の言葉に、「私は大丈夫なんですけど」と曖昧にうなずく。
 ここ最近、CGやVRを使ったプロモーションは一気にメジャーになり、インターネットの広告事業はテレビや雑誌を含めたマスコミ媒体を凌ぐ規模になった。
 それに伴い『TKクリエイション』の売り上げは倍増し、事業規模もものすごい勢いで拡大している。
 一社員としてはとてもうれしいことだけど、もともと忙しかった副社長兼CTO(最高技術責任者)である拓真さんの仕事量はとんでもなく増えた。
 経営者としてビジネス戦略を練ったり、技術的な最終責任者としてチームを組織したり、外部との交渉を任されたり、自ら手を動かしプログラムを組んだり。
 膨大な仕事量を涼しい顔で引き受けこなす彼を頼もしく思う反面、無理をしているんじゃないかと心配になることもある。
 その上、私と拓真さんの結婚式は二カ月後にせまっていて、毎週末のように準備の予定が入っていた。
 これだけ多忙なんだから式のことなんてすべて私に丸投げしていいのに、彼は『ふたりの結婚なんだから、ふたりで準備するのは当然だろ』と言い、式場との打ち合わせにも衣装のフィッティングにもきちんと参加してくれる。
 今週末も拓真さんはアメリカから帰国後、空港からドレスをオーダーしているドレスショップに直行し、フィッティングに立ち会ってくれる予定だ。
 海外出張の直後なんて、疲れてるに決まっているのに。
「拓真さんはああ見えて責任感が強いので式の準備にも積極的なんですけど、本当は無理してるんじゃないかって心配なんです」
 幸せな夫婦になるための結婚式が、彼の負担になっては意味がない。
 真顔でつぶやくと、社長が頬杖をついて私を見た。
「緒方は南との結婚の準備を、責任なんかじゃなく当然の権利だと思ってるんじゃない?」
「権利ですか?」
 私が首をかしげると、社長は「あぁ」とうなずく。
「なによりも大切で誰よりも愛している女性と夫婦になる。そのための準備のひとつひとつが、愛おしくて楽しくてたまらないって言ってたよ」
 優しい声でそう言われ、ぶわっと頬が熱くなった。
 思わず言葉に詰まった私を見て、社長が整った顔を崩して笑う。
「はは。南は緒方と恋人になってから、本当に表情豊かになったね」
 そう言われ、熱くなった頬を慌てて手で隠す。
「か、からかわないでくださいっ」
「からかってないよ」
 上品に微笑む彼は、あきらかに面白がっていた。
 社長はいつも穏やかで紳士的に見えるけど、実はけっこう意地悪だ。
「だから、南は緒方が無理してるんじゃないかって心配するよりも、素直に感謝と好意を伝えて癒してあげればいいんじゃないかな」
「癒し、ですか……」
 なにをすれば拓真さんの癒しになるか見当がつかず悩んでいると、「そういうのは友永あたりに聞けばいいんじゃない?」とアドバイスをしてくれた。

 たしかに、友永さんならいいアドバイスをくれそう。
 小柄で可憐でいつも笑顔の彼女はその場にいるだけで空気を和ませ、心を潤し、疲れを癒してくれるから。
 そう思いながら、ランチの時間に友永さんに話しかけた。
 多忙な拓真さんを癒すためにはなにをすればいいかとたずねると、友永さんの目が輝いた。
「アメリカから帰って来る副社長に、特別なご褒美をあげたいんですねっ!」
「ご褒美というか、感謝を伝えて疲れを癒してあげたくて……」
「だったら積極的に誘うのが一番ですよ」
「誘う?」
「そう。控えめで奥ゆかしい南さんも素敵ですけど、たまには自分からエッチなムードに持っていって、主導権を握って、副社長をよろこばせるんです!」
 かわいらしい顔で過激な発言をされ、頭に血が上った。
「と、友永さん、なに言って……っ」
「仕事が終わったら、一緒に買い物に行きましょう! おすすめのランジェリーショップで、セクシーな下着を選んであげます」
「セクシーな下着なんて、私には似合わないですから!」
「なに言ってるんですか。クールビューティーな南さんが色気全開で誘ったら、ギャップで副社長もメロメロですよ」
「いや、でも」
「そんな消極的でいいんですか? 副社長はアメリカでナイスバディな美女たちに言い寄られてるかもしれないんですよ」
 友永さんにそう言われ、「たしかに……」と青ざめる。
 拓真さんは有能でリッチで余裕があるうえに、野性的な色気のあるイケメンだ。海外の女性たちがそんな魅力的な彼を放っておくはずがない。
「ほら、気合いを入れて対抗しないとっ!」
 やる気満々の友永さんに流され、「が、がんばります」とうなずいた。

◇◇◇

 アメリカでの出張はトラブル続きだった。
 現地のスタッフとの認識の食い違いがあったり、発注していた機材が届かず急遽ちがうもので対応することになったり。
 その都度調整してきたが、帰国の予定が遅れることになってしまった。
 土曜はオーダーしていたウエディングドレスのフィッティングがある。花緒里がドレスを試着する姿を意地でも見たい。
 そう思い、フィッティングに間に合うように予定を詰めこんでいるせいで、ここ数日多忙を極めていた。
 なんとか仕事を終え、ホテルに帰る。パソコンを開くと、秘書の友永からメールが届いていた。
 業務連絡の最後に付け足された一文を読み「どういう意味だ」とつぶやく。
 疑問に思いながら日本にいる花緒里に電話をかけた。数コールのあと電話が繋がり『もしもし』とかわいらしい声が聞こえた。
 あー、しばらく会えてないから、声を聞くだけで癒される。
「今話しても大丈夫か?」
『大丈夫ですよ』
「帰国、遅れることになって悪い」
『そんな。拓真さんのせいじゃないんですから、謝らないでください』
「ドレスのフィッティングは意地でも行くから」
『うれしいです。けど、無理はしないでくださいね』
「無理してでも行く。花緒里のドレス姿を見たいし、なにより早く会いたい」
 俺がそう言うと、花緒里が言葉を詰まらせ黙り込んだ。
『あ、ありがとうございます。……私も早く会いたいです』
 ぎこちない口調から彼女の照れが伝わってきて、たまらなく愛おしくなる。
「そういえば、友永からのメールにお前が俺にご褒美を用意してるって書いてあったんだけど、心当たりあるか?」
 メールに書かれた『帰国したら南さんがとっておきのご褒美を用意しているので、楽しみにしていてください』という一文を思い出しながら問うと、電話の向こうの花緒里が絶句した。
『ご、ご褒美って、そんな……っ』
 咳き込みながらそうつぶやく。この動揺っぷり。どうやら心当たりがあるらしい。
「ご褒美ってなに?」
『いえ、そんな大したものでは……』
「ふーん。俺には言えないことなんだ」
『い、言えないわけではないですがっ』
「じゃあ、教えられる?」
『でも……っ』
 なかなか口を割ってくれない彼女に、「花緒里」と甘い声で呼びかける。
「お願い、教えて」
 俺のおねだりに花緒里は『うぅ……っ』としばらく迷ったあと、しぶしぶ口を開いた。
『友永さんに多忙な拓真さんを癒してあげたいって相談をしたら、積極的に誘ってよろこばせるのが一番だってアドバイスをされて、仕事が終わったあとに一緒に買い物に行ったんです』
「なにを買ったんだ?」
『その……、ちょっと色っぽい下着を』
 恥じらいながらそう言われた瞬間、無意識に立ち上がっていた。
 その勢いで座っていた椅子が後ろに倒れ、ガンと大きな音が響く。
 待ってくれ。恋愛に不慣れで恥ずかしがり屋の花緒里が、俺のために色っぽい下着を。なんだそのとんでもないご褒美は。
『あの、なんだかすごい音がしましたが』
 不思議そうに問われ「悪い。なんでもない」と首を横に振る。
 椅子が倒れたことを気にしている場合じゃない。
『友永さんには、私なんかがそういう下着をつけてもご褒美にならないって言ったんですけど、絶対大丈夫って強引に……』
 心の中で、友永よくやったとつぶやく。公私混同も甚だしいが、臨時ボーナスをあげたい気分だ。
 そんなことを考えながら、俺は天井をあおぐ。
「あー、もう。一気にやる気が出た。意地でも仕事終わらせて、一秒でも早く日本に帰る」
『あの、拓真さんはやっぱり色っぽい下着とか、好きなんですか?』
 おずおずとたずねられ、苦笑しながら首を振った。
「そうじゃなくて、お前だからだろ」
『私だから?』
「花緒里がいやらしい下着を用意して待っててくれるのはとんでもないご褒美だけど、それ以上に俺のためになにかしてあげたいって思ってくれたのがうれしいんだよ」
『拓真さん……』
「週末には帰るから、待ってろよ」
 そう言うと、花緒里はうれしそうに『はい』と答えた。
 もうすぐ花緒里と夫婦になれる。そう思うとこの忙しい日々も、愛おしくて幸せでたまらなくなる。
 結婚して夫婦になってからもずっと、彼女のことを大切にしたいと思った。

<終>
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