マカロン文庫10周年記念企画限定SS
限定SS:紅カオル『極上御曹司はウブな婚約者を娶り落とす【極上男子の結婚シリーズ】』
『陽だまりのキッチン』
幸せは、ごくありふれた日常の中に潜んでいるもの。希がそう実感したのは、絶対にありえないと、一度は逃げた結婚をしてからだった。
二十三歳だった当時、父に企てられたお見合いをドタキャンしたのがはじまりだ。
まだ二十三歳なのに!
恋も知らないまま結婚なんて!
そうして逃亡したつもりが、そのお見合い相手にまんまと捕まり、あれよあれよという間に〝お試し恋愛〟がスタートした。
朝目覚めるとき、食事をしているとき、一日の終わりに眠りにつくとき。希の隣にはいつだって鷹史がいる。
恋を教えてくれたのも鷹史だ。それもとびきり甘く、ハッピーな恋を。
なによりも大きな幸せは、ふたりの間に授かった子ども――ひかりの存在である。
「よぉし、今夜はパパがハンバーグを作るぞ」
「ひかりもやるー」
午後の陽光が射し込むリビングで希が洗濯物を畳んでいると、鷹史が張りきって袖をまくる。ひかりはふたつに結んだ髪を揺らし、すぐそばでぴょんぴょん飛び跳ねた。
「じゃあ、ひかりも準備しようか」
「うん!」
希が鷹史と結婚して五年が経過。ひかりは三歳半になった。
この頃はなんでも自分でやりたがり、娘の成長を感じる日々である。
「ママぁ、エプロンエプロン」
「はいはい」
大好きなひまわり柄のエプロンを手渡すと、ひかりは慣れない手つきながらも自分で着けた。一生懸命な姿がいじらしい。
「でーきたっ」
「ちょっと待って、ひかり。後ろがよじれてる」
キッチンに走っていこうとしたひかりを呼び止める。おいでと手招きをすると、背を向けたひかりの隣に鷹史まで並んだ。
「俺もよろしく」
エプロンの紐を結んでほしいのだろう。鷹史が自分で結ぶと縦になってしまうのだ。たいていのことはさらっとこなす鷹史が、こういうときだけちょっと不器用なのが愛しい。
(初めてこの姿を見たときは、思わず笑ってしまったっけ。何年経っても、こういうところは変わらないんだな……)
そんな風に思うと、胸がじんわりとあたたかくなる。
結び終えた瞬間、ふたりは並んでこちらを見た。その視線がくすぐったくて、思わず口元が緩む。
「はい、ふたりともオッケーよ。おいしいハンバーグ、楽しみに待ってる」
鷹史とひかりのお尻を優しくポンとした。
「おう、任せとけ」
「まかせてー」
頼もしいふたりの発言に思わず笑みが零れた。些細なやり取りひとつで、希の心は満たされる。
そうしてあたたかい気持ちに浸っていると、早速キッチンからふたりの賑やかな声が聞こえてきた。
「ひかり、玉ねぎのみじん切りをするときはどうするんだっけ?」
「えぇっと、めがねー!」
両手の人差し指と親指で眼鏡を作る仕草がかわいい。
「それから?」
「はなてぃっしゅー!」
元気いっぱいに返事をしたひかりは、キッチンの引き出しから自分と鷹史のゴーグルを取り出す。それを揃って装着し、鼻にティッシュペーパーを詰め込んだ。何度見ても大爆笑の格好だ。
お試しで付き合っていた当時、希と一緒にハンバーグを作ってからというもの、鷹史はすっかりそのスタイルが定着。ひかりにまで教え込んでしまった。
さすがに女の子にはどうかと意見したが、鷹史に言わせると『玉ねぎが染みて目が痛いよりずっといいだろう』と一蹴された。
(まぁ、ふたりが楽しんでやっているのならそれが一番よね)
今では希もすっかり慣れっこだ。
ひかりお気に入りのアニメの主題歌を合唱しながら、鷹史が玉ねぎを刻む音をトントントンと響かせる。
「肉を捏ねるのはひかりに任せたからな」
「まっかせてー!」
「ここが一番肝心だからな」
「かんじんかんじん!」
何気ない休日のひとときはゆっくりと進んでいく。
かけがえのない家族との時間が、希を途方もなく幸せな気持ちにさせる。この頃一気に大きくなりつつあるお腹に手をあて、そっと呟いた。
「この幸せな日常の中に、もうすぐあなたも加わるんだね」
想像するだけで、胸がいっぱいになる。
「あなたの笑う声が、ひかりの声に混じって響く日が待ち遠しい」
新たに宿った命の誕生まで、あと二カ月。賑やかな未来を思い描きながら、希はやわらかな笑みを浮かべた。
<終>
幸せは、ごくありふれた日常の中に潜んでいるもの。希がそう実感したのは、絶対にありえないと、一度は逃げた結婚をしてからだった。
二十三歳だった当時、父に企てられたお見合いをドタキャンしたのがはじまりだ。
まだ二十三歳なのに!
恋も知らないまま結婚なんて!
そうして逃亡したつもりが、そのお見合い相手にまんまと捕まり、あれよあれよという間に〝お試し恋愛〟がスタートした。
朝目覚めるとき、食事をしているとき、一日の終わりに眠りにつくとき。希の隣にはいつだって鷹史がいる。
恋を教えてくれたのも鷹史だ。それもとびきり甘く、ハッピーな恋を。
なによりも大きな幸せは、ふたりの間に授かった子ども――ひかりの存在である。
「よぉし、今夜はパパがハンバーグを作るぞ」
「ひかりもやるー」
午後の陽光が射し込むリビングで希が洗濯物を畳んでいると、鷹史が張りきって袖をまくる。ひかりはふたつに結んだ髪を揺らし、すぐそばでぴょんぴょん飛び跳ねた。
「じゃあ、ひかりも準備しようか」
「うん!」
希が鷹史と結婚して五年が経過。ひかりは三歳半になった。
この頃はなんでも自分でやりたがり、娘の成長を感じる日々である。
「ママぁ、エプロンエプロン」
「はいはい」
大好きなひまわり柄のエプロンを手渡すと、ひかりは慣れない手つきながらも自分で着けた。一生懸命な姿がいじらしい。
「でーきたっ」
「ちょっと待って、ひかり。後ろがよじれてる」
キッチンに走っていこうとしたひかりを呼び止める。おいでと手招きをすると、背を向けたひかりの隣に鷹史まで並んだ。
「俺もよろしく」
エプロンの紐を結んでほしいのだろう。鷹史が自分で結ぶと縦になってしまうのだ。たいていのことはさらっとこなす鷹史が、こういうときだけちょっと不器用なのが愛しい。
(初めてこの姿を見たときは、思わず笑ってしまったっけ。何年経っても、こういうところは変わらないんだな……)
そんな風に思うと、胸がじんわりとあたたかくなる。
結び終えた瞬間、ふたりは並んでこちらを見た。その視線がくすぐったくて、思わず口元が緩む。
「はい、ふたりともオッケーよ。おいしいハンバーグ、楽しみに待ってる」
鷹史とひかりのお尻を優しくポンとした。
「おう、任せとけ」
「まかせてー」
頼もしいふたりの発言に思わず笑みが零れた。些細なやり取りひとつで、希の心は満たされる。
そうしてあたたかい気持ちに浸っていると、早速キッチンからふたりの賑やかな声が聞こえてきた。
「ひかり、玉ねぎのみじん切りをするときはどうするんだっけ?」
「えぇっと、めがねー!」
両手の人差し指と親指で眼鏡を作る仕草がかわいい。
「それから?」
「はなてぃっしゅー!」
元気いっぱいに返事をしたひかりは、キッチンの引き出しから自分と鷹史のゴーグルを取り出す。それを揃って装着し、鼻にティッシュペーパーを詰め込んだ。何度見ても大爆笑の格好だ。
お試しで付き合っていた当時、希と一緒にハンバーグを作ってからというもの、鷹史はすっかりそのスタイルが定着。ひかりにまで教え込んでしまった。
さすがに女の子にはどうかと意見したが、鷹史に言わせると『玉ねぎが染みて目が痛いよりずっといいだろう』と一蹴された。
(まぁ、ふたりが楽しんでやっているのならそれが一番よね)
今では希もすっかり慣れっこだ。
ひかりお気に入りのアニメの主題歌を合唱しながら、鷹史が玉ねぎを刻む音をトントントンと響かせる。
「肉を捏ねるのはひかりに任せたからな」
「まっかせてー!」
「ここが一番肝心だからな」
「かんじんかんじん!」
何気ない休日のひとときはゆっくりと進んでいく。
かけがえのない家族との時間が、希を途方もなく幸せな気持ちにさせる。この頃一気に大きくなりつつあるお腹に手をあて、そっと呟いた。
「この幸せな日常の中に、もうすぐあなたも加わるんだね」
想像するだけで、胸がいっぱいになる。
「あなたの笑う声が、ひかりの声に混じって響く日が待ち遠しい」
新たに宿った命の誕生まで、あと二カ月。賑やかな未来を思い描きながら、希はやわらかな笑みを浮かべた。
<終>