マカロン文庫10周年記念企画限定SS
限定SS:森野じゃむ『秘密の授かり出産だったのに、パパになった御曹司に溺愛し尽くされています』
『夏の夜』
私の手のひらに、こじんまりと収まる小さな手。ふにふにしていて、粉砂糖をまぶしたおもちのようにきめ細かい。その先には、ちょこんと小さな爪。
もうすぐ一歳になる長男――楓の手は、姉のあやめに似ている。でも、よく見ると実は父親の秋人の手にもそっくりだ。こんなに小さな手にも、ちゃんと特徴があって 遺伝子って本当に不思議だな、と感心してしまう。
「ママー! パパがカブトムシいっぱいとったよー!」
遠くから足音が近づいてくるのを感じて、心の準備はしていた。案の定、あやめが勢いよく扉を開け放ち、虫かごを持って眠っている楓と添い寝していた私のもとに駆け寄ってきた。
「しっ……楓が起きちゃうから」
「ふぇえええええん!」
泣き出した楓を見て、あやめはすぐにバツの悪そうな顔をして、「ごめんね、楓!」と謝る。そして、後ろから来た秋人にしがみついた。
「結愛、ごめん。間に合わなかった」
「いいのよ、秋人。暑い中、ありがとう」
秋人はあやめの頭をそっと撫でると、そのままシャワールームへと向かった。私も楓を抱きかかえて、ふたりのあとを追う。
秋人がこの葉山の別荘を購入したのは、ちょうど一年前。あやめが小学校に入学した年だった。彼女の夏休みには、都会を離れてゆっくり過ごせる場所があった方がいいと、秋人が考えてくれたのだ。
森に囲まれ、高台の上からは相模湾が一望できるこの家を、私たちはすっかり気に入っている。
そして今年も、あやめの夏休みがやってきた。
私はテラスで森林浴を楽しみながら、まだよちよち歩きの楓とのんびり過ごし、秋人は遊び盛りのあやめと一緒に、あちこち探検するのが我が家の夏の定番になっている。
秋人と結婚して、はや五年。
最初はあやめにとって〝かっこいいお兄さん〟だった秋人も、今では彼女の一番の理解者であり、大切な〝お父さん〟になった。
日々少しずつ、でも確かに私たちは家族になっていっている。そのことが、何よりも幸せだ。
「ママ、見てー! きれいな貝がら見つけた!」
「本当だ。よく見つけたね、あやめ。おうちに飾ろうか?」
「飾るー!」
朝から作っておいたサンドイッチと軽食を持って、家族みんなで別荘のすぐ近く、一色海岸へやってきた。
空の青をそのまま映したような海。あやめに手を引かれて、波打ち際をゆっくりと歩く。じりじりと日差しは強いけれど、地平線から吹き込んでくる生ぬるい風が心地よく、肌を包み込んでくれる。
「あうっ……! あうぅ!」
秋人に抱かれている楓は、今日が初めての海。目の前に迫る波にびっくりして、なにやら言葉にならない声をあげている。
「あは、怖いよな。追いかけてくるし、食べられちゃいそうだもんな」
「ぱんぱっ……あぅあぅ!」
ふたりのやりとりが可愛くて、私は思わず笑ってしまった。
(こんな穏やかな日々が、ずっと続いていきますように)
あやめも、楓も、そして私たちも。時間とともに姿も、状況も……何もかも変わっていくけれど、この愛はずっと永遠だろう。
一色海岸から帰る頃には、あやめも楓もすっかり疲れていた。あやめはソファに倒れ込むと、数分で眠ってしまい、楓もミルクを飲み終え、私の腕の中で静かに寝息を立てている。
秋人と手分けしてふたりをベッドへ運び、それぞれにタオルケットをそっとかけた。
寝室のドアを静かに閉めると、広々とした部屋に深い静けさが満ちた。
窓の外からはかすかに虫の声と遠くの波音が聞こえ、潮の香りを含んだ風がカーテンの隙間からすり抜けて、肌を優しく撫でていく。
「シャワー、浴びてくるね」
私が立ち上がろうとすると、秋人が声をかけた。
「一緒に入る?」
その一言に、心臓がとくん、と強く鳴る。
小さく頷くと、秋人は首筋にそっと淡いキスを落とし、長い指を私の手に絡ませてきた。
服を脱がされるままに身を任せ、とめどなく交わされる口づけを受け止めながら、森の空気がひんやりと冷たいシャワールームに二人でこもる。
小さな窓から差す月の光が秋人の姿を浮かび上がらせ、影と光のコントラストが彼の笑みを妖艶に映し出していた。
昼間の穏やかで温かな父親の顔は太陽のよう。
けれど私といる時だけ、少しだけ余裕を失い、月のように静かで繊細な彼の一面が見える。
その二面性を知るのは私だけだと思うと、ほんのりと優越感が胸を満たした。
ふと見とれていると、秋人が私の髪をそっとすくい上げ、微笑みながら頬にキスを落とす。
「ごめんね。疲れてない?」
「ううん、大丈夫……逆に元気になってきたかも」
照れくさそうに微笑むと、秋人も柔らかく笑い、私の唇をそっと奪った。
「俺も疲れが吹き飛んだよ」
唇のそばで囁き、互いの舌が絡んで、呼吸を忘れるほど求めあう。
「……今は俺だけの結愛だよ。ママはお休み」
「じゃあ秋人も、パパはお休みね」
「……ああ。結愛、愛してる」
キスの合間に交わす、誰にも聞かせたくない睦言。
秋人の広い背中を抱きしめながら、私はそっと目を閉じ、熱に身をゆだねる。
降り注ぐキスの雨が静かな夜に溶けて、闇へと消えていった。
<終>
私の手のひらに、こじんまりと収まる小さな手。ふにふにしていて、粉砂糖をまぶしたおもちのようにきめ細かい。その先には、ちょこんと小さな爪。
もうすぐ一歳になる長男――楓の手は、姉のあやめに似ている。でも、よく見ると実は父親の秋人の手にもそっくりだ。こんなに小さな手にも、ちゃんと特徴があって 遺伝子って本当に不思議だな、と感心してしまう。
「ママー! パパがカブトムシいっぱいとったよー!」
遠くから足音が近づいてくるのを感じて、心の準備はしていた。案の定、あやめが勢いよく扉を開け放ち、虫かごを持って眠っている楓と添い寝していた私のもとに駆け寄ってきた。
「しっ……楓が起きちゃうから」
「ふぇえええええん!」
泣き出した楓を見て、あやめはすぐにバツの悪そうな顔をして、「ごめんね、楓!」と謝る。そして、後ろから来た秋人にしがみついた。
「結愛、ごめん。間に合わなかった」
「いいのよ、秋人。暑い中、ありがとう」
秋人はあやめの頭をそっと撫でると、そのままシャワールームへと向かった。私も楓を抱きかかえて、ふたりのあとを追う。
秋人がこの葉山の別荘を購入したのは、ちょうど一年前。あやめが小学校に入学した年だった。彼女の夏休みには、都会を離れてゆっくり過ごせる場所があった方がいいと、秋人が考えてくれたのだ。
森に囲まれ、高台の上からは相模湾が一望できるこの家を、私たちはすっかり気に入っている。
そして今年も、あやめの夏休みがやってきた。
私はテラスで森林浴を楽しみながら、まだよちよち歩きの楓とのんびり過ごし、秋人は遊び盛りのあやめと一緒に、あちこち探検するのが我が家の夏の定番になっている。
秋人と結婚して、はや五年。
最初はあやめにとって〝かっこいいお兄さん〟だった秋人も、今では彼女の一番の理解者であり、大切な〝お父さん〟になった。
日々少しずつ、でも確かに私たちは家族になっていっている。そのことが、何よりも幸せだ。
「ママ、見てー! きれいな貝がら見つけた!」
「本当だ。よく見つけたね、あやめ。おうちに飾ろうか?」
「飾るー!」
朝から作っておいたサンドイッチと軽食を持って、家族みんなで別荘のすぐ近く、一色海岸へやってきた。
空の青をそのまま映したような海。あやめに手を引かれて、波打ち際をゆっくりと歩く。じりじりと日差しは強いけれど、地平線から吹き込んでくる生ぬるい風が心地よく、肌を包み込んでくれる。
「あうっ……! あうぅ!」
秋人に抱かれている楓は、今日が初めての海。目の前に迫る波にびっくりして、なにやら言葉にならない声をあげている。
「あは、怖いよな。追いかけてくるし、食べられちゃいそうだもんな」
「ぱんぱっ……あぅあぅ!」
ふたりのやりとりが可愛くて、私は思わず笑ってしまった。
(こんな穏やかな日々が、ずっと続いていきますように)
あやめも、楓も、そして私たちも。時間とともに姿も、状況も……何もかも変わっていくけれど、この愛はずっと永遠だろう。
一色海岸から帰る頃には、あやめも楓もすっかり疲れていた。あやめはソファに倒れ込むと、数分で眠ってしまい、楓もミルクを飲み終え、私の腕の中で静かに寝息を立てている。
秋人と手分けしてふたりをベッドへ運び、それぞれにタオルケットをそっとかけた。
寝室のドアを静かに閉めると、広々とした部屋に深い静けさが満ちた。
窓の外からはかすかに虫の声と遠くの波音が聞こえ、潮の香りを含んだ風がカーテンの隙間からすり抜けて、肌を優しく撫でていく。
「シャワー、浴びてくるね」
私が立ち上がろうとすると、秋人が声をかけた。
「一緒に入る?」
その一言に、心臓がとくん、と強く鳴る。
小さく頷くと、秋人は首筋にそっと淡いキスを落とし、長い指を私の手に絡ませてきた。
服を脱がされるままに身を任せ、とめどなく交わされる口づけを受け止めながら、森の空気がひんやりと冷たいシャワールームに二人でこもる。
小さな窓から差す月の光が秋人の姿を浮かび上がらせ、影と光のコントラストが彼の笑みを妖艶に映し出していた。
昼間の穏やかで温かな父親の顔は太陽のよう。
けれど私といる時だけ、少しだけ余裕を失い、月のように静かで繊細な彼の一面が見える。
その二面性を知るのは私だけだと思うと、ほんのりと優越感が胸を満たした。
ふと見とれていると、秋人が私の髪をそっとすくい上げ、微笑みながら頬にキスを落とす。
「ごめんね。疲れてない?」
「ううん、大丈夫……逆に元気になってきたかも」
照れくさそうに微笑むと、秋人も柔らかく笑い、私の唇をそっと奪った。
「俺も疲れが吹き飛んだよ」
唇のそばで囁き、互いの舌が絡んで、呼吸を忘れるほど求めあう。
「……今は俺だけの結愛だよ。ママはお休み」
「じゃあ秋人も、パパはお休みね」
「……ああ。結愛、愛してる」
キスの合間に交わす、誰にも聞かせたくない睦言。
秋人の広い背中を抱きしめながら、私はそっと目を閉じ、熱に身をゆだねる。
降り注ぐキスの雨が静かな夜に溶けて、闇へと消えていった。
<終>