彼が甘いエールをくれたから
§3.差し出された手
 それから二日が経った。
 ルミナから納期が前倒しになった連絡を受けたせいで、おとといも昨日も遅くまで残業していた。
 家には眠るために帰っているようなもので、今朝も早くに会社へ来て仕事を始めている。
 体調不良の加山さんは一週間休むことになったから、早くても出社してくるのは来週の半ばだ。
 もちろん、それまでに私がひとりで仕事を進めておかなければならない。

「忽那」

 まだ誰も出勤してきていない静かなオフィスに、耳心地のいい低い声で名前を呼ばれた。

「筧くん、おはよう」
「おはよう。早いな」

 私が昨夜、誰よりも遅くまで残業していたことを彼は知っている。そのため、驚くような複雑な顔をしていた。
 彼がこんなに早く出勤してくるのは想定外だった。そのため、まるで悪事でも見つかったような気持ちになり、笑顔が引きつってしまう。

「しっかり休めてないよな?」

 思わずうつむいた私の顔を、彼が下から覗き込むようにして視線を合わせてきた。
 無造作に流している黒髪がわずかに揺れ、日の光に当たってほんのりと青みを帯びている。
 目力の強い瞳も高い鼻梁も、すべてがとても綺麗で、自動的に胸が高鳴った。
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