すべての花へそして君へ③

 一瞬、“引ったくり”という単語にビクリと体を震わせながら、慌てて後方を振り返る。
 警吏にでも追われているのか。露天街に賑わう人たちを避けながら、そして避けられなかった人は薙ぎ倒しながら、犯人らしき人物がこちらへと走ってくる。


「……え!? ちょ、おばちゃん!?」


 すると、先程林檎を買った露天商のおばちゃんが、木の棒的な何かを持ってその引ったくりの前に飛び出してしまったのだ。

 ――いけない! 危ない!
 慌てて来た道を戻って彼女を止めようとしたけれど、流石に子どもの足では間に合わず。


《邪魔だ! 退け!》


 少し下り坂にもなっていたせいか。勢いがついていた引ったくりに突き飛ばされ、おばちゃんの体は店の林檎の木箱に突っ込んでしまう。


《おばちゃん! しっかりして! おばちゃん!》


 その拍子に引っ繰り返してしまった林檎をかき分け、何とかおばちゃんのところへと辿り着いた俺は、必死に声をかける。


《……あ、ああ。さっきの坊やかい》

《もう、あんま無理しちゃだめだよ》


 林檎がクッションになったのか。打ち身程度で、他に目立つ外傷はないようだった。ふうとひとつ息をついていると、「大丈夫ですか!?」と女の人がおばちゃんに声をかけてくる。


(今、『大丈夫ですか』って言った? 日本語?)


 こんな露天街に日本人がいるのは珍しい。はじめはそんな軽い気持ちでその女の人を見てみようと思った。


(……え)


 けれど、綺麗な声と見た映像があんまり自分の中でマッチングしてくれなくて、ちょっと頭が痛くなった。


《奥様、大丈夫ですか?》

《え、ええまあ……》

《そうですか。それはよかったです。先程の引ったくりは部下が無事捕まえますので、ご安心くださいね。慰謝料の方を請求しておきますので、後日謝罪と一緒にお受け取りください》

《え、ええ。そうさせてもらうけれど……》

《何かありましたか? やはりどこか痛むとか!》

《あなた、その林檎……》


 そう。彼女はそれはそれは大きな布切れに、先程転がっていってしまった林檎を包んで、背負っていたのだ。それも結構軽々と。


《あ、これはもう少し行ったところの露天屋さんで布を売っていたので。それでこう……くるくるっと》

《そ、そう? でも、あなた。その変な恰好は……》

《これですか? これはですね、ジャパニーズでは大人気のディテクティブボーイの恰好を真似てみたのです。結構似合ってるでしょう?》

《は、はあ……》


 そして、綺麗な声と可愛い見た目とは裏腹に、服のセンスがとんでもなく……まあ統計して結局は変な女の人ってことで、俺の第一印象はそう処理されたわけだけど。


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