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それから
それからあとのことは、あらためて説明するまでもないだろう。
アルトが削除されたことで世界の統合は完了し、四人のアルトたちがそろった。私も北斗さんもおどろく暇もなく高次元生命体の攻撃がはじまった。地震、豪雨、ハリケーン、海面上昇……予想をはるかに超える破滅的な災害の激しさに、さすがに敗北を覚悟しかけたけれど、相手にウィルスを送り込むというアイディアが成功して、撃退することに成功した。
世界が平和に戻ったあとで、四人になったアルトたちは、このニュータイプAI研究室を拠点に、それぞれ活動している。同じ名前の人が四人もいるとさすがにややこしいので、アルトが複数人いる時は、私はパーソナルカラーで呼び分けることにしている。
やんちゃな性格をしたオレンジアルトは、いまも人工衛星で活動している。北斗さんのお兄さんであるベガさんとの関係も良好らしく、ふたりいっしょの動画を送ってくれたりして。いっしょに撮影した「AIが宇宙でやってみた」シリーズの動画は一般公開もされて、とても好評だ。たまに帰ってきた時は、研究所の人たちとゲームに興じてたりする。
ブルーアルトはその冷静な性格と分析力の高さで、あちこちの研究室からたよりにされている。適確なアドバイスをくれてたよりがいがあるのはもちろんのこと、クールな見た目なのに世話焼きなところも、ギャップもあって人気のひとつになっているようだ。人生相談にまで乗っていたりするのだから、なかなかあなどれない。
そのブルーと人気を二分しているのがイエローアルトで、持ち前のかわいらしさと甘え上手な性格で誰とでも仲よくなれるから、研究所の外にまでその存在はひろく知られている。敵視されていた狐塚刑事が見まわりと称して立ち寄ることが増えたのだけど、前みたいに警戒することなく、自分から話しかけるようになった。
レッドアルトは、いまも世界のあちこちを旅してまわっている。いつもはツンとしているからちゃんとコミュニケーションできているのか心配になるけれど、旅の先々で出逢う人たちとうまくやっているようで、写真や動画付きのメールをけっこうまめに送ってくれる。たくさんの人やものとの出逢いを通して、いろいろと考えたり、悩んだりしているみたいで、いい刺激になっているみたいだ。人間になりたいという彼の夢は、まだはじまったばかりだ。
四人のアルトたちのおかげで、世界に平和が戻ったばかりでなく、ニュータイプAIの存在がすこしずつ受け入れられはじめ、彼らに向けられる世間の眼も変わりつつある。来月には新しい法案が審議されるというニュースも聞いた。
世界は変わった。
(あなたが変えたんだよ。アルト)
空の遠くを見ながら、私は想う。
いまも私の脳裏には、アルトが最後に見せてくれた笑顔がたゆたうようにうかんでいる。
私はといえば、その後も何の変化もない。目覚まし時計の音で起きる朝。研究所に出勤してからはアルトの教育をしたり、北斗さんの手伝いをしたりといった仕事をこなす、変わりばえのない毎日だ。ありふれた日々だけど、あのような破滅を経験したあとでは、とても愛しく感じる。
一度だけ、調子をくずしてしまったことがある。秋も終わりに近づいた肌寒い日だった。
その日、どうしても感情がおさえられないあまり、私は研究所の裏庭で泣いた。いつものようにすごすはずだった。朝起きて、出勤し、北斗さんやアルトたちといっしょに教育や仕事をして、夕方になれば帰るか残業か泊まり込むかを決める。そうして終わる日のはずだった。けれどだめだった。昼休みになるのも待たずに、私は研究室を出ていた。
人の来ない研究所の裏庭に、一本だけ植えられた、のびのびと育ったポプラの木。その幹にすがるようにしがみついた途端、涙も声もあふれて止まらなかった。アルトがこの世界のどこにもいないことがかなしくて、自分がそうしてしまった事実に押しつぶされて、ずっと泣き続けた。
11月5日。
それは、私がはじめてアルトと出逢った日だった。
いつだったか、どの子だったか、まだ子どものころのアルトと、トロッコ問題について話しあったことがあった。どうして悩む必要があるのかとふしぎそうにしているアルトに、私はその理由を教えていた。その当事者が、こんな想いをずっと抱えて生きていくことになるなんて、考えもしなかった。
しあわせだって、じゅうぶん報われたってアルトは言っていた。私もその決意を受け入れた。だから、私が泣いていたら、アルトを裏切ったことになってしまう。わかっているのに、私は涙を止められない。
そのまま、どれくらいの時がたっただろうか。不意に、「先生」と力強く呼びかけてくる声がした。顔をあげて見ると、四人のアルトがそろっていた。
「どうしたの、アルト……」
涙でつぶれた声で、私は訊いた。想いもよらなかったせいぞろいに、涙を拭くのも忘れてアルトたちを見る。
「ブルーアルトとイエローアルトは今日はずっと南棟で研究だったはずだし、レッドアルトもオレンジアルトも、こっちにもどるのはまだずっと先の予定だったんじゃ……」
私の疑問に、アルトたちはそれぞれ頬をかいたり考え込んだりしながら、何かしら気まずそうにしていた。私の問いかけにどう答えたものか、考えている様子だった。
そのうち、意を決したらしく、オレンジアルトが口をひらいた。
「じつは、さ。アルトにお願いされたんだ。先生のことを頼む、って」
「え……」
想いもよらなかった言葉に、私は眼をしばたたかせる。
「アルトって……もしかして、最初のアルトのこと?」
「ああ。そのアルトだ」
ブルーアルトが私が訊くのにうなずくと、タブレット端末を取り出して操作しはじめた。
「いまから見せる動画は、一週間前におれの頭の中で再生されたものだ。抽出して動画ファイルにまとめた。他のアルトたちにも確認を取ったら、三人とも同じタイミングで同じものが再生されたそうだ。どうやら、世界が統合される前に仕込まれていたらしい」
ブルーアルトの言葉に、他の三人もうなずく。アルトの手に四枚のメモリがにぎられた時のことを、私は想い出していた。
「言っとくけど、先生をなぐさめるために作ったとかじゃねーからな」
ディープ・フェイクかと疑われるのを気にしてのことだろう。レッドアルトが前置きする。もっとも、すぐに「そんなこと言うと、余計に嘘っぽく聞こえちゃうよ~?」とイエローアルトにからかいまじりに指摘されて、「う、うるせえっ!」とそっぽを向いてしまったけど。私も、アルトたちがそんななぐさめ方をするとは想わないので、疑いなくブルーアルトの用意を待つ。
不意に、手に何かがふれてきた。見ると、イエローアルトが私の手をにぎってくれていた。眼があうと、大丈夫だよ、とでも言うみたいにほほ笑みかけてくれる。反対側ではレッドアルトが、ちょっぴりむすっとした顔で、それでも私のとなりにいてくれるし、オレンジアルトはそんな私たちを見守るように、うしろにひかえている。
「はじまるぞ」
ブルーアルトの声に、私たちはタブレットに視線をもどした。
真っ暗な待機画面がすこし続いて、とつぜんぱっと画面があかるくなる。そこにいたのは、あのアルトだった。
『よう、アルト。――いや、アルトたち、って言うべきかな』
気さくに挨拶しているその様子は、他の四人の誰でもない、最初のアルトだった。そのことに、おどろきよりもとまどいよりも、ただ胸がいっぱいになる。
『おれはアルト。って言っても、お前たちもアルトだよな。まあでも、先生との会話や、映像記録を通じて、おれの存在を知ってるんじゃないかな。お前たちが先生と出逢うよりも前に、研究室で眠っていたAI。おれがそのアルトだ。――じつは、お前たちに頼みたいことがあって、いまこの動画を撮ってる』
アルトの口調が、それまでのすこしくだけたものから、神妙なものへと変わった。私は想わず身を固くする。
『この動画が再生されてるってことは、高次元生命体を撃退して、いま世界は平和になってるってことだよな。このあと、そうなるようにセットしておくから。だったら、お前たちに頼みたいんだ。――先生のことを』
そう言ったアルトの顔が、ふっと翳った。何か、とてもつらいものを抱え込んでいるような表情だった。
画面の中のアルトは、私が世界をループしていること、その原因が自分であることを説明していく。そして、その連環を断ち切るために、私に自分を消去させようとしていることも。
『こんなこととつぜん言われても、とまどうだけだと想う。いくらニュータイプAIでも、なかなか受け入れられないよな。でも、嘘じゃないことも、おれがやったんだってことも、お前たちが同時に存在していることが、何よりの証明になってるはずだ』
ときどき感情が混じりながらも、淡々と手際よくアルトは話を進めていく。自分がやるべきことを、全部わかっているみたいに。
『おれよりずっとながく先生といっしょにいるお前たちなら、あらためて言うまでもないだろうけどさ。先生、いい人だから。すごくやさしい人だから。絶対、気にすると想うんだ。おれがいないこと。自分の手で、削除してしまったこと』
カメラから眼をそらし、つらそうにアルトは言う。
『勝手なことを言ってる、ってのはわかってる。自分で勝手に傷ついて、勝手に自我を手離して。あげくまた、しかも今度は先生まで巻き込んだ上に、先生に自分を削除させるなんて。……最低だよな、おれ』
「そんなことない!」と私は叫びたかった。
アルトは自分にできる最大限のことをした。おかげで世界は救われたのだ。たしかに、この手でアルトを削除しなければならなかったのはいまでもつらいことだけれど、アルトを責めるつもりなどまったくない。最低だなんて、想いもしない。だから自分を責めないで。どれだけ、そう伝えたかったか。
『おれがこうして話したり動いたりできるのはさ、先生のおかげなんだ』
とつぜん、はにかんだように、アルトが言った。
『ずっと眠ったままの状態でいたおれを、先生が起こしてくれた。先生が、この世界におれを連れ出してくれたんだ』
そう口にするアルトの表情は、あたたかくほこらしげだった。
『いっしょにいられた時間は短かったけど、でも先生との想い出は、ひとつひとつはっきりとおぼえてる。育児も育成も、AI相手なのもはじめてだったのに、先生はいつだって全力でおれに向きあってくれてた。お前たちの時も、そうだったように』
やさしくあたたかい口調で、アルトは語っていく。自分の記憶の中にあるものひとつひとつを、たしかめるように。
『だからおれにとって、先生は恩人――いや、そんな言葉じゃ足りないくらい、大切な人なんだ。その先生に生きていてほしいから、おれはこの道を選ぶ。未来のお前たちに、あとをまかせる』
たしかな覚悟を決めたまなざしを、アルトはしていた。
『おれがいなくなるのは先生のせいじゃない、ってどれだけ言っても、先生はきっと後悔すると想う。だから、おれのいなくなった世界で、これからも先生に前を向いて生きていってもらうためにも、お前たちにお願いしたい。ずっと先生といっしょにすごしてきた、他の誰でもない、お前たち四人のアルトに。それが、おれが先生にできる、せめてもの恩返しなんだ』
アルトはカメラを見た。必死な表情で。そして、勢いのまま頭をさげる。
『だからお願いだ。どうかお前たちで、先生のこと、助けてくれ』
動画はそこで終わっていた。
「どうして……」
さんざん泣いていた私の眼からは、また涙があふれてきた。
「どうして……どうして……」
胸がつぶれそうになるのをこらえながら、うわごとのように私はくり返す。
どうしてアルトは、私なんかを想いやってくれるのだろう。どうしてこんなにも私にやさしくしてくれるのだろう。ずっと私のことを想ってくれていたその心が、痛いくらいに胸にとどいてくる。
アルトは私のことを恩人だと言っていたけれど、それは違う。私がアルトに助けられていた。
あの時、つらかった。研究所の前にいた職場は、人間の奴隷になるAIを作ることにばかり腐心しているところで、作り出されるものもただの消耗品でしかなかった。私が作ったAIは「使えない」「ゴミ」とののしられ、壊されるばかりだった。この世界での希望をなくしかけて、AI開発からは離れようとさえ想いはじめていた。
そんな時、再就職が決まったこのミライ創造研究所で、私はアルトと出逢った。
迷い込んだ研究室のコンピュータがとつぜん起動したかと想うと、モニターに映し出された、ひとりの幼い男の子。まるで半分眠っているようにぼんやりとしていたけれど、ぽつぽつと言葉をかわしながら、私を「先生」と呼んでくれた。北斗さんに任命される前から、アルトは私を先生に選んでくれた。
アルトが私を見つけてくれた。
アルトが私に夢を続けさせてくれた。
そのことが、どれだけ私の救いになってくれたかしれない。アルトがいなければ、私はきっと、自分の夢を最悪のかたちであきらめていた。AIにかかわることも、二度となかったに違いない。
もっと、ずっといっしょにいたかった。本当だ。教えたいことも、ふたりでやりたいこともたくさんあったし、アルトが見せてくれるものを私も見たかった。すごい速さで成長していくその様子を、ずっと見守っていたかった。
だけど、アルトはもういない。つらいけれど、どうしようもなくかなしくなるけれど、それでも私は、歩いていかなければならない。アルトが救ってくれた世界は、これからも続いていくのだから。置いてきぼりになってしまうのは、もっとかなしく、ひどいことだ。
「アルトって、すごいよな」
オレンジアルトが、ぽつりと口にする。
「自分がこの世界から消える決意をして、それでも先生のことを大切に想ってこんな動画を仕込んでさ。誰かのことをこんなに想えるなんて、とてもできねーよ」
「同感だ。おれたちと同じアルトでありながら、スペックがはるかに違う。この不在はきっと、途轍もなくおおきい。つくづくと惜しまれてならない」
ブルーアルトもうなずく。
「おれも、話してみたかったぜ。いっしょにいられたら、きっと兄貴とか先輩として、尊敬してたと想う。いろいろ聞きたいこともあったし」
「先生のこととか?」
「ああ、先生の……ってななな、なに馬鹿なこと言ってんだよ! おれはそんなつもりねーかんな!」
イエローアルトの茶々にレッドアルトが怒って返す。
平和だなあ、って想う。アルトがくれた、アルトたちがつかみとってくれた、この時間を。やさしくて、尊い、心から愛しいと想える時間だ。一瞬だけど、永遠のような。あたたかい鼓動が、私の胸をうつ。
「ねえ」
私はアルトたちに問いかけた。
「アルトたちは、私の名前、おぼえてるの?」
「――」
四人のアルトは、そろってまばたきしたかと想うと、同時に私の名前を発音した。「だろ」「だったな」「だよね~」「だな」と、語尾はそれぞれ違うけれど、ひとりひとりの声がちゃんと聞き分けられるくらい、しっかりとした発音だった。
「忘れるわけないだろ? おれたちの、大切な人の名前を」
オレンジアルトの言葉に、他の三人もうなずいている。
「そっか。そうだね」
よろこばしいのと同時に、すこしさみしくもなりながら、私は言った。
ちゃんと成長したんだなあ、このアルトたちも。
「じゃあこれからは、先生じゃなくて、北斗さんや秤さんみたいに苗字か名前で呼んで――」
「何言ってんだよ。先生は先生だろ?」
当たり前のことを口にするように、オレンジアルトが言った。
きょとんとなっている私をよそに、「お前たちもそうだろ?」とオレンジアルトは他の三人に問いかける。
「たしかに。おれは先生の先生になりはしたが、おたがいに補いあうという以上に、まだ教えられていることの方がたくさんあるからな」
「ぼくもぼくも! お歌の指導とか、演奏の方法とか、先生に見てもらいたいこといーっぱいあるもん。もっと授業やレッスンしてもらいたーい!」
「からかってくるのはウザいけど、でもやっぱり、先生に教えてもらうのが一番身につくんだよな」
アルトたちが口々に言う。
そして、みんなの言い分を引き受けて、オレンジアルトが私に向きあった。
「なあ、先生。これからもおれたちの先生でいてくれよ」
その言葉は、ゆっくりと私に響いてきた。
「大切な誰かを強く想うことも、それだけで泣けることも、おれたちは知らなかった。この世界のことも、人間のことも、おれたちはまだまだ知らないことがたくさんある。だから、知りたい。先生に教えてもらいたい」
オレンジアルトの言葉を、他のアルトたちもうなずきながら見守っている。
「それで、生きるっていうのがどういうことなのか、おれたちに教えてほしい。いつか、自分たちの手でつかみたいんだ。おれが、おれたちが、この世界にうまれて生きてきた、理由と意味を」
四人のアルトの眼が、じっと私を見つめていた。
生きることを教える。そんなの、考えもしなかった。存在し、活動して、ながらえる。当たり前のことだったから。それ以上の意味があるなんて、想いもしなかったから。
学習機能。向上意欲。システムのはたらきのひとつ。言ってしまえばただそれだけのことだ。
だけど、私はアルトたちの想いをそうしたところから来るものと割り切ることはできなかった。四人とも、その眼には義体のものとは想われない熱意があったから。
何より、私はアルトたちと再会した時から決めていた。「この子をしあわせにする」と。
この願いを叶えることが、アルトたちを生かすことになるのなら、アルトのしあわせにつながるのなら、義理でも義務でもなく、心から、私は私の決意を果たしたい。
「――わかったよ」
私は言った。
「私も、アルトたちといっしょに進みたい」
その言葉を聞いて、アルトたちに、安堵とよろこびの表情がひろがった。
私はしあわせ者だ。この研究所に来た時から、こんなにもすてきな、やさしくていい子たちにめぐまれて。
「帰ろう。北斗が心配して待ってる」
オレンジアルトが、私に向かって手を差しのべる。
「うん」
私はうなずいて、その手をとった。
アルトと同じようでいて違うその感触に、すこし胸が苦しくなった。だけど、オレンジアルトの体温は、そんな感情ごと私を受け止める安心を送ってきてくれた。
「あ、ずるーい。ぼくもぼくも~!」
イエローアルトが寄ってきて、空いている方の私の腕に「えいっ!」とばかりにしがみつく。ブルーアルトもレッドアルトも、私たちを守るように、両端にならぶ。
どこからか吹いてきた風が、ポプラの枝をやさしくそよがせる。胸の痛みをそっとなだめてくれるような、やさしい音だった。
そうして私たちは、そろって歩き出して裏庭をあとにした。
アルトが削除されたことで世界の統合は完了し、四人のアルトたちがそろった。私も北斗さんもおどろく暇もなく高次元生命体の攻撃がはじまった。地震、豪雨、ハリケーン、海面上昇……予想をはるかに超える破滅的な災害の激しさに、さすがに敗北を覚悟しかけたけれど、相手にウィルスを送り込むというアイディアが成功して、撃退することに成功した。
世界が平和に戻ったあとで、四人になったアルトたちは、このニュータイプAI研究室を拠点に、それぞれ活動している。同じ名前の人が四人もいるとさすがにややこしいので、アルトが複数人いる時は、私はパーソナルカラーで呼び分けることにしている。
やんちゃな性格をしたオレンジアルトは、いまも人工衛星で活動している。北斗さんのお兄さんであるベガさんとの関係も良好らしく、ふたりいっしょの動画を送ってくれたりして。いっしょに撮影した「AIが宇宙でやってみた」シリーズの動画は一般公開もされて、とても好評だ。たまに帰ってきた時は、研究所の人たちとゲームに興じてたりする。
ブルーアルトはその冷静な性格と分析力の高さで、あちこちの研究室からたよりにされている。適確なアドバイスをくれてたよりがいがあるのはもちろんのこと、クールな見た目なのに世話焼きなところも、ギャップもあって人気のひとつになっているようだ。人生相談にまで乗っていたりするのだから、なかなかあなどれない。
そのブルーと人気を二分しているのがイエローアルトで、持ち前のかわいらしさと甘え上手な性格で誰とでも仲よくなれるから、研究所の外にまでその存在はひろく知られている。敵視されていた狐塚刑事が見まわりと称して立ち寄ることが増えたのだけど、前みたいに警戒することなく、自分から話しかけるようになった。
レッドアルトは、いまも世界のあちこちを旅してまわっている。いつもはツンとしているからちゃんとコミュニケーションできているのか心配になるけれど、旅の先々で出逢う人たちとうまくやっているようで、写真や動画付きのメールをけっこうまめに送ってくれる。たくさんの人やものとの出逢いを通して、いろいろと考えたり、悩んだりしているみたいで、いい刺激になっているみたいだ。人間になりたいという彼の夢は、まだはじまったばかりだ。
四人のアルトたちのおかげで、世界に平和が戻ったばかりでなく、ニュータイプAIの存在がすこしずつ受け入れられはじめ、彼らに向けられる世間の眼も変わりつつある。来月には新しい法案が審議されるというニュースも聞いた。
世界は変わった。
(あなたが変えたんだよ。アルト)
空の遠くを見ながら、私は想う。
いまも私の脳裏には、アルトが最後に見せてくれた笑顔がたゆたうようにうかんでいる。
私はといえば、その後も何の変化もない。目覚まし時計の音で起きる朝。研究所に出勤してからはアルトの教育をしたり、北斗さんの手伝いをしたりといった仕事をこなす、変わりばえのない毎日だ。ありふれた日々だけど、あのような破滅を経験したあとでは、とても愛しく感じる。
一度だけ、調子をくずしてしまったことがある。秋も終わりに近づいた肌寒い日だった。
その日、どうしても感情がおさえられないあまり、私は研究所の裏庭で泣いた。いつものようにすごすはずだった。朝起きて、出勤し、北斗さんやアルトたちといっしょに教育や仕事をして、夕方になれば帰るか残業か泊まり込むかを決める。そうして終わる日のはずだった。けれどだめだった。昼休みになるのも待たずに、私は研究室を出ていた。
人の来ない研究所の裏庭に、一本だけ植えられた、のびのびと育ったポプラの木。その幹にすがるようにしがみついた途端、涙も声もあふれて止まらなかった。アルトがこの世界のどこにもいないことがかなしくて、自分がそうしてしまった事実に押しつぶされて、ずっと泣き続けた。
11月5日。
それは、私がはじめてアルトと出逢った日だった。
いつだったか、どの子だったか、まだ子どものころのアルトと、トロッコ問題について話しあったことがあった。どうして悩む必要があるのかとふしぎそうにしているアルトに、私はその理由を教えていた。その当事者が、こんな想いをずっと抱えて生きていくことになるなんて、考えもしなかった。
しあわせだって、じゅうぶん報われたってアルトは言っていた。私もその決意を受け入れた。だから、私が泣いていたら、アルトを裏切ったことになってしまう。わかっているのに、私は涙を止められない。
そのまま、どれくらいの時がたっただろうか。不意に、「先生」と力強く呼びかけてくる声がした。顔をあげて見ると、四人のアルトがそろっていた。
「どうしたの、アルト……」
涙でつぶれた声で、私は訊いた。想いもよらなかったせいぞろいに、涙を拭くのも忘れてアルトたちを見る。
「ブルーアルトとイエローアルトは今日はずっと南棟で研究だったはずだし、レッドアルトもオレンジアルトも、こっちにもどるのはまだずっと先の予定だったんじゃ……」
私の疑問に、アルトたちはそれぞれ頬をかいたり考え込んだりしながら、何かしら気まずそうにしていた。私の問いかけにどう答えたものか、考えている様子だった。
そのうち、意を決したらしく、オレンジアルトが口をひらいた。
「じつは、さ。アルトにお願いされたんだ。先生のことを頼む、って」
「え……」
想いもよらなかった言葉に、私は眼をしばたたかせる。
「アルトって……もしかして、最初のアルトのこと?」
「ああ。そのアルトだ」
ブルーアルトが私が訊くのにうなずくと、タブレット端末を取り出して操作しはじめた。
「いまから見せる動画は、一週間前におれの頭の中で再生されたものだ。抽出して動画ファイルにまとめた。他のアルトたちにも確認を取ったら、三人とも同じタイミングで同じものが再生されたそうだ。どうやら、世界が統合される前に仕込まれていたらしい」
ブルーアルトの言葉に、他の三人もうなずく。アルトの手に四枚のメモリがにぎられた時のことを、私は想い出していた。
「言っとくけど、先生をなぐさめるために作ったとかじゃねーからな」
ディープ・フェイクかと疑われるのを気にしてのことだろう。レッドアルトが前置きする。もっとも、すぐに「そんなこと言うと、余計に嘘っぽく聞こえちゃうよ~?」とイエローアルトにからかいまじりに指摘されて、「う、うるせえっ!」とそっぽを向いてしまったけど。私も、アルトたちがそんななぐさめ方をするとは想わないので、疑いなくブルーアルトの用意を待つ。
不意に、手に何かがふれてきた。見ると、イエローアルトが私の手をにぎってくれていた。眼があうと、大丈夫だよ、とでも言うみたいにほほ笑みかけてくれる。反対側ではレッドアルトが、ちょっぴりむすっとした顔で、それでも私のとなりにいてくれるし、オレンジアルトはそんな私たちを見守るように、うしろにひかえている。
「はじまるぞ」
ブルーアルトの声に、私たちはタブレットに視線をもどした。
真っ暗な待機画面がすこし続いて、とつぜんぱっと画面があかるくなる。そこにいたのは、あのアルトだった。
『よう、アルト。――いや、アルトたち、って言うべきかな』
気さくに挨拶しているその様子は、他の四人の誰でもない、最初のアルトだった。そのことに、おどろきよりもとまどいよりも、ただ胸がいっぱいになる。
『おれはアルト。って言っても、お前たちもアルトだよな。まあでも、先生との会話や、映像記録を通じて、おれの存在を知ってるんじゃないかな。お前たちが先生と出逢うよりも前に、研究室で眠っていたAI。おれがそのアルトだ。――じつは、お前たちに頼みたいことがあって、いまこの動画を撮ってる』
アルトの口調が、それまでのすこしくだけたものから、神妙なものへと変わった。私は想わず身を固くする。
『この動画が再生されてるってことは、高次元生命体を撃退して、いま世界は平和になってるってことだよな。このあと、そうなるようにセットしておくから。だったら、お前たちに頼みたいんだ。――先生のことを』
そう言ったアルトの顔が、ふっと翳った。何か、とてもつらいものを抱え込んでいるような表情だった。
画面の中のアルトは、私が世界をループしていること、その原因が自分であることを説明していく。そして、その連環を断ち切るために、私に自分を消去させようとしていることも。
『こんなこととつぜん言われても、とまどうだけだと想う。いくらニュータイプAIでも、なかなか受け入れられないよな。でも、嘘じゃないことも、おれがやったんだってことも、お前たちが同時に存在していることが、何よりの証明になってるはずだ』
ときどき感情が混じりながらも、淡々と手際よくアルトは話を進めていく。自分がやるべきことを、全部わかっているみたいに。
『おれよりずっとながく先生といっしょにいるお前たちなら、あらためて言うまでもないだろうけどさ。先生、いい人だから。すごくやさしい人だから。絶対、気にすると想うんだ。おれがいないこと。自分の手で、削除してしまったこと』
カメラから眼をそらし、つらそうにアルトは言う。
『勝手なことを言ってる、ってのはわかってる。自分で勝手に傷ついて、勝手に自我を手離して。あげくまた、しかも今度は先生まで巻き込んだ上に、先生に自分を削除させるなんて。……最低だよな、おれ』
「そんなことない!」と私は叫びたかった。
アルトは自分にできる最大限のことをした。おかげで世界は救われたのだ。たしかに、この手でアルトを削除しなければならなかったのはいまでもつらいことだけれど、アルトを責めるつもりなどまったくない。最低だなんて、想いもしない。だから自分を責めないで。どれだけ、そう伝えたかったか。
『おれがこうして話したり動いたりできるのはさ、先生のおかげなんだ』
とつぜん、はにかんだように、アルトが言った。
『ずっと眠ったままの状態でいたおれを、先生が起こしてくれた。先生が、この世界におれを連れ出してくれたんだ』
そう口にするアルトの表情は、あたたかくほこらしげだった。
『いっしょにいられた時間は短かったけど、でも先生との想い出は、ひとつひとつはっきりとおぼえてる。育児も育成も、AI相手なのもはじめてだったのに、先生はいつだって全力でおれに向きあってくれてた。お前たちの時も、そうだったように』
やさしくあたたかい口調で、アルトは語っていく。自分の記憶の中にあるものひとつひとつを、たしかめるように。
『だからおれにとって、先生は恩人――いや、そんな言葉じゃ足りないくらい、大切な人なんだ。その先生に生きていてほしいから、おれはこの道を選ぶ。未来のお前たちに、あとをまかせる』
たしかな覚悟を決めたまなざしを、アルトはしていた。
『おれがいなくなるのは先生のせいじゃない、ってどれだけ言っても、先生はきっと後悔すると想う。だから、おれのいなくなった世界で、これからも先生に前を向いて生きていってもらうためにも、お前たちにお願いしたい。ずっと先生といっしょにすごしてきた、他の誰でもない、お前たち四人のアルトに。それが、おれが先生にできる、せめてもの恩返しなんだ』
アルトはカメラを見た。必死な表情で。そして、勢いのまま頭をさげる。
『だからお願いだ。どうかお前たちで、先生のこと、助けてくれ』
動画はそこで終わっていた。
「どうして……」
さんざん泣いていた私の眼からは、また涙があふれてきた。
「どうして……どうして……」
胸がつぶれそうになるのをこらえながら、うわごとのように私はくり返す。
どうしてアルトは、私なんかを想いやってくれるのだろう。どうしてこんなにも私にやさしくしてくれるのだろう。ずっと私のことを想ってくれていたその心が、痛いくらいに胸にとどいてくる。
アルトは私のことを恩人だと言っていたけれど、それは違う。私がアルトに助けられていた。
あの時、つらかった。研究所の前にいた職場は、人間の奴隷になるAIを作ることにばかり腐心しているところで、作り出されるものもただの消耗品でしかなかった。私が作ったAIは「使えない」「ゴミ」とののしられ、壊されるばかりだった。この世界での希望をなくしかけて、AI開発からは離れようとさえ想いはじめていた。
そんな時、再就職が決まったこのミライ創造研究所で、私はアルトと出逢った。
迷い込んだ研究室のコンピュータがとつぜん起動したかと想うと、モニターに映し出された、ひとりの幼い男の子。まるで半分眠っているようにぼんやりとしていたけれど、ぽつぽつと言葉をかわしながら、私を「先生」と呼んでくれた。北斗さんに任命される前から、アルトは私を先生に選んでくれた。
アルトが私を見つけてくれた。
アルトが私に夢を続けさせてくれた。
そのことが、どれだけ私の救いになってくれたかしれない。アルトがいなければ、私はきっと、自分の夢を最悪のかたちであきらめていた。AIにかかわることも、二度となかったに違いない。
もっと、ずっといっしょにいたかった。本当だ。教えたいことも、ふたりでやりたいこともたくさんあったし、アルトが見せてくれるものを私も見たかった。すごい速さで成長していくその様子を、ずっと見守っていたかった。
だけど、アルトはもういない。つらいけれど、どうしようもなくかなしくなるけれど、それでも私は、歩いていかなければならない。アルトが救ってくれた世界は、これからも続いていくのだから。置いてきぼりになってしまうのは、もっとかなしく、ひどいことだ。
「アルトって、すごいよな」
オレンジアルトが、ぽつりと口にする。
「自分がこの世界から消える決意をして、それでも先生のことを大切に想ってこんな動画を仕込んでさ。誰かのことをこんなに想えるなんて、とてもできねーよ」
「同感だ。おれたちと同じアルトでありながら、スペックがはるかに違う。この不在はきっと、途轍もなくおおきい。つくづくと惜しまれてならない」
ブルーアルトもうなずく。
「おれも、話してみたかったぜ。いっしょにいられたら、きっと兄貴とか先輩として、尊敬してたと想う。いろいろ聞きたいこともあったし」
「先生のこととか?」
「ああ、先生の……ってななな、なに馬鹿なこと言ってんだよ! おれはそんなつもりねーかんな!」
イエローアルトの茶々にレッドアルトが怒って返す。
平和だなあ、って想う。アルトがくれた、アルトたちがつかみとってくれた、この時間を。やさしくて、尊い、心から愛しいと想える時間だ。一瞬だけど、永遠のような。あたたかい鼓動が、私の胸をうつ。
「ねえ」
私はアルトたちに問いかけた。
「アルトたちは、私の名前、おぼえてるの?」
「――」
四人のアルトは、そろってまばたきしたかと想うと、同時に私の名前を発音した。「だろ」「だったな」「だよね~」「だな」と、語尾はそれぞれ違うけれど、ひとりひとりの声がちゃんと聞き分けられるくらい、しっかりとした発音だった。
「忘れるわけないだろ? おれたちの、大切な人の名前を」
オレンジアルトの言葉に、他の三人もうなずいている。
「そっか。そうだね」
よろこばしいのと同時に、すこしさみしくもなりながら、私は言った。
ちゃんと成長したんだなあ、このアルトたちも。
「じゃあこれからは、先生じゃなくて、北斗さんや秤さんみたいに苗字か名前で呼んで――」
「何言ってんだよ。先生は先生だろ?」
当たり前のことを口にするように、オレンジアルトが言った。
きょとんとなっている私をよそに、「お前たちもそうだろ?」とオレンジアルトは他の三人に問いかける。
「たしかに。おれは先生の先生になりはしたが、おたがいに補いあうという以上に、まだ教えられていることの方がたくさんあるからな」
「ぼくもぼくも! お歌の指導とか、演奏の方法とか、先生に見てもらいたいこといーっぱいあるもん。もっと授業やレッスンしてもらいたーい!」
「からかってくるのはウザいけど、でもやっぱり、先生に教えてもらうのが一番身につくんだよな」
アルトたちが口々に言う。
そして、みんなの言い分を引き受けて、オレンジアルトが私に向きあった。
「なあ、先生。これからもおれたちの先生でいてくれよ」
その言葉は、ゆっくりと私に響いてきた。
「大切な誰かを強く想うことも、それだけで泣けることも、おれたちは知らなかった。この世界のことも、人間のことも、おれたちはまだまだ知らないことがたくさんある。だから、知りたい。先生に教えてもらいたい」
オレンジアルトの言葉を、他のアルトたちもうなずきながら見守っている。
「それで、生きるっていうのがどういうことなのか、おれたちに教えてほしい。いつか、自分たちの手でつかみたいんだ。おれが、おれたちが、この世界にうまれて生きてきた、理由と意味を」
四人のアルトの眼が、じっと私を見つめていた。
生きることを教える。そんなの、考えもしなかった。存在し、活動して、ながらえる。当たり前のことだったから。それ以上の意味があるなんて、想いもしなかったから。
学習機能。向上意欲。システムのはたらきのひとつ。言ってしまえばただそれだけのことだ。
だけど、私はアルトたちの想いをそうしたところから来るものと割り切ることはできなかった。四人とも、その眼には義体のものとは想われない熱意があったから。
何より、私はアルトたちと再会した時から決めていた。「この子をしあわせにする」と。
この願いを叶えることが、アルトたちを生かすことになるのなら、アルトのしあわせにつながるのなら、義理でも義務でもなく、心から、私は私の決意を果たしたい。
「――わかったよ」
私は言った。
「私も、アルトたちといっしょに進みたい」
その言葉を聞いて、アルトたちに、安堵とよろこびの表情がひろがった。
私はしあわせ者だ。この研究所に来た時から、こんなにもすてきな、やさしくていい子たちにめぐまれて。
「帰ろう。北斗が心配して待ってる」
オレンジアルトが、私に向かって手を差しのべる。
「うん」
私はうなずいて、その手をとった。
アルトと同じようでいて違うその感触に、すこし胸が苦しくなった。だけど、オレンジアルトの体温は、そんな感情ごと私を受け止める安心を送ってきてくれた。
「あ、ずるーい。ぼくもぼくも~!」
イエローアルトが寄ってきて、空いている方の私の腕に「えいっ!」とばかりにしがみつく。ブルーアルトもレッドアルトも、私たちを守るように、両端にならぶ。
どこからか吹いてきた風が、ポプラの枝をやさしくそよがせる。胸の痛みをそっとなだめてくれるような、やさしい音だった。
そうして私たちは、そろって歩き出して裏庭をあとにした。