愛しのマイガール
──もうすぐ、今日が終わる。
全てのレッスンを終え、そう思ったはずだった。けれど私の足は、自然と書斎へと向かっていた。
机に並べたのは、午後に使った資料のコピーと、天城さんから受け取った書類の写し。蛍光ペンとメモを広げ、気づいたことを一つずつ整理する。
少しでも、自分の言葉で説明できるように。
“受け身のまま”ではなく、ちゃんと自分の言葉で闘えるように。
「……、」
でも、ペンを持つ指が少し震えているのに気づいたのは、数ページ目に差しかかった頃だった。
まぶたの裏が熱い。
肩に鉛でも乗っているみたいに、背筋が重い。
頭の奥が、ふわふわと浮いているような感じがして。
「……あと少しだけ」
そうつぶやいてページをめくったとき——
「まだ起きてるのか」
その声に、心臓が跳ねた。
顔を上げると、書斎の入り口にハルちゃんが立っていた。
ネクタイを緩め、シャツの袖を少しまくり上げていて、いつもより少しだけ砕けた空気をまとっていた。
「おかえりなさい。き、今日は早かったんだね」
そう言って、私は笑った。
ハルちゃんはいつも通りの、穏やかな顔のつもりだった。
でも、その雰囲気はどこかピリピリとしていて、なんだかいけないことをしている気分になって、私は少し体が強張ってしまった。
「そんなに棍詰めて……なにしてたんだ?」
「…えっと、今日教えてもらったことを、ちょっとだけ見返してたの。明日までに、頭に入れておきたくて……」
そう言いながら、ペンを握る手を机の上に置いたまま、微かに指先がしびれているのを感じていた。
ハルちゃんは近づいて、資料を手に取り、それを伏せて置いた。
「無理するなって言っただろ」
「ううん、大丈夫。ほんとに平気だよ」
また、笑った。
なんだか初めて見るハルちゃんの様子が、少しだけ怖かった。
「……あ、あのね、教育部門のところで、少しわからないところがあって。たとえばここの──」
言葉が途中で止まった。
瞬間、頭の奥が、揺れた。
目の前の景色がふわりとにじんで、ハルちゃんの顔がぼやけた。
「るり……?」
椅子の背もたれに預けていた体が、ゆっくりと傾いでいく。
全身の力が抜けて、心臓の音だけが遠くで響いていた。
「——るり!」
その声が最後に聞こえた。
腕が伸びてくる。
そのぬくもりに触れる前に、私は意識の底へと沈んでいった。