愛しのマイガール
❁。✩


執務机の上に広げられた数枚の決裁書類にようやく目を通し終えたのは、日が沈み始めた頃だった。窓の外には、春の終わりを告げるような淡い夕焼けが広がっている。


「専務、本日分の確認書類はこちらですべてです。明日午前の本部会議用の資料案も関連部署から届いておりますが、ご覧になりますか」

傍らに控えていた秘書の水嶋が、淡々と報告する。

「いや、確認は明日にする。今日はこれで帰る」

「かしこまりました。では車を回します」

椅子を引き立ち上がったとき、不意に朝の光景が脳裏に差し込んできた。

「いってらっしゃい」と見送ってくれた、あの子の笑顔。

(誰かの笑顔で見送られたのは、いつぶりだろう)

ただの一瞬のはずなのに、まだ胸に残っている。
今日一日、何件もの案件に目を通したはずなのにあの声だけが不自然に脳裏から離れない。

水嶋が手早く上着を整え、ドアの前で一礼した。

「車はすぐに正面口へ。お帰りは別邸でよろしいですね?」

「……ああ」

頷きながら歩き出す。
可愛いあの子が家で待っていてくれると思うと、それだけで胸が弾む。

けれど──

(彼女は、もう俺に守られるだけではいてくれないんだろうな)

本当はどこまでも甘やかしていたい。守りたいと思うほど、このままでは彼女が離れていきそうで怖くなる。

寂しさに似た感情が、胸の奥に広がる。

どろどろになるまで甘やかして、抱きしめて、どこにも行かないように囲って。俺がいないと一人で立つこともできないくらい、溺れさせたい。
──そんな衝動が、自分の中にある。

るりがいないと、自分の輪郭さえ分からなくなる。

彼女を守っているようで、支えられているのは俺の方なのかもしれない。

スマートフォンを確認しかけて、指を止める。
メッセージを送ろうかとも思ったが、今はやめた。

(少しでも俺がいない時間を、寂しいと感じて欲しい)

そんなことを考えながら、静かに車へと向かう。

夕焼けの街が、少しずつ夜に染まりかけていた。


< 96 / 200 >

この作品をシェア

pagetop