傲慢な世界よ、私が壊してあげるわ~公爵令嬢に転生したOLは悪の覇道を突き進む
第125話 討伐宣言
バニア皇国は、クライナイン王国の北西に位置する歴史ある君主制国家だ。さかのぼること七百年、かつては東のヴィスタ帝国と共に一つの巨大な統一国家として大陸に覇を唱えていた。
しかし、時の皇帝の死後、後継を巡って兄弟が骨肉の争いを繰り広げ、広大な領土は真っ二つに分裂した。以来、両国は長きにわたり国境を接する宿敵として、血みどろの抗争を繰り返している。
現在のバニア皇国は、クライナイン王国に比べて国土こそ若干狭いものの、豊かな水脈に恵まれた農業地帯を抱え、人口や経済力はほぼ同等と目されていた。
ミレーヌの「滅ぼす」という言葉に、会議室の空気は凍りついた。オーク材のテーブルを囲む重鎮たちの動きが静止する。
重苦しい沈黙を破ったのは、大将のジャックだった。彼は豊かな顎鬚を撫でながら、探るような低い声で口を開く。
「陛下の御決定に異を唱えるつもりは毛頭ございません。ですが、よろしければその理由をお聞かせ願えますか?」
ミレーヌは優雅に組んでいた指を解き、アイスブルーの瞳で歴戦の将を見据えた。
「簡単なことよ。先日、彼らはヴィスタ帝国に手痛い敗北を喫したの。傷を負って弱っている敵の喉元を噛み切るのは、兵法の常套手段でしょう?」
先月、バニア皇国は帝国のカルニツァ金山を奪取すべく大軍を動かした。しかし帝国軍の堅牢な防陣を崩せず、大きな損害を出して敗走したという情報がもたらされていた。
「なるほど、確かに好機ですな」
ジャックが短く納得すると、もう一人の大将、ゲオルク・グラックが身を乗り出した。
「だがよ、ヴィスタ帝国はどうなんだ?」
ゲオルクは傭兵時代から変わらず、気安く語りかける。パトリスなど年長者がやんわりと窘めても「契約書に基づいてる」とうそぶく。何よりも当のミレーヌがそのような事を全く気にしていない。
「以前、皇帝と結んだ不可侵協定は、一年という期限が切れたばかりだ。こちらがバニアに攻め込んだ隙を突いて、帝国が背後から雪崩れ込んでくる危険性はあるんじゃないか?」
ゲオルクの問いかけは、誰もが抱くもっともな懸念だった。しかし、若き女王は微塵も揺るがない。彼女は微かに口角を上げ、冷徹な笑みを浮かべた。
「帝国は激しい防衛戦を終えたばかり。金山を守り抜いたとはいえ、新たに領土を獲得したわけでもなく、戦費だけが嵩んだ状態。今、他国へ侵攻するほどの経済的余裕も、兵站の余力は常識的に考えるとないわ」
「……違いない。防衛戦ってのは、勝っても懐が潤うわけじゃないしな」
ゲオルクは、ミレーヌの分析に深く頷いて背もたれに体を預けた。それを見たミレーヌは淡々と命じる。
「総勢六万をジャックに預ける。目的はバニア皇国の征服よ。目的達成のための過程は問わないわ」
「承知しました」
ジャックが一礼すると、宮内庁長官パトリスが恐る恐る確認した。
「陛下、討伐する公的な理由はいかがいたしましょうか?」
「公的な理由? そんなの不要よ。私の支配下にないものはすべて討伐対象」
「しょ、承知しました」
パトリスを一瞥したミレーヌの胸中には、カッツー王国を滅ぼしただけで満足するつもりなど、最初から毛頭なかった。
彼女を否定したこの理不尽な世界そのものを解体し、自らの手で再構築する。そのためには邪魔な障害物を一つずつ事務的に排除するだけのことなのだ。
「ラウール」
ミレーヌは視線を移し、商業庁長官を呼ぶ。
「はっ。何なりと」
「例の件はどうなってるの?」
「数か月前から商人たちを通じて餌蒔きしております」
中年の商人は深々と頭を下げながら、ニヤリと口元を歪ませた。
「陛下、よろしいでしょうか」
その直後、宰相のレベッカが、感情を排した平坦な声で静かに問いかける。
「例の『布石』、今回使うと解釈してよろしいのですね?」
「もちろんよ。そのために配置しておいたのだからね」
「承知いたしました。では、兵站の構築につきましては、ただちに財務庁長官および農政庁長官と詰めておきます」
レベッカの淀みない言葉に、財務庁長官のカインは心の中で深くため息をついた。
涼しい顔を保ちながらも、彼の脳内では突然の出兵に伴う莫大な戦費と物資の計算を繰り返していた。完璧主義者の宰相レベッカと、実直な農政庁長官シェロンの間に挟まれる調整は、確実に自分の肩に重くのしかかってくる。
(……『なんとかします』と言いたいところだけど、今回はかなり骨が折れそうだよな)
カインは、背筋を伝う嫌な汗を悟られぬよう、無言で手元の羊皮紙に視線を落とした。
◆◇◆◇
それから二週間後。王都クーロンヌ・ダルジャンにて、クライナイン王国は正式に「バニア皇国討伐」の布告を発した。
女王ミレーヌが下した決断は、総大将にジャックを任命し、常備軍十一万の過半数である六万を割くという乾坤一擲の大攻勢だった。すでに王都の外縁では、真新しい軍服に身を包んだ兵士たちの隊列が地響きを立て、無数のマスケット銃が冷たく輝いている。
討伐宣言の報は、張り紙と触れ役の声を通じて、瞬く間に活気あふれる王都の隅々へと広がっていった。
その雑踏の陰で、一枚の布告を鋭い眼光で凝視している粗末な身なりの男がいた。彼は周囲の熱狂から逃れるように目深に被った帽子を直し、周囲を警戒するように一瞥する。そして、誰にも気づかれぬよう身を翻すと、王都の暗がりへと疾風のように走り去っていった。
しかし、時の皇帝の死後、後継を巡って兄弟が骨肉の争いを繰り広げ、広大な領土は真っ二つに分裂した。以来、両国は長きにわたり国境を接する宿敵として、血みどろの抗争を繰り返している。
現在のバニア皇国は、クライナイン王国に比べて国土こそ若干狭いものの、豊かな水脈に恵まれた農業地帯を抱え、人口や経済力はほぼ同等と目されていた。
ミレーヌの「滅ぼす」という言葉に、会議室の空気は凍りついた。オーク材のテーブルを囲む重鎮たちの動きが静止する。
重苦しい沈黙を破ったのは、大将のジャックだった。彼は豊かな顎鬚を撫でながら、探るような低い声で口を開く。
「陛下の御決定に異を唱えるつもりは毛頭ございません。ですが、よろしければその理由をお聞かせ願えますか?」
ミレーヌは優雅に組んでいた指を解き、アイスブルーの瞳で歴戦の将を見据えた。
「簡単なことよ。先日、彼らはヴィスタ帝国に手痛い敗北を喫したの。傷を負って弱っている敵の喉元を噛み切るのは、兵法の常套手段でしょう?」
先月、バニア皇国は帝国のカルニツァ金山を奪取すべく大軍を動かした。しかし帝国軍の堅牢な防陣を崩せず、大きな損害を出して敗走したという情報がもたらされていた。
「なるほど、確かに好機ですな」
ジャックが短く納得すると、もう一人の大将、ゲオルク・グラックが身を乗り出した。
「だがよ、ヴィスタ帝国はどうなんだ?」
ゲオルクは傭兵時代から変わらず、気安く語りかける。パトリスなど年長者がやんわりと窘めても「契約書に基づいてる」とうそぶく。何よりも当のミレーヌがそのような事を全く気にしていない。
「以前、皇帝と結んだ不可侵協定は、一年という期限が切れたばかりだ。こちらがバニアに攻め込んだ隙を突いて、帝国が背後から雪崩れ込んでくる危険性はあるんじゃないか?」
ゲオルクの問いかけは、誰もが抱くもっともな懸念だった。しかし、若き女王は微塵も揺るがない。彼女は微かに口角を上げ、冷徹な笑みを浮かべた。
「帝国は激しい防衛戦を終えたばかり。金山を守り抜いたとはいえ、新たに領土を獲得したわけでもなく、戦費だけが嵩んだ状態。今、他国へ侵攻するほどの経済的余裕も、兵站の余力は常識的に考えるとないわ」
「……違いない。防衛戦ってのは、勝っても懐が潤うわけじゃないしな」
ゲオルクは、ミレーヌの分析に深く頷いて背もたれに体を預けた。それを見たミレーヌは淡々と命じる。
「総勢六万をジャックに預ける。目的はバニア皇国の征服よ。目的達成のための過程は問わないわ」
「承知しました」
ジャックが一礼すると、宮内庁長官パトリスが恐る恐る確認した。
「陛下、討伐する公的な理由はいかがいたしましょうか?」
「公的な理由? そんなの不要よ。私の支配下にないものはすべて討伐対象」
「しょ、承知しました」
パトリスを一瞥したミレーヌの胸中には、カッツー王国を滅ぼしただけで満足するつもりなど、最初から毛頭なかった。
彼女を否定したこの理不尽な世界そのものを解体し、自らの手で再構築する。そのためには邪魔な障害物を一つずつ事務的に排除するだけのことなのだ。
「ラウール」
ミレーヌは視線を移し、商業庁長官を呼ぶ。
「はっ。何なりと」
「例の件はどうなってるの?」
「数か月前から商人たちを通じて餌蒔きしております」
中年の商人は深々と頭を下げながら、ニヤリと口元を歪ませた。
「陛下、よろしいでしょうか」
その直後、宰相のレベッカが、感情を排した平坦な声で静かに問いかける。
「例の『布石』、今回使うと解釈してよろしいのですね?」
「もちろんよ。そのために配置しておいたのだからね」
「承知いたしました。では、兵站の構築につきましては、ただちに財務庁長官および農政庁長官と詰めておきます」
レベッカの淀みない言葉に、財務庁長官のカインは心の中で深くため息をついた。
涼しい顔を保ちながらも、彼の脳内では突然の出兵に伴う莫大な戦費と物資の計算を繰り返していた。完璧主義者の宰相レベッカと、実直な農政庁長官シェロンの間に挟まれる調整は、確実に自分の肩に重くのしかかってくる。
(……『なんとかします』と言いたいところだけど、今回はかなり骨が折れそうだよな)
カインは、背筋を伝う嫌な汗を悟られぬよう、無言で手元の羊皮紙に視線を落とした。
◆◇◆◇
それから二週間後。王都クーロンヌ・ダルジャンにて、クライナイン王国は正式に「バニア皇国討伐」の布告を発した。
女王ミレーヌが下した決断は、総大将にジャックを任命し、常備軍十一万の過半数である六万を割くという乾坤一擲の大攻勢だった。すでに王都の外縁では、真新しい軍服に身を包んだ兵士たちの隊列が地響きを立て、無数のマスケット銃が冷たく輝いている。
討伐宣言の報は、張り紙と触れ役の声を通じて、瞬く間に活気あふれる王都の隅々へと広がっていった。
その雑踏の陰で、一枚の布告を鋭い眼光で凝視している粗末な身なりの男がいた。彼は周囲の熱狂から逃れるように目深に被った帽子を直し、周囲を警戒するように一瞥する。そして、誰にも気づかれぬよう身を翻すと、王都の暗がりへと疾風のように走り去っていった。