傲慢な世界よ、私が壊してあげるわ~公爵令嬢に転生したOLは悪の覇道を突き進む
第137話 ザハツ平原
首都クーロンヌ・ダルジャンを出発して二ヶ月半。ジャック・レルネ大将率いる六万のクライナイン王国軍は、国境を越え、バニア皇国の懐深くへと侵攻を続けていた。バニア側の抵抗は、拍子抜けするほどに乏しい。国境付近の砦は、王国軍の放つ銃火の前に数時間と持たず開城し、進軍は予定表をなぞるように順調そのものだった。
本陣の天幕。重厚な作戦机を囲むジャックの元に、情報庁の密偵が埃まみれの姿で飛び込んできた。
「ご報告いたします! この先の要衝、ザハツの平原にて、バニア皇国軍が迎撃態勢を敷いているのを確認しました。敵の兵員はおよそ二十三万」
その報告に、天幕内の参謀たちが微かにざわめいた。ザハツは首都カインエへと至る街道の喉元にあたる。ここを抜ければ首都までは遮るもののない大平原が続く。バニア側がここに持てるすべてを注ぎ込むのは、必然であった。
「二十三万……ほぼ全軍か」
ジャックは、太い腕を組みながら低く呟いた。
「どうやら、我々を油断ならぬ敵と見なしてくれたようだな」
「重歩兵の姿はあったか?」
建国後、ジャックの副官から少将に昇進したジルダが密偵に尋ねた。
「はい。展開する前に後方から多数の重量馬車が、分厚い鋼の装甲を運び入れているのを確認しております」
ジルダは顔をしかめた。バニア皇国の重歩兵団は、歴史的に見ても特異な存在だ。兵士は全身を隙間のない鋼の鎧で固め、その手に持つ大盾は高さ一メートル八十センチ、厚さは三センチを超える。文字通りの「歩く城壁」だ。そのあまりの重量ゆえに他国への遠征には向かないが、こと平原での防衛戦においては、いかなる突撃も銃撃も跳ね返してきた。
「重歩兵団が二万か。以前ならば、確かにそれだけで勝敗は決まるだろうな」
そう言い切ったジャックは、机上の地図を指先で叩きながらつぶやいた。
「それよりも……」
「それよりも、とは?」
首を傾げるジルダに、ジャックは静かな声で答えた。
「あまり、殺したくないのだがな」
「なぜです?」
「簡単なことだ。我々の目的はバニア皇国の征服だ。だが、征服したところで、土地を耕し、税を納める民や労働力がいなくなってしまっては、得られる利益が激減する。国を滅ぼしても、人がいなくなったら意味はないからな」
「なるほど。確かにその通りです。それで、女王陛下はなんとおっしゃっているのですか?」
「陛下からは、とくに細かい指示はない。『目的達成のための過程は問わない』と言われただけだ」
ジャックは、アイスブルーの瞳を持つ主君の顔を思い浮かべた。
「つまり、無駄な殺戮は避けつつ、最大の利益を生む形で上手く立ち回れということだろうな」
ジャックは地図に視線を落とし、二人の部将に指示を出した。
「ダヴィド少将は右翼を、ジルダ少将は左翼を任せる。中軍は私が直接指揮を執る。二人とも、例の件、忘れるなよ」
ダヴィド少将は、旧公爵家騎士団第一部隊長を務め、堅実な指揮で知られる男だ。彼とジルダは、ジャックの言葉に力強く頷いた。
「「承知いたしました」」
◆◇◆◇
四日後。ザハツの平原は、眩い夏の陽光と、死を予感させる静寂に包まれていた。
平原を隙間なく埋め尽くしたバニア皇国軍二十三万の軍容は、まさに大地を覆い尽くす鋼の海だ。太陽の光を反射する無数の槍の穂先が、不気味な波のようにうねっている。
その中心には、巨大な大盾を隙間なく並べた二万の重歩兵団が、不動の巨人の如く鎮座していた。
対するクライナイン軍六万は、広大な平原の端で、薄く、心許ない横陣を敷いている。
バニア皇国軍の本陣。総大将オメア・ボイトラー将軍は、高台から敵の陣形を睥睨し、鼻で笑った。
「拍子抜けだな。カッツー王国を飲み込んだというから、どんな恐ろしい知略を用いるかと思えば。六万の寡兵を三つに分け、ただ横に並べただけか」
オメアは歴戦の将だ。三分割された陣形は柔軟性に欠け、一箇所が突破されれば全軍が崩壊するリスクを孕んでいる。
「将軍閣下、敵の意図が見えません。罠の可能性も考慮すべきかと」
慎重派の副官の言葉を、オメアは一喝した。
「罠だとしても、この兵力差を覆す策など存在せん。あの薄い横陣。中軍を重歩兵の重圧で押し潰し、逃げ場を失った左右の両翼を後続の全軍で包み込めば、それで終わりだ。小細工は圧倒的な数の前には無力だということを、教えてやる」
オメアは愛馬の首を叩き、全軍に向けて剣を掲げた。
「不敗の盾を前へ! クライナインの思い上がりを、鋼の重みで圧殺せよ。全軍、前進!」
地響きのような雄叫びが平原を揺らした。バニア皇国の誇る二万の重歩兵が、一歩、また一歩と、死の行進を開始した。その巨大な質量が動き出した瞬間、バニアの勝利を疑う者は、その場に一人もいなかった。
本陣の天幕。重厚な作戦机を囲むジャックの元に、情報庁の密偵が埃まみれの姿で飛び込んできた。
「ご報告いたします! この先の要衝、ザハツの平原にて、バニア皇国軍が迎撃態勢を敷いているのを確認しました。敵の兵員はおよそ二十三万」
その報告に、天幕内の参謀たちが微かにざわめいた。ザハツは首都カインエへと至る街道の喉元にあたる。ここを抜ければ首都までは遮るもののない大平原が続く。バニア側がここに持てるすべてを注ぎ込むのは、必然であった。
「二十三万……ほぼ全軍か」
ジャックは、太い腕を組みながら低く呟いた。
「どうやら、我々を油断ならぬ敵と見なしてくれたようだな」
「重歩兵の姿はあったか?」
建国後、ジャックの副官から少将に昇進したジルダが密偵に尋ねた。
「はい。展開する前に後方から多数の重量馬車が、分厚い鋼の装甲を運び入れているのを確認しております」
ジルダは顔をしかめた。バニア皇国の重歩兵団は、歴史的に見ても特異な存在だ。兵士は全身を隙間のない鋼の鎧で固め、その手に持つ大盾は高さ一メートル八十センチ、厚さは三センチを超える。文字通りの「歩く城壁」だ。そのあまりの重量ゆえに他国への遠征には向かないが、こと平原での防衛戦においては、いかなる突撃も銃撃も跳ね返してきた。
「重歩兵団が二万か。以前ならば、確かにそれだけで勝敗は決まるだろうな」
そう言い切ったジャックは、机上の地図を指先で叩きながらつぶやいた。
「それよりも……」
「それよりも、とは?」
首を傾げるジルダに、ジャックは静かな声で答えた。
「あまり、殺したくないのだがな」
「なぜです?」
「簡単なことだ。我々の目的はバニア皇国の征服だ。だが、征服したところで、土地を耕し、税を納める民や労働力がいなくなってしまっては、得られる利益が激減する。国を滅ぼしても、人がいなくなったら意味はないからな」
「なるほど。確かにその通りです。それで、女王陛下はなんとおっしゃっているのですか?」
「陛下からは、とくに細かい指示はない。『目的達成のための過程は問わない』と言われただけだ」
ジャックは、アイスブルーの瞳を持つ主君の顔を思い浮かべた。
「つまり、無駄な殺戮は避けつつ、最大の利益を生む形で上手く立ち回れということだろうな」
ジャックは地図に視線を落とし、二人の部将に指示を出した。
「ダヴィド少将は右翼を、ジルダ少将は左翼を任せる。中軍は私が直接指揮を執る。二人とも、例の件、忘れるなよ」
ダヴィド少将は、旧公爵家騎士団第一部隊長を務め、堅実な指揮で知られる男だ。彼とジルダは、ジャックの言葉に力強く頷いた。
「「承知いたしました」」
◆◇◆◇
四日後。ザハツの平原は、眩い夏の陽光と、死を予感させる静寂に包まれていた。
平原を隙間なく埋め尽くしたバニア皇国軍二十三万の軍容は、まさに大地を覆い尽くす鋼の海だ。太陽の光を反射する無数の槍の穂先が、不気味な波のようにうねっている。
その中心には、巨大な大盾を隙間なく並べた二万の重歩兵団が、不動の巨人の如く鎮座していた。
対するクライナイン軍六万は、広大な平原の端で、薄く、心許ない横陣を敷いている。
バニア皇国軍の本陣。総大将オメア・ボイトラー将軍は、高台から敵の陣形を睥睨し、鼻で笑った。
「拍子抜けだな。カッツー王国を飲み込んだというから、どんな恐ろしい知略を用いるかと思えば。六万の寡兵を三つに分け、ただ横に並べただけか」
オメアは歴戦の将だ。三分割された陣形は柔軟性に欠け、一箇所が突破されれば全軍が崩壊するリスクを孕んでいる。
「将軍閣下、敵の意図が見えません。罠の可能性も考慮すべきかと」
慎重派の副官の言葉を、オメアは一喝した。
「罠だとしても、この兵力差を覆す策など存在せん。あの薄い横陣。中軍を重歩兵の重圧で押し潰し、逃げ場を失った左右の両翼を後続の全軍で包み込めば、それで終わりだ。小細工は圧倒的な数の前には無力だということを、教えてやる」
オメアは愛馬の首を叩き、全軍に向けて剣を掲げた。
「不敗の盾を前へ! クライナインの思い上がりを、鋼の重みで圧殺せよ。全軍、前進!」
地響きのような雄叫びが平原を揺らした。バニア皇国の誇る二万の重歩兵が、一歩、また一歩と、死の行進を開始した。その巨大な質量が動き出した瞬間、バニアの勝利を疑う者は、その場に一人もいなかった。