傲慢な世界よ、私が壊してあげるわ~公爵令嬢に転生したOLは悪の覇道を突き進む

第142話 大きな木箱

 バニア皇国の首都カインエから西へ向かう荒れた街道を、数台の質素な馬車の質素な馬車が進んでいる。車内には、祖国を捨てた皇王ガリオン三世と、その家族たちの青ざめた顔があった。連日の逃避行により、彼らの体力と精神はすでに限界に達している。水も食料も乏しく、幼い子供たちは疲労から声も出せずにぐったりとしていた。

「陛下、この先の領主であるベアグ男爵が、館での休息を申し出ております」

 御者を務める近衛兵が、窓越しに報告した。ガリオン三世は、深い安堵の溜息を漏らす。

「そうか。ベアグの忠義に感謝せねばな。少しだけ休ませてもらおう」

 馬車が館の中庭に到着すると、丸々と太ったベアグ男爵が使用人を引き連れて出迎えた。彼はガリオン三世の前に進み出ると、恭しく地面に膝をつき、深々と頭を下げる。

「陛下、よくぞおいでくださいました。ささ、温かい食事と柔らかな寝台をご用意しております」
「すまない、ベアグ。そなたの恩は決して忘れぬ」

 泥と埃にまみれた過酷な逃避行の末、ガリオン三世の心身はすでに限界に達していた。それゆえに、ベアグの用意した温かなもてなしは、皇王の目には砂漠のオアシスのように映った。

「これでようやく、久々にゆっくりと休める……」

 ガリオン三世は深い息を吐き、微かに頬を緩める。恭しく先導し、主君を館の奥へと案内していくベアグ。その後ろに続く近臣たちもまた、幾日も続いた死の恐怖から解放され、すっかり安堵しきった表情を浮かべていた。

◆◇◆◇

 首都カインエを無血で制圧したジャック・レルネ大将は、ただちに王宮内を捜索させたが、ガリオン三世をはじめとする皇王一家の姿はどこにもなかった。

「やはり、逃げたか」

 ジャックは眉間を揉みながら、各街道へ追手の部隊を放つよう指示を出す。そして、別室で丁重に軟禁している相国ラフル・シュヴェリーンの元を訪ねた。ラフルは、敗戦処理から開城に至るまで、見事なまでに理性的かつ完璧な手際を見せていた。その実務能力の高さは、クライナイン王国の宰相レベッカに通じるものがある。ジャックは、この老臣をなんとかミレーヌの配下に加えたいと考えていた。

「ラフル殿。皇王一家の行方について、何かご存知ないか?」
「私には分かりかねます」

 ラフルはそれ以上は口を閉ざした。その強固な忠誠心に、ジャックは深く追求することを諦め、静かに部屋を後にする。

◆◆◆◆

 一週間後、王宮の執務室でジャックが部将たちと今後の統治について協議していると、伝令が駆け込んできた。

「大将! ベアグと名乗るバニア皇国の貴族が、面会を強く申し出ております」

 ジャックは、アルノー・ルベ中佐ら数名の幹部と共に、その貴族を応接室へと通した。ベアグは、華美な装束に身を包んだ、脂ぎった顔の中年男だった。彼はジャックを見るなり、卑屈な笑みを浮かべてすり寄ってくる。

「おお、ジャック大将閣下! この度は見事な御勝利、お祝い申し上げます。どうか私を、偉大なるミレーヌ女王陛下にお仕えさせていただきたく、本日は極上の『手土産』を持参いたしました」
「手土産とは?」

 ジャックが怪訝に眉をひそめると、ベアグは背後の従者に顎でしゃくった。従者が恭しく、大きな木箱をテーブルの上に置く。ベアグが自信満々にその蓋を開け放った。
 強烈な鉄錆と腐敗の匂いが室内に充満する。箱の中に無造作に転がっていたのは、苦悶の表情を浮かべたガリオン三世と、その妻、愛妾、そして幼い子供たちの斬り落とされた首だった。

「……っ!」

 歴戦の将であるジャックでさえ、その凄惨であまりにも卑劣な光景に、あからさまな嫌悪感を示して顔をしかめた。

「いかがでございますか! 西へ逃げ延びようとしていた逆賊ガリオン三世の一族を、我が手勢で討ち取りました! これで女王陛下もご安心——」

 ベアグが自身の功績を饒舌にアピールするのを、ジャックは冷たい声で遮る。

「……よくわかった。別室で休ませよ」
「えっ? あ、はい!」

 状況が読めていないベアグが退室すると、ジャックは部下に「礼を失しないように、かつ厳重に監視しろ」と低く命じた。応接室に重苦しい沈黙が降りる。

「どうしたものかな……」

 ジャックが顎鬚を強く握りしめながら呟くと、ハニーブロンドの髪を揺らしながらアルノー大佐が涼しい顔で一歩前に出た。彼はオメア将軍を討ち取った功により、ミレーヌが定めた法により昇進し大佐となっていた。

「素晴らしい心がけだと思います。彼には莫大な恩賞を与えるべきかと」

 その言葉に、ジャックは鋭い視線をすました顔のアルノーに向けた。

「本気で言っているのか? 皇王は、戦に敗れはしたが、決して民を虐げるような悪政は敷いていなかった。恩義ある主君を裏切り、あまつさえ幼子まで手に掛けたあのような卑劣漢を生かせば、民衆の我々に対する不満は大きくなるやもしれんぞ」
「そうでしょうか?」

 アルノーは、血まみれの木箱を無表情で見下ろした。

「むしろ、彼を罰すれば、『クライナイン王国に寝返っても無駄だ』と、今後こちらに寝返る者がいなくなるかと。旧体制の血筋を根絶やしにする手間が省けたのですから、彼を優遇することこそが極めて合理的と思われます」

 ジャックは、アルノーのその言葉に背筋が冷たくなるのを感じた。常に敬語で腰が低く、涼しい顔をしたこの若き将校の奥底に潜む冷酷さは、あの主君であるミレーヌに通じるものがある。武人としての矜持と、主君が求めるであろう非情な合理性。その狭間でジャックは判断を下せず、小さく息を吐いた。

「いずれにせよ、私の独断で決めることではない。女王陛下に確認しないとな」

 討伐完了の報告と共に、この胸糞の悪い貴族の処分をミレーヌ様に仰ぐしかないと、ジャックは痛感していた。

◆◆◆◆

 翌朝、ジャックの元にさらに重苦しい報告が届いた。別室に軟禁していた相国ラフルが、自らの帯を使って首を吊り、自害したというのだ。

「なぜだ……」

 報告した部下によれば、前日の夜、食事を運んだメイドが、城内の騒ぎから「皇王一家が殺された」という噂をうっかり漏らしてしまったらしい。それを聞いたラフルは顔面を蒼白にし、運ばれた食事に一切手をつけることなく、独り静かに命を絶ったとのことだった。
 彼は主君を逃がし、民のために全ての泥を被る覚悟を決めていたはずだ。その老臣の希望が絶望に変わった心中を察しジャックは深く目を閉じる。

「……せめて、丁重に弔ってやれ」

 ジャックは、主君に殉じた見事な忠臣の死を悼み、静かにそう命じた。バニア皇国の皇統の完全なる消滅は、あまりにも後味の悪い血の匂いと共に、ジャックの胸に刻まれることとなった。
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