末の妹として大切にされてきましたが、 妻として溺愛されることになりました

第三章 セシルの魅惑①

 ロティーを肩に乗せ、クレアはディアナの部屋で、バラの花を生けていた。

 ディアナが亡くなって以降、この部屋の調度品は全てそのまま。定期的に掃除はされているが、主のいなくなった部屋はどこかもの悲しく、皆あまり足を踏み入れることはなかった。



 結果閉めきっていることが多くなり、ますます人が離れていく。そんな状況を、きっとディアナは望んではいない。わかってはいても、母親に対して感じていた引け目から、クレアはずっと行動に移せなかった。



 皮肉なことではあるが、母娘ではないという事実が、彼女に自分を見つめ直すきっかけを与えてくれ、ディアナと向き合う勇気をもたらしてくれたのだ。



「良い香りだね」



 穏やかな声に振り返ると、ゲイリーが微笑んでいた。



「ディアナもきっと喜んでいるだろう」

「だったら嬉しいのですけど。先日お兄様方とお母様のお話をしていて、久しぶりにバラを飾りたいなと思いましたの」

「ありがとう。この部屋には、やはりバラの香りが似合う」



 ゲイリーが窓の側に近寄り、かつてディアナがそうしていたように、バラの香りが溶けた風に身を委ねている。きっと過去の満ち足りた瞬間に、思いを馳せているのだろう。



「何より、クレアが元気になって良かった。一時期は塞ぎ込んでいたから、心配していたんだよ」

「お兄様方と、ロティーのおかげですわ」



 クレアが笑顔でロティーの頭を撫でると、彼女はくすぐったそうに目を細めた。ゲイリーはその様子を眺めて、目を瞬かせる。



「随分とクレアに懐いているようだね。サルは警戒心が強いと聞いていたんだが」

「ブレット兄様が作ってくださった、香水の効果だと思いますわ。これまではお部屋の外に出すこともできなかったのですけれど、今はこうして大人しくしてくれているんですの」



「この調子なら、いずれは外にも連れ出せるんじゃないか?」

「そうなんですの。慣れてきたら、一緒に旅行なども行きたいですわ」



 生き生きとした瞳で語るクレアは、周囲にもポジティブなエネルギーを放っている。ゲイリーにはそんな彼女が微笑ましく映ったようで、自然と顔をほころばせた。



「クレアは、少し変わったね」

「そう、でしょうか?」

「前向きになったというか、明るくなったよ。息子達の愛が伝わったせいかな?」



 ゲイリーが悪戯っぽく笑い、クレアの頬はボンッと朱に染まる。



「あ、私は別に」

「照れなくていいさ。ロティーはアイザックの贈り物なんだろう? ブレットも香水をプレゼントしたようだし、皆クレアへのアプローチに余念がないな」



 クレアは真っ赤になりながら、恥ずかしさを誤魔化すように眉根を寄せた。



「お兄様方は純粋な好意で」

「もちろんそうだろうよ。でもクレアを巡っては、ライバル同士でもあるわけだからね。内心では牽制しあっているんじゃないのかな」

「お父様ったら! 私はプレゼントの多寡で、結婚相手を決めることはしませんわ」



 ゲイリーは「はっはっは」と楽しそうに笑う。



「わかっているよ。だから皆、苦労してるんだろう」

「苦労だなんて、私はお兄様方に何かしていただこうとは、思っていません」

「いやいや、苦労と言っても、皆にとっては楽しいのだろうよ。クレアが喜んでくれることが、何よりのご褒美だろうからね」



 ふとゲイリーが遠い目をした。クレアが生けたバラを一本手に取り、過去に思いを馳せているようだ。



「私だってそうだったよ。ディアナが笑みを投げかけてくれるだけで、天にも昇る心地だった」

「お父様……」



 クレアの胸がチクンと痛む。ゲイリーは静かで幸福そうな笑みを浮かべてはいるが、同時に例えようもない悲しみにも満ちていたからだ。



「おっと、すまない。こんな辛気くさい話はいかんな。それよりもロティーと旅行に行くなら、おすすめの場所が」

「あぁ、クレア! 探していたんだよ」



 興奮気味のセシルが部屋に飛び込んできて、ゲイリーとの会話が中断された。クレアは父親を見たが、軽く首を横に振ったので兄のほうを向いて尋ねる。



「どうなさったのです、セシル兄様」

「新しい曲が完成したから、クレアに一番に聞いて欲しくて」



 まるで達成感が全身から迸っているようだった。その解放された喜びが、セシルに誇りと満足感を与えているらしく、クレアもゲイリーもその活力にたじろいでしまうほどだ。



「よろしかったら、父上もどうです? ご一緒に」



 付け足しのような誘いに、ゲイリーは苦笑しながら尋ねた。



「私は、ふたりのお邪魔になるんじゃないか?」

「ボクは大歓迎ですよ。本当に素晴らしい曲ができましたから、多くの人に聞いてもらいたいんです。アイザック兄様とブレット兄様も、ボクの部屋で待機してくれていますから」

「ならば同席させてもらおうか」



 ゲイリーがうなずいたのをきっかけに、三人はディアナの部屋を出た。



「アイザック兄様はともかく、ブレット兄様はよく了承しましたね。音楽にはあまりご興味がないでしょう?」

「だって今回の曲は、クレアとロティーに捧げる曲だからね。ブレット兄様も無視できないんだと思うよ」



 クレアは顔を赤らめ、ギュッとロティーを胸に抱いた。



「なんだか、恥ずかしいですわ」

「そういう意味じゃ、ボクもちょっと恥ずかしいかな。クレアへのストレートな愛を、皆に聞かせるようなものだからね」



 普段から明け透けなセシルだけれど、いつも以上に言葉に気持ちがこもっている。それだけ強い思いで作られた曲なのだろう。



 クレアが喜んでくれることが、何よりのご褒美――。



 ゲイリーの言ったことは、きっと真実なのだ。三人の兄達はそれぞれの形で、クレアに愛を伝えようとしてくれている。彼女はその中から、たったひとりを選ばなければならない。



 それはあまりに難しく、傲慢だとさえ思える。誰を選ぶにしても、クレアの選択が絶対に正しいなんて、言えるはずもないのだから。



「父上も、新曲のお披露目会に招待されたのですか?」



 いつの間にかセシルの部屋に到着しており、アイザックがゲイリーに尋ねた。



「クレアと一緒にいたところを、偶然誘われたんだよ」

「さぁ、座って座って」



 セシルがクレアとゲイリーのための椅子を運んで来て、自分はピアノの隣に立った。四人の観客を見渡し、深々と礼をする。



「今日はお集まりいただき、ありがとうございます。どうぞ楽しい時をお過ごし下さい」



 セシルがピアノの前に座り、鍵盤の上にそっと指先を乗せた。ピリッとした緊張が、こちらにも伝わって来て胸が苦しくなる。
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