末の妹として大切にされてきましたが、 妻として溺愛されることになりました

第三章 セシルの魅惑③

「今日は気分を変えて、噴水庭園でレッスンしようか」



 ヴァイオリンを片手にセシルが微笑んだのは、クレアを気遣ってのことだろう。好きなときに好きなだけ歌ってきた彼女にとって、レッスンというのはやはり窮屈なものだ。



 セシルのアドバイスがどれだけ的確で親身なものであっても、クレアがそれらと真摯に向き合っていたとしても、だ。



「ぜひ、そうしたいですわ」



 クレアが顔をほころばせたのを見て、セシルは自分の思いつきが間違っていなかったと知る。彼女は真面目にレッスンに取り組んでおり、日々その歌唱には磨きが掛けられていたが、プレッシャーを感じていないわけではないのだ。



「天気も良いですし、青い空の下で歌うのは楽しいでしょうね」

「うん。きっと小鳥たちも、クレアとセッションしたいんじゃないかな」



 ふたりが噴水庭園に向かうと、太陽を浴びて噴水の水しぶきが輝いている。花々の香りが漂う中、クレアが姿を見せた途端小鳥たちが集まってきた。



「皆、久しぶり」



 クレアは肩や足下にとまる小鳥たちに微笑みかけながら、伸びやかな声で歌い始めた。噴水が奏でる水の音や、木々が微風にそよぐ音がバックグラウンドミュージックとなり、壮大な音楽となって庭園全体を包み込んでいく。



 自然の中でこそ、クレアの歌はより一層美しく響くようだ。彼女の声が風景に溶け込み、歌詞が持つ言葉の奥深さを引き立てながら、世界と調和していく。



 あまりに神秘的な光景に、セシルは心奪われていた。自身の役割を忘れ、夢中になってクレアの歌声に耳を傾けていたほどだ。

 クレアの戸惑う視線を受けて、セシルはようやっとヴァイオリンを奏で始めた。彼女の声と楽器の音色が重なり合い、全てが一体となって演奏者まで音楽の饗宴に酔いしれてしまう。



「あぁ、最高だ……」



 曲を弾き終え、セシルはその場に倒れ込んだ。



「セシル兄様、どうなさったのです?」



 心配したクレアが駆け寄り、セシルは寝転んだまま顔だけ彼女のほうに向ける。



「大丈夫だよ。あまりに素晴らしい体験だったから、感情が追いつかなくて」

「私も同じですわ。セシル兄様のヴァイオリンに惹きつけられて、何度も歌うのを中断してしまいそうになりましたもの」

「それはボクの技術を認めてくれてるってこと?」

「もちろんですわ。セシル兄様より、巧みにヴァイオリンを操れる方はいません」



 セシルは上半身を起こし、傍らに座るクレアを見つめて感謝する。



「ありがとう。クレアのその言葉だけで、頑張ってきた甲斐があるよ」

「歌詞も本当に良くて、心に染み入るようですわ。オークレントの自然や言い伝えなど、様々な要素が盛り込まれていて」



 クレアが歌詞を称えると、セシルはスッと目を逸らした。何事か言うのを迷っていたようだが、勇気を出したらしく尋ねる。



「クレアはさ、母上がよく歌ってくれた子守歌を覚えてる?」

「えぇ。細かい部分はおぼろげですが」

「実はね、この歌詞は母上の子守歌が元になっているんだよ。だから純粋なボクのオリジナル、というわけではないんだ」



 歌詞について褒めたとき、セシルが控えめな様子だったのは、そのせいだったのだろう。言われてみれば、フレーズのそこかしこに懐かしさが感じられる。



「そうだったのですね。でもアレンジしたのは、セシル兄様ですわ。これだけ完成度の高い作品に仕上げたのは、すごいことだと思います」



 セシルは「良かった」と安堵のため息をついた。



「軽蔑されたらどうしようかと思ってたんだ」

「どうして軽蔑など。セシル兄様に、お母様への深い愛があればこそ、子守歌を取り入れるに至ったのでしょう? リスペクトが感じられる素晴らしい楽曲ですわ」



 力説してからクレアは、ディアナに対する自責の念を吐露する。



「私のほうこそ、お母様に何ひとつ報いることができません。それどころか、恩を仇で返すようなことになってしまって」

「ブレット兄様の言ったこと、気にしてるの?」



 セシルが憤慨したので、クレアは慌てて言った。



「いえ、これは私自身の問題なのです。自分の出自への向き合い方を、模索しているだけですわ」

「ボク達の、誰を選ぶかってこと?」



 クレアはポッと頬を染め、「それも難問ではありますけれど」と前置きして言った。



「今はお母様の偉業を受け止め、自分にできるところから始められたらと考えていますの。だからセシル兄様がその機会を下さったことは、ありがたく思っているのですわ。私には音楽会を復活させる勇気など、とてもありませんでしたから」

「本当に?」



 セシルは嬉しそうに微笑む。



「クレアに無理させてるんじゃないかって、ちょっと心配だったんだよね。ボクも強引なとこあったし、兄様達にも多少は迷惑かけてるわけだしさ」

「不安がないわけではないですけれど、逃げたくはないのです。お母様と自分との才覚差に、いつまでも傷ついていたところで仕方がないですものね」



 クレアが目を伏せると、セシルが彼女の手を取った。愛らしい彼の容姿とは裏腹に、力強く固い指先がヴァイオリン奏者としての矜持を感じさせ、自ずと頬が上気する。



「クレアが考えているほど、母上との間に差はないよ。ボクは今でも、母上の歌声をありありと思い出せるけど、クレアが劣っているとは全く思わない」



 情熱的な眼差しを真正面から受け止め、クレアは返答に困ってしまう。セシルが心底そう思っているにしても、彼女への愛が判断を鈍らせているだけかもしれないのだ。



「……セシル兄様は、どうしてそんなに私を高く評価してくださるのです?」

「ボクは感じたことを、正直に言っているだけだよ」



 それでは答えになっていないと思ったのだろう、セシルは少し考えてから再び口を開く。



「クレアには母上とは違う、クレアだけの魅力があるんだ。個性って言うと、あまりに簡単すぎるかもしれないけど。芸術への評価なんて所詮主観的なものだし、何を素晴らしいと思うかは人それぞれだしね」



 セシルは話ながら考えを整理しているらしく、急いで付け加える。



「あ、だからって、ボクがクレアを贔屓目に見てるって話じゃないよ? ボクの音楽が嫌いな人だっているんだから、自信を持って自分が良いと思うものを披露すればいいよってこと」

「セシル兄様の音楽を、否定する方なんていらっしゃるのですか?」

「いるいる、当然だよ」



 ハハハと楽しそうに笑いながら、セシルは明るく続ける。



「とある侯爵からは、演奏会のたびに酷評の手紙が届くんだ。なんか意中の令嬢がボクに入れあげてるらしくてさ。半分逆恨みみたいな話なんだけど」

「まぁ、酷い」



 クレアは立腹するが、セシルは怒っている様子もない。そんなことは日常茶飯事だから、いちいち取り合うこともないのだろう。



「万人に理解されようなんて、思わなくていいんだ。クレアが母上を敬愛し、心から領民を思って歌うなら、きっとその気持ちは皆に伝わるよ。それで十分でしょ?」



 個人の好みや価値観に大きく依存する芸術の世界で、長く他人の評価に晒されてきたセシルだからこそ、辿り着いた境地なのだろう。国王から勲章をもらうほどになっても、決して奢ることのない彼に、クレアは改めて尊敬の念を抱く。



「ありがとうございます、セシル兄様。なんだか胸を張って、歌える気がしてきましたわ」

「それは良かった。レッスンを繰り返す中で、クレアはどんどん成長してるし、技術的な面でも本当に母上に肩を並べられるくらいになってるから。全然心配する必要なんてないよ」



 セシルはクレアの手を離し、ゆっくりと立ち上がって言った。



「じゃあ再開しようか」



 クレアも腰を上げ、「はい!」と元気よく返事をしたのだった。
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