末の妹として大切にされてきましたが、 妻として溺愛されることになりました
第四章 クレアの過去⑥
数日の旅路の末に、一行は王家の谷に辿り着いた。
深い峡谷の間を吹き抜ける風が、不気味な音を奏でている。まるで王の眠りを覚ます者に、警告を与えているかのようだ。
「ここだ」
頭領が低く呟く。さしもの彼も緊張しているらしい。
目の前には重厚な扉。不思議な金属でできた扉の中央には、確かに王家の紋章が刻まれている。風雨にさらされて幾分劣化しているものの、明らかにペンダントのものと同じだ。
「さあ、お前の力を見せてみろ」
クレアは頭領に背を押され、恐る恐る扉の前に進み出た。
もしこの扉が開けば、クレアの血筋が確定する。彼女は震える指先で扉に触れながら、精一杯声を張り上げた。
次の瞬間、轟音と共に扉が揺れ始めた。その音は峡谷に反響し、地鳴りのように響く。
そしてゆっくりと扉が開き、内部から冷たい空気が吹き出してきた。
本当だった――。確かにクレアは、王家の血を引いているのだ。
誰もが皆、目の前の出来事に息を呑んでいた。
クレアを含め、どこか半信半疑だったのだろう。
扉の向こうの闇を見つめ、皆しばらく立ちすくんでいたが、頭領が真っ先に足を踏み入れる。
「行くぞ」
クレアも頭領の後を追った。
「うわぁああ」
まだほんの数歩しか進まないうちに、背後で断末魔の叫びが聞こえた。
振り返ると団員の男がひとり、血を流して倒れている。入り口には見覚えのある醜い顔の男が、剣を持って立っていた。
「あなたは……!」
クレアが立ち尽くしていると、男は下品な笑みを浮かべて言った。
「お久しぶりです、クレア様。ちっともオークレントにご招待いただけないので、バーバラ様は随分と悲しんでおられたんですよ?」
間違いない、ヒースコート家の下男だ。どうして彼が、こんなところに。
人を殺めたそのすぐ後で、こちらに笑いかけられる下男の神経が理解できなかった。クレアは顔面蒼白になり、逃げることも助けを求めることもできない。
「貴様はヒースコート家のっ」
頭領が素速く剣を抜いた。
クレアの脇を通り過ぎ、下男に向かって斬りかかる。その動きには、騎士団長としての威厳と勇敢さが宿っていた。
しかし下男はその攻撃を軽くかわし、頭領を背負って地面に叩きつけた。
信じられない、とても目の前の出来事を受け入れられなかった。
騎士団長を務めたほどの男があっさりと投げられたのだ。彼は気を失ってしまったのかピクリとも動かず、クレアの身体は固まってしまって瞬きひとつできない。
「ぁ、あぁあ」
残りの男は腰を抜かしたらしく、這うようにして逃げていく。手練れの頭領がやられたことで、自分など手も足も出ないと思ったのだろう。
下男はその様子を、さもおかしそうに笑って見ていた。追いもせず、傷つけもしないのは、あくまで彼の目的がクレアだからだろう。
「どうして、ここに」
ようやっとクレアが口を開くと、下男は誇らしげに胸を張った。
「もちろん尾行してきたからですよ。この連中に上手く罪を着せようと思っていたのですが、どうもやり方が手ぬるくて……。我慢できずに出てきてしまいました」
何が嬉しいのか、含み笑いをする下男に嫌悪感を覚えながら、クレアは必死で気持ちを奮い立たせる。
「もしかして、あなたが密猟団にたれ込んだの?」
「そうですよ。万が一でも、ヒースコート家に嫌疑が及ぶようなことがあってはいけませんから」
サマンサではなかった――。
安堵と共に、サマンサを少しでも疑ってしまったことを申し訳なく思う。母親の親友はただ貧しいだけの、善良な一市民だったのだから。
「邪魔者を排除するにしても、バーバラ様は最善の注意を払う方です。ベストのタイミングが来るまで、何年でも待つことができる」
「それが今、だと?」
下男は軽くうなずき、得意げに言った。
「はい。クレア様さえいなければ、バーバラ様の恋は実ったも同然ですから」
「どうかしら? 私がバーバラをオークレントに招待しようとも、お兄様達が彼女を伴侶に選んだとは思えませんわ。バーバラの底意地の悪さは、隠しきれませんもの」
ビリビリーッ
突然下男がクレアの襟ぐりを掴み、胸元に向かってドレスの一部を引きちぎった。彼女の白い鎖骨が露出する。
「バーバラ様を愚弄するな!」
下男は凄まじい形相で、クレアを睨み付ける。恐怖のあまり身がすくんで、胸を掻き抱くこともできなかった。
「まだ立場が良くわかっていないようですね? ぼくが姿を見せた意味がわからないんですか?」
クレアが黙っていると、下男は胸に手を当て喜色満面で続ける。
「クレア様はこれから、娼館に売られるんですよ!」
クレアは怖気を震った。口がカラカラに渇き、上手く言葉が出ない。
「王家の血を引いているなら、むざむざ殺してしまうには惜しい。きっと高く売れるでしょうからね」
下男は不適な笑みをこちらに向け、いやらしく舌なめずりをした。血に濡れた手を伸ばし、クレアの頬をなでつける。
「どうせなら売っぱらってしまう前に、味見させてもらいましょうか」
「や、やめて」
密猟団とは違い、下男は本気で彼女を手籠めにしようとしている。狂気を漂わせた瞳が淫らな熱に浮かされて、おぞましいほどらんらんと輝いていた。
「バーバラは、それ許すの?」
恐れおののく運命が迫っている中、クレアにできるのはせいぜい時間稼ぎくらいだった。
「姿まで見せてしまって、きっとお叱りを受けるわよ」
どうにか会話を長引かせようとするが、下男はクレアの頬に触れたまま顔を近づけてきた。
「バーバラ様は、クレア様を大層恨んでおいでです。クレア様のしたことを思えば当然ですが。きっとクレア様が汚れれば汚れるほど、お喜びになりますよ」
「ぁ、あなたは、それでいいの? こんな悪事に手を染めて」
「ぼくにとって、バーバラ様の命令は絶対です。バーバラ様は、ぼくにその御身をゆだねてくださったのですよ? 下男でしかないこのぼくに」
恍惚とした表情を浮かべる下男を見て、クレアは愕然としていた。
クレアを陥れるため、バーバラは自らの肉体まで利用して、忠誠を誓わせたのだ。
その壮絶で恐ろしい決断と涙ぐましいほど汚れた情熱に触れて、クレアは身体から力が抜けていくのを感じていた。
深い峡谷の間を吹き抜ける風が、不気味な音を奏でている。まるで王の眠りを覚ます者に、警告を与えているかのようだ。
「ここだ」
頭領が低く呟く。さしもの彼も緊張しているらしい。
目の前には重厚な扉。不思議な金属でできた扉の中央には、確かに王家の紋章が刻まれている。風雨にさらされて幾分劣化しているものの、明らかにペンダントのものと同じだ。
「さあ、お前の力を見せてみろ」
クレアは頭領に背を押され、恐る恐る扉の前に進み出た。
もしこの扉が開けば、クレアの血筋が確定する。彼女は震える指先で扉に触れながら、精一杯声を張り上げた。
次の瞬間、轟音と共に扉が揺れ始めた。その音は峡谷に反響し、地鳴りのように響く。
そしてゆっくりと扉が開き、内部から冷たい空気が吹き出してきた。
本当だった――。確かにクレアは、王家の血を引いているのだ。
誰もが皆、目の前の出来事に息を呑んでいた。
クレアを含め、どこか半信半疑だったのだろう。
扉の向こうの闇を見つめ、皆しばらく立ちすくんでいたが、頭領が真っ先に足を踏み入れる。
「行くぞ」
クレアも頭領の後を追った。
「うわぁああ」
まだほんの数歩しか進まないうちに、背後で断末魔の叫びが聞こえた。
振り返ると団員の男がひとり、血を流して倒れている。入り口には見覚えのある醜い顔の男が、剣を持って立っていた。
「あなたは……!」
クレアが立ち尽くしていると、男は下品な笑みを浮かべて言った。
「お久しぶりです、クレア様。ちっともオークレントにご招待いただけないので、バーバラ様は随分と悲しんでおられたんですよ?」
間違いない、ヒースコート家の下男だ。どうして彼が、こんなところに。
人を殺めたそのすぐ後で、こちらに笑いかけられる下男の神経が理解できなかった。クレアは顔面蒼白になり、逃げることも助けを求めることもできない。
「貴様はヒースコート家のっ」
頭領が素速く剣を抜いた。
クレアの脇を通り過ぎ、下男に向かって斬りかかる。その動きには、騎士団長としての威厳と勇敢さが宿っていた。
しかし下男はその攻撃を軽くかわし、頭領を背負って地面に叩きつけた。
信じられない、とても目の前の出来事を受け入れられなかった。
騎士団長を務めたほどの男があっさりと投げられたのだ。彼は気を失ってしまったのかピクリとも動かず、クレアの身体は固まってしまって瞬きひとつできない。
「ぁ、あぁあ」
残りの男は腰を抜かしたらしく、這うようにして逃げていく。手練れの頭領がやられたことで、自分など手も足も出ないと思ったのだろう。
下男はその様子を、さもおかしそうに笑って見ていた。追いもせず、傷つけもしないのは、あくまで彼の目的がクレアだからだろう。
「どうして、ここに」
ようやっとクレアが口を開くと、下男は誇らしげに胸を張った。
「もちろん尾行してきたからですよ。この連中に上手く罪を着せようと思っていたのですが、どうもやり方が手ぬるくて……。我慢できずに出てきてしまいました」
何が嬉しいのか、含み笑いをする下男に嫌悪感を覚えながら、クレアは必死で気持ちを奮い立たせる。
「もしかして、あなたが密猟団にたれ込んだの?」
「そうですよ。万が一でも、ヒースコート家に嫌疑が及ぶようなことがあってはいけませんから」
サマンサではなかった――。
安堵と共に、サマンサを少しでも疑ってしまったことを申し訳なく思う。母親の親友はただ貧しいだけの、善良な一市民だったのだから。
「邪魔者を排除するにしても、バーバラ様は最善の注意を払う方です。ベストのタイミングが来るまで、何年でも待つことができる」
「それが今、だと?」
下男は軽くうなずき、得意げに言った。
「はい。クレア様さえいなければ、バーバラ様の恋は実ったも同然ですから」
「どうかしら? 私がバーバラをオークレントに招待しようとも、お兄様達が彼女を伴侶に選んだとは思えませんわ。バーバラの底意地の悪さは、隠しきれませんもの」
ビリビリーッ
突然下男がクレアの襟ぐりを掴み、胸元に向かってドレスの一部を引きちぎった。彼女の白い鎖骨が露出する。
「バーバラ様を愚弄するな!」
下男は凄まじい形相で、クレアを睨み付ける。恐怖のあまり身がすくんで、胸を掻き抱くこともできなかった。
「まだ立場が良くわかっていないようですね? ぼくが姿を見せた意味がわからないんですか?」
クレアが黙っていると、下男は胸に手を当て喜色満面で続ける。
「クレア様はこれから、娼館に売られるんですよ!」
クレアは怖気を震った。口がカラカラに渇き、上手く言葉が出ない。
「王家の血を引いているなら、むざむざ殺してしまうには惜しい。きっと高く売れるでしょうからね」
下男は不適な笑みをこちらに向け、いやらしく舌なめずりをした。血に濡れた手を伸ばし、クレアの頬をなでつける。
「どうせなら売っぱらってしまう前に、味見させてもらいましょうか」
「や、やめて」
密猟団とは違い、下男は本気で彼女を手籠めにしようとしている。狂気を漂わせた瞳が淫らな熱に浮かされて、おぞましいほどらんらんと輝いていた。
「バーバラは、それ許すの?」
恐れおののく運命が迫っている中、クレアにできるのはせいぜい時間稼ぎくらいだった。
「姿まで見せてしまって、きっとお叱りを受けるわよ」
どうにか会話を長引かせようとするが、下男はクレアの頬に触れたまま顔を近づけてきた。
「バーバラ様は、クレア様を大層恨んでおいでです。クレア様のしたことを思えば当然ですが。きっとクレア様が汚れれば汚れるほど、お喜びになりますよ」
「ぁ、あなたは、それでいいの? こんな悪事に手を染めて」
「ぼくにとって、バーバラ様の命令は絶対です。バーバラ様は、ぼくにその御身をゆだねてくださったのですよ? 下男でしかないこのぼくに」
恍惚とした表情を浮かべる下男を見て、クレアは愕然としていた。
クレアを陥れるため、バーバラは自らの肉体まで利用して、忠誠を誓わせたのだ。
その壮絶で恐ろしい決断と涙ぐましいほど汚れた情熱に触れて、クレアは身体から力が抜けていくのを感じていた。