末の妹として大切にされてきましたが、 妻として溺愛されることになりました
第五章 バーバラの策略⑥
三人の兄達が王家の谷にさしかかったとき、男が這々の体で開いた扉から出てくるところだった。
「助け、助けてくれ」
尋常ではない状況を察知したアイザックは、すぐに扉の中に飛び込んだ。
まさにその瞬間、クレアの純潔は風前の灯火だった。
「ゃ、やめ」
弱々しいクレアの拒絶も空しく、下男の穢れた唇が触れようとする。
「クレアっ!」
アイザックが下男に襲いかかり、嵐が吹き荒れるような戦いが始まった。
ふたりとも剣を抜いており、刃が空気を切り裂く音がする。アイザックの動きは雷鳴のように速く、鋭く、予測不可能だった。
騎士団長をも一瞬で伸してしまった下男相手に、アイザックは怯むことなく挑みかかっていく。下男は防戦一方で、アイザックの攻撃を受け止めるのがやっとだ。
「あなたがアイザック様ですか? さすがバーバラ様が惚れ込むだけのことはある」
下男の言葉を無視して、アイザックは地を蹴った。
回転しながら鋭い一閃を放ち、下男は後方に吹き飛ぶ。その凄まじい風圧は、クレアの頬に小石を打ち付けるほどだ。
「くそっ……!」
剣を構えた下男が、最後の抵抗を試みた。しかし渾身の一撃を、アイザックはあっさりと受け止め、下男の剣を叩き落とす。
「まだ続けるか?」
下男は両手を挙げ、降参のポーズをとった。その瞬間を待ち構えていたのか、ブレットが素速く後ろ手に縛り上げ、猿轡を噛ませて地面に転がす。
「大丈夫か、クレア!」
鬼神のごとき戦いを繰り広げたアイザックだったが、クレアを見つめる瞳には慈悲の心が溢れていた。まさに救世主であり、神々しささえ感じられる。
クレアは返事をしたいのに声にならず、ただ口をパクパク動かすことしかできなかった。犯されそうになったショックがまだ身体に残っているのだろう。
耳障りな心音、狭まる視界、震える指先――。
身体には力が入らず、クレアは訴えかけるようにアイザックを見つめる。
「セシル、一曲弾いてくれ。クレアを落ち着かせたい」
「はい、アイザック兄様」
セシルはすぐにヴァイオリンを構え、柔らかな音を紡ぎ始めた。
美しい音色が波紋のように広がり、クレアの耳に届く。
低く深い音が心の傷を癒やし、高く透明な旋律が乱れた呼吸を整えてくれる。震える体が穏やかな音の波に包み込まれ、クレアはゆっくりと口を開いた。
「ありがとうございます、お兄様方……」
クレアを見つめていた三人は、ほぅと安堵のため息をついた。
「怪我はないか?」
「はい」
「頬の血は」
「これは私の血ではありませんわ。あの方の血です」
クレアは血だまりの中に倒れる男に視線を向けた。彼は微動だにせず、どう見ても事切れている。しかし傍らに倒れていた頭領の方は、身体を起こしてこちらを見た。
「終わったらしいな」
「お前は」
「グレゴリー・トバイアス。昔は騎士団長をしていた。自分で言うのもなんだが、剣技と戦術の才は王からも一目置かれていたんだぞ」
もう素性を隠す気はないらしかった。グレゴリーは胸元からタバコを取り出すと、勝手に一服し始める。
「それがどうして、密猟団なんかに」
「ヒースコート家の犬に、陥れられたんだよ」
グレゴリーは下男を見て、憎々しげにつばを吐きかける。
「ヒースコート家は闇オークションに関わっていてな。隣国との密貿易にも手を染めていたんだ。不正の証拠を掴んで王に報告しようとしたら」
「反対に失脚させられたってことか」
黙ってうなずいたグレゴリーは、自虐的に笑った。正しいことをなしたはずなのに、全て失ってしまったからかもしれない。
「だからって密猟なんかしていたら、ヒースコート家と同じ穴の狢じゃないか」
アイザックに言われて、グレゴリーはうなだれる。
「あぁ、返す言葉もねぇよ」
かつては王のためだった剣を、生きるためだけに振るううちに、心は荒んでいったのだろう。いつしか倫理観は衰え、正義などどうでもいいと思うようになったとしても不思議はない。
それでもクレアには、グレゴリーの心が死んだとは思えなかった。
「あなたはまだ、騎士としての誇りをお持ちだと思いますわ。私を傷つけることは、決してしなかったですもの」
クレアがそっと手を差し出すと、グレゴリーは目尻に涙を滲ませた。
「……ありがとよ」
ふたりの様子を見ていたアイザックは、何事か決心したように言った。
「よし、ひとまず、あの洞窟に戻ろう。ロティーを迎えに行かないといけないからね。そしてグレゴリー、君は捕らえた動物を全て解放するんだ」
グレゴリーは躊躇う様子もなく、すぐに「わかった」とうなずく。もうこれ以上、悪事を重ねるつもりはないのだろう。
「ヒースコート家の悪行は、俺が責任を持って明らかにする。君の罪も軽くなるだろう。寛大な国王陛下なら、きっと恩赦してくださるはずだ」
度量の大きいアイザックの言葉が予想外だったのか、グレゴリーは困惑して尋ねる。
「いい、のか……?」
「あぁ。君はまだやり直せるさ」
アイザックはクレアのほうを見て、優しく目配せして続けた。
「クレアがそう言っているのだからね」
「助け、助けてくれ」
尋常ではない状況を察知したアイザックは、すぐに扉の中に飛び込んだ。
まさにその瞬間、クレアの純潔は風前の灯火だった。
「ゃ、やめ」
弱々しいクレアの拒絶も空しく、下男の穢れた唇が触れようとする。
「クレアっ!」
アイザックが下男に襲いかかり、嵐が吹き荒れるような戦いが始まった。
ふたりとも剣を抜いており、刃が空気を切り裂く音がする。アイザックの動きは雷鳴のように速く、鋭く、予測不可能だった。
騎士団長をも一瞬で伸してしまった下男相手に、アイザックは怯むことなく挑みかかっていく。下男は防戦一方で、アイザックの攻撃を受け止めるのがやっとだ。
「あなたがアイザック様ですか? さすがバーバラ様が惚れ込むだけのことはある」
下男の言葉を無視して、アイザックは地を蹴った。
回転しながら鋭い一閃を放ち、下男は後方に吹き飛ぶ。その凄まじい風圧は、クレアの頬に小石を打ち付けるほどだ。
「くそっ……!」
剣を構えた下男が、最後の抵抗を試みた。しかし渾身の一撃を、アイザックはあっさりと受け止め、下男の剣を叩き落とす。
「まだ続けるか?」
下男は両手を挙げ、降参のポーズをとった。その瞬間を待ち構えていたのか、ブレットが素速く後ろ手に縛り上げ、猿轡を噛ませて地面に転がす。
「大丈夫か、クレア!」
鬼神のごとき戦いを繰り広げたアイザックだったが、クレアを見つめる瞳には慈悲の心が溢れていた。まさに救世主であり、神々しささえ感じられる。
クレアは返事をしたいのに声にならず、ただ口をパクパク動かすことしかできなかった。犯されそうになったショックがまだ身体に残っているのだろう。
耳障りな心音、狭まる視界、震える指先――。
身体には力が入らず、クレアは訴えかけるようにアイザックを見つめる。
「セシル、一曲弾いてくれ。クレアを落ち着かせたい」
「はい、アイザック兄様」
セシルはすぐにヴァイオリンを構え、柔らかな音を紡ぎ始めた。
美しい音色が波紋のように広がり、クレアの耳に届く。
低く深い音が心の傷を癒やし、高く透明な旋律が乱れた呼吸を整えてくれる。震える体が穏やかな音の波に包み込まれ、クレアはゆっくりと口を開いた。
「ありがとうございます、お兄様方……」
クレアを見つめていた三人は、ほぅと安堵のため息をついた。
「怪我はないか?」
「はい」
「頬の血は」
「これは私の血ではありませんわ。あの方の血です」
クレアは血だまりの中に倒れる男に視線を向けた。彼は微動だにせず、どう見ても事切れている。しかし傍らに倒れていた頭領の方は、身体を起こしてこちらを見た。
「終わったらしいな」
「お前は」
「グレゴリー・トバイアス。昔は騎士団長をしていた。自分で言うのもなんだが、剣技と戦術の才は王からも一目置かれていたんだぞ」
もう素性を隠す気はないらしかった。グレゴリーは胸元からタバコを取り出すと、勝手に一服し始める。
「それがどうして、密猟団なんかに」
「ヒースコート家の犬に、陥れられたんだよ」
グレゴリーは下男を見て、憎々しげにつばを吐きかける。
「ヒースコート家は闇オークションに関わっていてな。隣国との密貿易にも手を染めていたんだ。不正の証拠を掴んで王に報告しようとしたら」
「反対に失脚させられたってことか」
黙ってうなずいたグレゴリーは、自虐的に笑った。正しいことをなしたはずなのに、全て失ってしまったからかもしれない。
「だからって密猟なんかしていたら、ヒースコート家と同じ穴の狢じゃないか」
アイザックに言われて、グレゴリーはうなだれる。
「あぁ、返す言葉もねぇよ」
かつては王のためだった剣を、生きるためだけに振るううちに、心は荒んでいったのだろう。いつしか倫理観は衰え、正義などどうでもいいと思うようになったとしても不思議はない。
それでもクレアには、グレゴリーの心が死んだとは思えなかった。
「あなたはまだ、騎士としての誇りをお持ちだと思いますわ。私を傷つけることは、決してしなかったですもの」
クレアがそっと手を差し出すと、グレゴリーは目尻に涙を滲ませた。
「……ありがとよ」
ふたりの様子を見ていたアイザックは、何事か決心したように言った。
「よし、ひとまず、あの洞窟に戻ろう。ロティーを迎えに行かないといけないからね。そしてグレゴリー、君は捕らえた動物を全て解放するんだ」
グレゴリーは躊躇う様子もなく、すぐに「わかった」とうなずく。もうこれ以上、悪事を重ねるつもりはないのだろう。
「ヒースコート家の悪行は、俺が責任を持って明らかにする。君の罪も軽くなるだろう。寛大な国王陛下なら、きっと恩赦してくださるはずだ」
度量の大きいアイザックの言葉が予想外だったのか、グレゴリーは困惑して尋ねる。
「いい、のか……?」
「あぁ。君はまだやり直せるさ」
アイザックはクレアのほうを見て、優しく目配せして続けた。
「クレアがそう言っているのだからね」