末の妹として大切にされてきましたが、 妻として溺愛されることになりました
第六章 愛する人は……③
アイザックは毎日足繁くクレアの元を訪れてくれた。そのことが他の兄達を遠慮させているのか、ブレットやセシルは顔を見せに来てくれない。
クレアが少し寂しく思っていると、気ぜわしげなノックがあった。彼女がベッドから立ち上がり、扉を開けようとすると、その気配を察知したのかブレットが中に入ってきた。
「邪魔するよ」
ティーポットとカップがのったトレイを持ったブレットは、スタスタと部屋の中央に進み、まるで何か荘厳な儀式でも行うかのように、トレイをそっとテーブルの上に置いた。
「なかなか会いに来られなくてすまない」
クレアが軽く首を横に振ると、ブレットはポケットからハーブらしきものを取り出した。
「喉に効く薬草を選んでいたんだよ」
ブレットは秘薬を扱う魔法使いみたいに、ひとつひとつ慎重に説明を加える。
「これはエキナセア・プルプレア。喉の痛みに良く、免疫機能も改善してくれる。こっちはマシュマロウと言って、粘膜を保護してくれるんだ。別名はアルテアと言って、古代ギリシャ語で病気を癒すという意味もあるんだよ」
最後におよそハーブらしくない、白い根のようなものを持ち上げて言った。
「こっちはリコリスの根。甘みがあって、強い抗酸化作用がある」
【ありがとうございます。どれも喉に効く要素が詰まっているんですね】
クレアが感謝を書き付けると、ブレットは嬉しそうに胸を張る。
「そうなんだ。香り付けにスイートオレンジの皮もブレンドしたから、飲みやすいと思うよ。さぁ試してみて」
黄金色のハーブティーが、静かにカップに注がれる。柑橘系の爽やかな香りが立ち上り、部屋全体に広がっていく。
クレアは興味津々でカップを受け取り、おもむろに口を付けた。
美味しい……。爽やかで清々しく、砂糖が入っていないのにほんのり甘い。きっとリコリスの根の成分だろう。
【とても美味しいですわ。公務でお忙しいのに、わざわざありがとうございます】
クレアの弾むような筆致を見て、ブレットは安堵したように言った。
「本当か? 良かった。初めてのブレンドだったので、上手くいくか心配だったんだよ」
【普段から飲みたいくらいですわ。ぜひ、もう一杯いただきたいです】
「気に入ってもらえて嬉しいよ。どんどん飲んでくれ」
ブレットは嬉しそうに微笑みながら、クレアがハーブティーを楽しむ様子を、上機嫌で見つめている。
「きっとすぐに声は戻るさ。僕のハーブティーが効かないわけがないからね」
自信をのぞかせるブレットの言葉には、クレアへの深い思いやりが透けて見えた。彼女の体調を心から気遣ってくれているのがわかる。
クレアが二杯目のハーブティーを飲んでいると、ブレットがベッドの上にあるロティーのぬいぐるみに目をとめた。
「これは、アイザック兄様が?」
ブレットがぬいぐるみを手に取ったので、クレアは軽くうなずく。
「……やはり適わないな」
身体を投げ出すように椅子に座ったブレットは、天井の一点を見つめてつぶやく。
「今度のことでも、僕はアイザック兄様のようには動けなかった。身を挺してクレアを守るなんて芸当、僕にはとてもできない」
先ほどまでとは打って変わって、ブレットが酷く気落ちしている。無力感に苛まれ、自分を責めてでもいるかのようだ。
【香水瓶に気づいてくださったのは、ブレット兄様だと聞いています。ブレット兄様がいなければ、私は無事に家に帰れなかったかもしれません。本当にありがたいことですわ】
クレアが励ましの意味も込めて、改めてブレットに感謝するが、彼は納得いかない様子で「それはそうだが」と項垂れる。
「アイザック兄様は、周囲の人間に目を配り、気持ちに寄り添えるんだよ。だから誰もが兄様に魅了される。その偉大さの前では、僕の努力は霞んでしまう」
クレアはブレットの前に跪き、彼の手を取った。
「ちが……ま……す」
「クレア! 無理に声を出しちゃいけない」
ブレットは慌てて立ち上がり、ペンと紙切れをクレアに渡す。彼女はそれを受け取り、大急ぎで文字を綴っていく。
【ブレット兄様にはブレット兄様の良いところがありますわ。それはアイザック兄様と比べるようなものではありません】
懸命なクレアを見て、ブレットは苦笑いをした。
「すまない、こんな弱音を吐いて。僕がクレアを励まさなければいけないのに」
【私は十分励まされていますわ。このハーブティーは、ブレット兄様にしか作れないものです。それは素晴らしい技術と知識ですわ】
ブレットはクレアの書き付けを見て、ギュッと手を握りしめた。そして遠い昔に思いを馳せるように、窓の外を眺める。
「クレアは、覚えているかい? 僕と机を並べて、一緒に勉強していた頃のことを」
不意の質問に戸惑いながら、クレアがうなずく。
「もしクレアがいなかったら、僕は全てを投げ出して、エドワーズ家を出奔していたと思うよ」
突然の告白にクレアは目を見開いた。確かにブレットは度々家庭教師から逃げだそうとしていたけれど、まさかそこまで思い詰めていたとは――。
アイザックは侯爵家の嫡男として、相応しいカリスマ性と勇気と人望があったが、勉学の重圧を嫌い、馬術や剣術の練習にばかり精を出していた。
ゲイリーはそんなアイザックに苦言を呈することはなかったが、ブレットは人知れず次兄としての責任を感じていたのかもしれない。侯爵家を自分が実務の面で支えねば、と。
クレアがショックを受けているのを見て、ブレットは静かに話し続ける。
「家庭教師が連日与える課題は、あまりにも僕の興味外のことばかりでね。そのひとつひとつに押し潰されそうだった。眠りに落ちる瞬間でさえ、膨大な数の文字がまぶたの裏にちらつくほどだったよ」
ブレットが机に向かい、蝋燭の明かりの下で書物に目を通す姿を思い出す。クレアは彼の秘められた苦悩を思い、胸が締め付けられた。
「身体が重くなり、心も擦り切れて、もうダメだと思った時、クレアが言ってくれたんだ。ブレット兄様、私も一緒に勉強していいですか? って」
確かに言った。クレアも覚えている。
しかしブレットの重圧や苦しみを、理解しての言葉ではなかった。
ただブレットが少し疲れているよう感じられたし、一緒に過ごす時間が減ってしまっていたから、お手伝いしたいなという程度の無邪気なものだった。
「あの言葉がどれほど僕を救ってくれたか、言葉では言い尽くせないくらいだよ」
泣きそうなブレットの顔を見て、クレアはどこか申し訳ない気持ちになってくる。
【あの頃の私は、ブレット兄様の心に寄り添っていたとは言えませんわ。そんなに深刻な状況だとも感じていませんでした。何かできることはないかと思っただけで】
ブレットはクレアの肩に手を置き、ゆっくりと首を左右に振った。
「クレアが意図してたかどうかなんて、どうでもいいんだ。僕は間違いなくクレアに救われたし、重圧を十分肩代わりしてもらったよ」
クレアは目を瞬かせ、頬を染めてうつむく。
「ギリシャやローマの古典だって、クレアと共に学ぶことで、面白さや楽しさを知ることができた。いつだってクレアは僕の希望なんだよ」
肩に置かれた手に力が込められ、ブレットは熱に浮かされたように続けた。
「どうか僕と結婚して欲しい。必ず幸せにすると誓うから」
クレアは顔を上げ、紅潮したブレットの顔を見た。もちろん気持ちは嬉しかったが、言葉にはできなかった。今だけは、声が出ないことに感謝するしかない。
せめぎ合うクレアの気持ちを察してか、ブレットはそっと肩を持つ手を下ろした。
「返事ができないのは、わかっている。でも僕の心からの気持ちは、知っておいて欲しかったんだ」
クレアがゆっくりと深くうなずくと、ブレットは満足げに微笑んだ。
クレアが少し寂しく思っていると、気ぜわしげなノックがあった。彼女がベッドから立ち上がり、扉を開けようとすると、その気配を察知したのかブレットが中に入ってきた。
「邪魔するよ」
ティーポットとカップがのったトレイを持ったブレットは、スタスタと部屋の中央に進み、まるで何か荘厳な儀式でも行うかのように、トレイをそっとテーブルの上に置いた。
「なかなか会いに来られなくてすまない」
クレアが軽く首を横に振ると、ブレットはポケットからハーブらしきものを取り出した。
「喉に効く薬草を選んでいたんだよ」
ブレットは秘薬を扱う魔法使いみたいに、ひとつひとつ慎重に説明を加える。
「これはエキナセア・プルプレア。喉の痛みに良く、免疫機能も改善してくれる。こっちはマシュマロウと言って、粘膜を保護してくれるんだ。別名はアルテアと言って、古代ギリシャ語で病気を癒すという意味もあるんだよ」
最後におよそハーブらしくない、白い根のようなものを持ち上げて言った。
「こっちはリコリスの根。甘みがあって、強い抗酸化作用がある」
【ありがとうございます。どれも喉に効く要素が詰まっているんですね】
クレアが感謝を書き付けると、ブレットは嬉しそうに胸を張る。
「そうなんだ。香り付けにスイートオレンジの皮もブレンドしたから、飲みやすいと思うよ。さぁ試してみて」
黄金色のハーブティーが、静かにカップに注がれる。柑橘系の爽やかな香りが立ち上り、部屋全体に広がっていく。
クレアは興味津々でカップを受け取り、おもむろに口を付けた。
美味しい……。爽やかで清々しく、砂糖が入っていないのにほんのり甘い。きっとリコリスの根の成分だろう。
【とても美味しいですわ。公務でお忙しいのに、わざわざありがとうございます】
クレアの弾むような筆致を見て、ブレットは安堵したように言った。
「本当か? 良かった。初めてのブレンドだったので、上手くいくか心配だったんだよ」
【普段から飲みたいくらいですわ。ぜひ、もう一杯いただきたいです】
「気に入ってもらえて嬉しいよ。どんどん飲んでくれ」
ブレットは嬉しそうに微笑みながら、クレアがハーブティーを楽しむ様子を、上機嫌で見つめている。
「きっとすぐに声は戻るさ。僕のハーブティーが効かないわけがないからね」
自信をのぞかせるブレットの言葉には、クレアへの深い思いやりが透けて見えた。彼女の体調を心から気遣ってくれているのがわかる。
クレアが二杯目のハーブティーを飲んでいると、ブレットがベッドの上にあるロティーのぬいぐるみに目をとめた。
「これは、アイザック兄様が?」
ブレットがぬいぐるみを手に取ったので、クレアは軽くうなずく。
「……やはり適わないな」
身体を投げ出すように椅子に座ったブレットは、天井の一点を見つめてつぶやく。
「今度のことでも、僕はアイザック兄様のようには動けなかった。身を挺してクレアを守るなんて芸当、僕にはとてもできない」
先ほどまでとは打って変わって、ブレットが酷く気落ちしている。無力感に苛まれ、自分を責めてでもいるかのようだ。
【香水瓶に気づいてくださったのは、ブレット兄様だと聞いています。ブレット兄様がいなければ、私は無事に家に帰れなかったかもしれません。本当にありがたいことですわ】
クレアが励ましの意味も込めて、改めてブレットに感謝するが、彼は納得いかない様子で「それはそうだが」と項垂れる。
「アイザック兄様は、周囲の人間に目を配り、気持ちに寄り添えるんだよ。だから誰もが兄様に魅了される。その偉大さの前では、僕の努力は霞んでしまう」
クレアはブレットの前に跪き、彼の手を取った。
「ちが……ま……す」
「クレア! 無理に声を出しちゃいけない」
ブレットは慌てて立ち上がり、ペンと紙切れをクレアに渡す。彼女はそれを受け取り、大急ぎで文字を綴っていく。
【ブレット兄様にはブレット兄様の良いところがありますわ。それはアイザック兄様と比べるようなものではありません】
懸命なクレアを見て、ブレットは苦笑いをした。
「すまない、こんな弱音を吐いて。僕がクレアを励まさなければいけないのに」
【私は十分励まされていますわ。このハーブティーは、ブレット兄様にしか作れないものです。それは素晴らしい技術と知識ですわ】
ブレットはクレアの書き付けを見て、ギュッと手を握りしめた。そして遠い昔に思いを馳せるように、窓の外を眺める。
「クレアは、覚えているかい? 僕と机を並べて、一緒に勉強していた頃のことを」
不意の質問に戸惑いながら、クレアがうなずく。
「もしクレアがいなかったら、僕は全てを投げ出して、エドワーズ家を出奔していたと思うよ」
突然の告白にクレアは目を見開いた。確かにブレットは度々家庭教師から逃げだそうとしていたけれど、まさかそこまで思い詰めていたとは――。
アイザックは侯爵家の嫡男として、相応しいカリスマ性と勇気と人望があったが、勉学の重圧を嫌い、馬術や剣術の練習にばかり精を出していた。
ゲイリーはそんなアイザックに苦言を呈することはなかったが、ブレットは人知れず次兄としての責任を感じていたのかもしれない。侯爵家を自分が実務の面で支えねば、と。
クレアがショックを受けているのを見て、ブレットは静かに話し続ける。
「家庭教師が連日与える課題は、あまりにも僕の興味外のことばかりでね。そのひとつひとつに押し潰されそうだった。眠りに落ちる瞬間でさえ、膨大な数の文字がまぶたの裏にちらつくほどだったよ」
ブレットが机に向かい、蝋燭の明かりの下で書物に目を通す姿を思い出す。クレアは彼の秘められた苦悩を思い、胸が締め付けられた。
「身体が重くなり、心も擦り切れて、もうダメだと思った時、クレアが言ってくれたんだ。ブレット兄様、私も一緒に勉強していいですか? って」
確かに言った。クレアも覚えている。
しかしブレットの重圧や苦しみを、理解しての言葉ではなかった。
ただブレットが少し疲れているよう感じられたし、一緒に過ごす時間が減ってしまっていたから、お手伝いしたいなという程度の無邪気なものだった。
「あの言葉がどれほど僕を救ってくれたか、言葉では言い尽くせないくらいだよ」
泣きそうなブレットの顔を見て、クレアはどこか申し訳ない気持ちになってくる。
【あの頃の私は、ブレット兄様の心に寄り添っていたとは言えませんわ。そんなに深刻な状況だとも感じていませんでした。何かできることはないかと思っただけで】
ブレットはクレアの肩に手を置き、ゆっくりと首を左右に振った。
「クレアが意図してたかどうかなんて、どうでもいいんだ。僕は間違いなくクレアに救われたし、重圧を十分肩代わりしてもらったよ」
クレアは目を瞬かせ、頬を染めてうつむく。
「ギリシャやローマの古典だって、クレアと共に学ぶことで、面白さや楽しさを知ることができた。いつだってクレアは僕の希望なんだよ」
肩に置かれた手に力が込められ、ブレットは熱に浮かされたように続けた。
「どうか僕と結婚して欲しい。必ず幸せにすると誓うから」
クレアは顔を上げ、紅潮したブレットの顔を見た。もちろん気持ちは嬉しかったが、言葉にはできなかった。今だけは、声が出ないことに感謝するしかない。
せめぎ合うクレアの気持ちを察してか、ブレットはそっと肩を持つ手を下ろした。
「返事ができないのは、わかっている。でも僕の心からの気持ちは、知っておいて欲しかったんだ」
クレアがゆっくりと深くうなずくと、ブレットは満足げに微笑んだ。