末の妹として大切にされてきましたが、 妻として溺愛されることになりました

第一章 アイザックの懇篤④

 オークレントの港には、数十トンの帆船や小型の補給船が停泊していた。

 塩鉱山に近いため、漁獲した魚を塩漬けにして輸出できる上、恵み豊かな後背地では木材や羊毛、毛織物なども生産されており、多くの豪商がここに店を構えている。



 これほど活気のある港になったのは、ブレットの力が大きかった。港を重要な戦略拠点と見なし、大きな投資をして運河を整備したのだ。おかげで輸出品は小舟に移し替えられ、運河を使って港へ効率よく輸送されるようになったというわけだ。



「調子はどうだい?」



 荷役作業をする水夫に、アイザックが声を掛けた。



「これはこれは、アイザック様。新しい船のおかげで魚の水揚げ量が増えましてね。ありがたい限りですよ」

「それはよかった。これからも精を出してくれ」



 水夫に別れを告げてから、アイザックがブレットの肩に手を置いた。



「良かったじゃないか。新しく開発した船は好調みたいだぞ」

「以前のものより、機動力に優れていますからね。今後は探査航海にも活用するよう、指示しています」



 ブレットが満足そうに船を見上げ、アイザックは改めて礼を言った。



「ありがとう。俺達やオークレントの民が幸福に暮らせているのは、お前の力が大きいよ」



 アイザックなりの、クレアを泣かせてしまった失言へのアフターケアかもしれない。ブレットは照れたように顔を赤らめ、そっぽを向いて言った。



「それが僕の仕事ですから」

「俺は本当に感謝してるんだよ。長兄の俺がもう少ししっかりしていたら、お前に実務を任せることもなかったんだから」



「僕はもう気にしていません。誰にでも向き不向きはありますし。今だってアイザック兄様に声を掛けられた水夫は嬉しそうだったでしょう? 僕だと相手は萎縮するだけですからね」



 人望の差というものを、ブレットは感じているのだろう。確かにアイザックは大勢から慕われているけれど、クレアにしたらどちらも同じくらい尊敬する自慢の兄だ。



 クレアには兄達のように、取り立てて優れたところが何もない。オークレントに貢献するどころか、足手まといになっているのではと思うほどだ。



 せめて美しく友好的であれば、オークレントの魅力を発信し、素晴らしさを伝えることだってできただろうに、クレアは王宮のパーティーでも壁の花になっているだけ。ダンスに応じられないどころか、会話すらままならない。



 これほどまでに引っ込み事案なのは、どこにいても主役になってしまう、兄達と比べられるのが辛いという以外にも理由はあった。社交界デビューしたばかりの頃のトラウマで、人間不信になってしまっているのだ。



「ねぇクレア。わたくし達、親友ですわよね」



 侯爵令嬢であるバーバラ・ヒースコートが、ティーカップをテーブルに置いて言った。



 バーバラとは王家主宰のパーティーで知り合い、敷地内の池で溺れていた子犬を一緒に助けた縁で仲良くなった。なかなか他人には心を開けないクレアだが、ドレスをずぶ濡れにしながら子犬を抱き上げる姿を見て、思いやりのある女性だと感動したのだ。



 ジャックと名付けて、子犬を引き取ったバーバラとは、それ以来頻繁に手紙のやり取りをするようになった。



 選び抜いた便せんに、バラの香りがするインク――。ディアナがよく使っていた、ブレット特製のインクを選んだのは、バーバラを特別な存在だと感じていたからだ。



 バーバラはクレアの手紙を、とても楽しんでくれた。



動物たちと過ごすとりとめのない日常を、興味深く受け入れてくれたのだ。バーバラ自身もジャックの自然な姿や無垢な瞳に癒され、日々心が温まると書き送ってくれた。



 可愛らしいジャックのイラストまで描き添えられ、バーバラはただ親しみやすいだけでなく、クレアに寄り添い、その内面にまで関心を持ってくれる人だと思った。



 クレアはバーバラに心を許し、是非にと請われて、ヒースコート家の屋敷にも訪れた。 バーバラはジャックと共にクレアを歓待してくれ、利発な彼女の存在が世界を広げてくれることがとても嬉しかった。



「えぇもちろん、バーバラは私の大切なお友達よ」



 もう何度目かの招待を受けていたクレアは、はにかんで答えた。バーバラはその答えを聞いてから軽く目を伏せ、膝の上のジャックを撫でながら寂しそうに言う。



「だったら私も、オークレントにご招待いただきたいのだけれど」



 以前からバーバラにはそれとなく言われていたことだ。しかし母親のいないクレアは、もてなしの仕方に自信がなく、大事な親友に粗相があってはと躊躇っていたのだ。



「ごめんなさい、もう少しだけ待っていただけないかしら」



 バーバラは嘆息するが、すぐに笑顔を作って答えた。



「わかりましたわ。わたくしはいつでも待っていますから」



 親友をガッカリさせたことに胸が痛み、クレアはひとり席を外して庭を散策させてもらうことにした。そこで彼女は下男とメイドが、裏口でヒソヒソ話をしているのを聞いてしまったのだ。



「バーバラ様は、まだオークレントに行けそうにないのか?」



 一度見たら忘れようもないほど醜い顔をした下男が、しかめっ面をしたメイドに問いかけた。



「そうらしいわ。お気の毒に」

「クレア様は判断が遅いんだ、基本的に愚図なんだよ」

「まぁ酷い言い草」

「何言ってる。これはバーバラ様がおっしゃったことだぞ」



 忍び笑いをするふたりの元に、ジャックを抱いたバーバラがやってきたようだった。



「そうよ。わたくしは正直に言ったまでですわ。頭の回転が鈍いのか、話をしていてもちっとも楽しくないんですもの。いい加減我慢の限界ですわよ」



 憤慨するバーバラを、メイドが宥める。



「バーバラ様は、聡明でいらっしゃるから。わざと子犬を溺れさせるなんて、なかなか思いつくことではありませんよ」

「せっかく策を弄しても、クレアがあの様子ではアイザック様にたどり着けませんわ。手を拱いているうちに、他の令嬢に先を越されたらどうしてくれるのかしら?」



 吐き捨てたバーバラは、腹立ち紛れにジャックを放り投げた。

 ジャックは固く冷たい石床に叩きつけられ、キャウンと哀しげに鳴いた。ヨロヨロと立ち上がったかと思うと、怯えた目でバーバラを見ながら、部屋の隅で縮こまる。



 なんということを……!



 クレアはその唇が、全身が、怒りに震えるというのを、初めて経験した。
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