末の妹として大切にされてきましたが、 妻として溺愛されることになりました

第一章 アイザックの懇篤⑤

 抑えきれない感情の嵐に心が荒れ狂っているのは、貶められたからではない。

 ジャックを危険にさらし、今なお酷い扱いをしていることだった。



 思い返してみればバーバラとの会話は楽しく、いつも安心感や親密さを感じていたけれど、ジャックは彼女にあまり懐いていないように感じていたのだ。



 クレアは今すぐにでも厨房に飛び込み、バーバラを断罪してやりたかった。



 でも今のクレアにはそんな勇気もなく、侯爵家同士の関係が悪化することを考えれば、事を荒立てるわけにはいかなかった。



 クレアが応接間に戻ろうとすると、ジャックを抱いたバーバラと鉢合わせた。ジャックは小刻みに震え、明らかに先ほどのダメージが残っている。



「もう気分はよろしいの?」

「えぇ」



 何事もなかったように微笑み、クレアは煮えたぎるような怒りを隠して言った。



「考えたのですけれど、ジャックは私に引き取らせてもらえないかしら?」



 バーバラの顔色がさっと変わり、戸惑うような声を出した。



「どうして」



 答えなどわかりきっているが、クレアは落ち着きはらって口を開く。



「オークレントには他にも動物たちがいますし、ジャックも寂しくないと思いますの」

「でも」



 バーバラが引きつった笑みで難色を示すのは、まだジャックに利用価値があると思っているからだろう。アイザックに近づくためなら、なんでもする女のだ。

 クレアはバーバラを安心させるように、無理矢理口角を上げた。



「どうか、お願いしますわ。もしお寂しいなら、ジャックに会いにオークレントにいらっしゃって」



 バーバラは何か計算していたようだが、すぐに笑顔になって言った。



「わかりましたわ。必ずまたジャックに会わせてくださいましね」



 それ以来、バーバラとは会っていない。もちろんオークレントに招待もしていない。



 ――ディアナさえ、生きていてくれれば。



 きっと魑魅魍魎が跋扈する社交界でも、上手く立ち回る術を伝授してくれただろうに。

 しかしオークレントで純粋無垢に育ったクレアには、あまりに厳しすぎる洗礼で、元々気弱だったクレアはより内向的になってしまった。



 今では公の場ではもちろん、普段から極力兄達との身体的接触を避け、無用なやっかみや妬みを買わないよう、細心の注意を払って生活するスタイルが染みついてしまっている。



「クレア、どうかしたのか?」



 ぼんやりしていたクレアの顔を、アイザックが心配そうに覗き込む。彼女はハッとして、急いで微笑んだ。



「いえ、なんでもありませんわ」

「何か悩み事でも? まぁ悩ませてるのは俺達かもしれないが」



 アイザックが申し訳なさそうにするので、クレアはできるだけ明るい声を出す。



「港には珍しいものがたくさんあって、興味津々だっただけですわ。あの動物など、身体に縞目模様が入っていますわね。たてがみも黒と白、交互に毛が生えていて面白いですわ」 



 クレアが指さした先にはシマウマがいた。まるで深窓の麗人かと思われるような立ち姿だ。警戒心が強いのか、水夫にかぶりついて、乗組員達が手を焼いている様子が伝わってくる。



「あれはシマウマという動物だよ。あの稿目模様は親子といえども同一のものはなく、全部違っているという話だ」

「さすがブレット兄様は、なんでもよくご存知ですね」



 両手を合わせ、クレアが賞賛の声を上げると、ブレットは恥ずかしそうにそっぽを向く。



「これくらい普通だ。それよりどうして、シマウマがいるんだろう?」

「俺が頼んだからさ」

「アイザック兄様が? なんのためです?」

「クレアのために、動物園を作ろうと思ってね。珍しい動物を取り寄せてもらったんだ」



 アイザックの言葉を聞いて、クレアは目を丸くする。



「いけませんわ、私だけのために大金を使うなんて」



 ブレットは険しい顔でアイザックを睨み、どこか説教口調で言った。



「まさかとは思いますが、闇オークションなど利用していないでしょうね? 最近は悪徳貴族が裏で密猟団を組織している、なんて噂も聞きますが」

「なんてこと……、貴族としての矜持がないのでしょうか」



 クレアが眉をひそめると、ブレットが同意するようにうなずく。



「全くだよ。国王陛下も随分とお心を痛めているらしい」

「まぁまぁ落ち着けよ」



 アイザックはふたりをなだめ、穏やかに続ける。



「まず、クレアのためとは言ったが、もちろん領民にも解放するつもりだ。当然真っ当な業者を使い、正規のルートで取り寄せた動物ばかりだよ」

「しかしあの船が出発したのは、もう随分前ですよね? そんな昔から計画していたなんて、立派な抜け駆けだと思いますが」



 ブレットが反論するけれど、アイザックはにこやかにかわす。



「領民が質の高い教育を受けられる体制を整えるというのは、我々の責務だろう? 動物園はその手始めというだけさ」

「では単なる収集ではなく」

「あぁ。今後は動物だけでなく植物も含めて保管し、展示し、記録して詳細なリストを作る。それらを集めた場所には、領民の誰もが簡単にアクセスできるようにすればいい。本草学の知識を持つ薬草の商売人や医者なら、管理人として適任なんじゃないかな」



 アイザックの思慮深さに、クレアは胸を打たれた。彼女のためを思いながらも、彼はオークレントや領民の未来を見据えているのだ。



「確かに知識を後世に伝える試みは、必要かもしれませんね。もし収集した動物が死んでしまっても、その姿を失わない形で保存できれば、情報を保ち続けることができますし」



 ブレットもクレア同様、感心した様子でうなずく。アイザックは「それはいいな!」と言って、ブレットの肩を抱いた。



「俺はそこまで考えてなかったが、保存なんてできるのか?」

「高濃度のアルコールに漬けて、密閉性の高い容器で保存すれば、標本にすることは可能だと思います。収集地や名前を入れたリストにすれば、わかりやすいと思いますよ」



「やはりブレットは頼りになるな。お前の仕事を増やして悪いが、協力してくれるか?」

「構いませんよ。僕自身興味もありますし、僕が個人的に収集してきた物と合わせて、半永久的に保管する場所ができるのは、ありがたいことですから」

「そりゃあ良かった。実は取り寄せたのは、シマウマだけじゃなくてね。かなり金が掛かったので、叱られないかと心配していたんだ」



 アイザックがお茶目に笑った先には、ラクダやインドゾウがいた。ブレットにとっては予想外だっただろうが、動物園を許可した以上非難することもできない。



「いや、まぁ、いいですけど、今後は一応事前に相談してくれますか? こちらも予算配分というものがありますから」



 ブレットの額にはうっすら青筋が立っていたが、アイザックは気づかないフリをする。



「もちろんわかってるよ。さぁクレア、あの背中に瘤のある動物は、ラクダと言うらしい。どうだ乗ってみないか?」
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