奪う
 口数の少ない彼に何をされているのか知りもしない後輩は、ぴょんぴょん跳ねて尻尾を振り回すのをやめない。先輩。先輩。先輩。このコンビニの先輩は、後輩に懐かれすぎている。

「先輩、一個お願いがあるんすけど、いいっすか?」

 よく口が動く後輩が人差し指をピンと突き立てた。その近くにあるのは、まるで彼に拒否されるとは微塵も思ってなさそうな気楽な顔だった。能天気で無警戒で、己のいる場所は安全地帯だと信じて疑っていないような緊張感のない顔だった。

 口を開けば冗談を言い出しそうな緩んだ表情から読み取るに、どうせ碌でもないお願いをするに違いない。聞かなくていいだろうが、聞いてから速攻で拒否するのも一つの手である。彼は平坦な声で後輩を促した。後輩は待ってましたとばかりに声を弾ませた。

「マジいいっすか先輩。命の恩人の先輩。俺はこの先もずっと、俺を救ってくれた先輩についていきたいんすよ。だから先輩、マジで連絡先教えてくれないっすか?」

「教えません」

「そりゃないっすよ先輩。全戦全敗の悲しい記録がまた更新されたじゃないっすか」

 最初からそれほど期待はしていなかったのだろう、本気で悲しんでいるようには見えない後輩は態とらしく肩を落としてみせた。後輩が彼に連絡先を尋ねる度に全戦全敗の悲しい記録は更新され続けるのみである。

 彼は分かりやすく落胆する後輩の心臓を一突きしてから、また話しかけられる前にすかさずレジを出た。後を追うことまでは、流石に後輩もしてこなかった。先輩、先輩、と金魚の糞みたいに引っ付いてきた場合には衝動的に腹を潰していたかもしれない。冗談では済まなくなるような事態にはならずに済んだことに、彼は密かに安堵の息を漏らした。ここで問題を起こせばこれまでの努力が全て水の泡となる。積み上げてきたものをぶっ壊すのはあまりにも簡単だった。いつかは破壊される未来が待っていようとも、それは確実に今ではない。今にしてはいけない。片手間に後輩を散々殺しながらも冷静に思考を巡らせる彼は、体裁はコンビニ店員として平然と仕事に手をつけた。
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