私達には婚約者がいる【菱水シリーズ④】
笙司さんのことは父から詳しく知らされてなくて、それを今初めて知った。
お正月に父と会った時、結婚のことについて、それとなく話をされるかと思っていたけど、触れられることはなく、新年の挨拶だけをして別れた。
だから、私が得られた情報は店がうまくいっていないという話だけ。

「なにも知らないのね。まあ、いいわ。小百里はあの貧乏な男と結婚して、せいぜい苦労すればいいのよ。私が知久さんと幸せに暮らしているのを見ながらね」

毬衣さんはそれを言いたくて、わざわざ店に寄ったのだと気づいた。

「店の前に車を待たせてあるの。両親も待っていることだし、もう行くわ。じゃあね」

颯爽とした足取りで赤いコートをひらめかせて毬衣さんは去っていった。
店の前に車がとまっていたけれど、あれは間違いなく高窪のご両親だった。
本当に知久は結婚してしまう。

「小百里? やっぱり今日は休んだほうがいいよ」

「心配しないで、穂風。いつかこんな日が来るって覚悟していたから」

平気よ、とまでは言えず、フロアに戻った。
手書きのディナーメニューをテーブルに置くと、中央にあるグランドピアノが目に入った。
そっと、ピアノに触れた。
母が気まぐれで習わせてくれたピアノ。
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