私達には婚約者がいる【菱水シリーズ④】
甘く耳朶を噛まれると、ぞくりと体が震えた。
ここで理性を失うわけにいかない。
誰かに見られたら、私より知久のほうが困ることになる。
家と家同士のしがらみが、私達を茨のように張りめぐらされ、茨の棘は私を苦しめる。
引き取られた時に渋木の親戚から言われた言葉を忘れていない。

『本当に父親は渋木なのかしら。頼るところがないから、一番お金を持っていそうな渋木の家に押し付けたんじゃないの』

―――母はそんな人間じゃない。
そう言いたかったのに言えなかった。
母は私を捨てたから、私は母を庇えなかった。
よみがえる過去の記憶に蓋ができたらどんなに楽になれるだろう。

「俺といるのが嫌?」

拒まれても絶対に手を離そうとはしない知久は私の手にキスを落とした。

「そうじゃないわ。わかっているでしょう?」

渋木の家に関わる人間で私の立場を知らない人間はいない。

『愛人の子』

それが私の渋木の家での立場だった。
頼りなく、弱く、そして利用されるだけの名ばかりのお嬢様でしかない。

「俺は小百里を困らせるようなことはしないよ」

「いつも困らせておいて、よく言うわ」

「心配しなくても大丈夫。ちゃんとレストランのスタッフに伝言させたから」

「なんて?」

「タクシーで帰りますってね」

< 24 / 172 >

この作品をシェア

pagetop