一年だけの契約妻で、ほぼ放置されていたのに

「そんなこと……」
ない、とは言い切れない。私が百合恵さんと同じ立場に立っても、ショックを受ける。信じている人から疑惑の目を向けられて、それが愛するふたりの間に生まれた子供なら尚更。
「もちろん、百合恵は一度も僕を責めなかったし、明るく努めていた。だから、心身が追い詰められていることに気づけなかった。それを鷹士が成人した時に話したけど、あの子はまったく怒らず僕を肯定して、あまつ慰めてきたよ。『元々こんな容姿で生まれた自分が悪い』って。そんなことないのにずっと自分を責めている。本当に……優しいんだ」
「はい」
私が頷けば、お義父さんは渋面から嬉しそうに眦を下げた。
「だから、できるなら隣で支えてやってほしい。ビジネスが結んだ縁でも、お互いの気持ちは別だ。つぐみさんは鷹士のこと好き?」
「うっ!え?あっ……」
「あはは、ごめんごめん。本人いないのに聞くのは野暮だな」
いきなりの質問に目を剥いて右往左往する私にお義父さんはニヒルに口の端を上げた。
からかわれた。
意地悪さに義父なのについつい頬を膨らませてしまったら今度は破顔される。
「ごめん、意地悪のつもりじゃなくてね。昔、君の家から帰ってきた鷹士は少しずつ話し始めて、日常生活に戻れた。君のおかげだから、ありがとうとずっと伝えたかった」
「え?しゃべれなかったんですか?」
「そう、母親が階段から落ちるのを見てしまったショックでね」
七歳のおう君は確かに初めは何を訊いても口を閉じていた。目や首の動きで意思を伝えてくるから、聞こえてはいるみたいで、恥ずかしがり屋なのかと思っただけだった。一緒に過ごすうちにポツポツと話してくれるようになったから、話せない状態とは思わなかった。最も私も九歳で、記憶も断片的にしか残っていないから曖昧ではあるけれど。
「でも、君の家から帰ってきたら話し始めたんだ。菜々美は仕事であまり構ってやれてないって言ってたし、君と遊んだのが楽しかったんだろうね」
「えー、そうですかね……。本当に大したことしてないから」
折り紙したり、絵本読んだり、テレビ見たり。ゲームもなくて、むしろ退屈だったかもしれないくらいだ。まったく心当たりがなくて首筋を搔く。
「……鷹士さんは、私と昔会ったことを覚えているんですか?」
「さぁ、わからない。あの頃の話をしたら嫌がるから。どうしても、母親の事故のことを思い出す。つらい記憶が多いから話さないんだろう」
「そうですか」
それでは私と会ったことは覚えていないかもしれない。つらい時、自己防衛でできるかぎり記憶を封じ込むこともある。その証拠に彼は私に昔のことを言ってこないし、顔合わせの時も初対面の人間の対応だった。
きっと、忘れている。でも、それでいい。つらい頃の記憶が少ないほうがいいに決まってる。それなのに、少し寂しい気持ちになるのは私の淡い初恋が絡んでいるからだ。
それは鷹士さんに関係ない。だから、私もふっきらないと。そう思えば思うほど気持ちが沈み、自ずと頭が垂れていく。すると、クスリと笑い声が聞こえた。顔を上げたら、お義父さんが慈愛に満ちた双眸を細めていた。
「鷹士の財布の中を見たことは?」
「?ないですけど……」
「機会があれば見てみたらいい」
「え、どうやって?」
「こっそり」
あの人の財布をこっそり!?
到底できない所業に私はぶんぶん首を横に振った。
「だめです!それじゃあなんか……悪いことしてるみたいですし」
「じゃあ、頼んで見せてもらったらいい」
「……機会があればやってみます」
今の流れでなぜ財布なのか謎すぎるし、絶対来ないであろう機会だけれど、正直興味はある。おずおずと答えたら、お義父さんは「よっこらしょ」とソファーから立ち上がる。
「鷹士、呼んできてあげる」
「え、悪いです。それに、帰るところだったんじゃ?」
「いいよ。予定があるわけじゃないから。それに、僕が声かけたらさすがに周りも鷹士を解放するよ」
「でも、仕事の話をしてましたし……」
「ここで話す内容なんてほとんど世間話程度だし、こういう場所が一番嫌いなのは鷹士だから。ちょっと待ってて」
「あ、ありがとうございます」

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