一年だけの契約妻で、ほぼ放置されていたのに
「斎賀啓造の遣いで参りました。真中と申します。突然お声をかけて驚かせてしまい申し訳ありません」
そう言いながら手慣れた様子で黒革のカードケースから名刺を出す。そこには確かに斎賀グループの会社名が書かれている。配属は秘書課。
「会長がつぐみ様とお話がしたいとのことで、今からお時間いただけますでしょうか?」
「えっと」
斎賀啓造さんは鷹士さんの祖父。前の誕生日パーティーで会った厳格そうな人を思い出す。個人的に話したことはない。その人が私に用事となると、自ずと構えてしまう。
「大切な、家の話だそうです」
困惑する私に真中さんは念押しするように連ねた。こう言えば私が断るわけがないという確信を秘めた声だった。そして、私は思惑どおりに頷くしかない。
「わかりました。今から大丈夫です」
「ありがとうございます」
口角を少しだけ開けた顔はどこか鷹士さんを彷彿とさせた。斎賀の血縁者なのか。そう深く考える前に彼は歩き出したからおずおずとだがついていく。すぐ傍でタクシーを拾い、彼から告げられた行き先は誕生日パーティーが開かれたホテルの名前だった。
車内はもちろん無言。運転手さんがいてくれてよかった。もし、ふたりっきりで車で向かうとなるとさすがに断っていた。名刺が本物なのかわからない。
私に断られないようタクシーを選んだのかと気さくに聞けるわけがなく、窓の外で流れていく景色と運転席近くのナビを交互に落ち着きなく見ていた。
ホテルについて案内されたのは最上階にあるフレンチレストランだった。真中さんを見ただけでスタッフが個室へと案内してくれた。
個室はホールの奥にあった。そこには四人掛けのテーブルや椅子しかないけれど、すべてが細部にまで技巧を凝らしたアンティークで美しく、エンパイアブルーの絨毯と相まって気品がある。
そこに座っていたのは会長の斎賀啓造氏と隣に二十代くらいの女性。その人とは面識がない。誰だろうと思ったところで女性がにこりと私に微笑んだからおどおどと会釈をした。
「こ、こんにちは」
「突然呼びだててすまない。どうぞ掛けてくれ」
会長は私に前の席を勧めた。また小さく会釈しながら「失礼します」と椅子に手を伸ばせば、スタッフの男性が流れるように椅子を引いてくれる。仰々しい扱いにぎくしゃくしながらも席についた。
水を注いでくれたスタッフが去ると、会長はすぐに口を開く。
「うちのアパレル事業も赤字がようやく解消された」
「よかったです」
それは鷹士さんからも聞いていたので素直に言葉にした。