一年だけの契約妻で、ほぼ放置されていたのに
「ただいま」
玄関からその声が聞こえてきた時に沈んでいた意識が引き戻された。
え、なんで?
壁掛け時計を見ると、五時前。帰宅には早すぎるし、そもそも出張で明日帰ってくるはず……。
パニックに支配されて身動きが取れずにいる間にも、足音が近づいてきてリビングのドアが開く。声からわかっていたけど、やっぱり鷹士さんが現れてさらに心臓が早くなる。
「ど、どうして……明日帰ってくるんじゃ?」
「仕事が早く済んで飛行機のチケットも取れたから。それよりどうした?」
「え?」
「帰ってきてほしくないみたいな言い方だし、なにより顔色もよくない。何があった?」
「何かあった」じゃなく既に問題が起こっているのを察知して私を見つめてくる。その聡さにもう逃げられないと、私はグッと下唇を噛んだ。
「私たち、離婚しないと」
「なぜ?」
「事業も黒字になったし、もう理由がないでしょ?それに……」
私たち、実は血が繋がっているかもとは言えなくて言葉が濁る。
彼は綺麗な眉をぐっと中央に寄せた。
「誰かに言われた?」
問い詰められてさらに閉口したら、悩ましげに瞳が伏せられる。そして、私の隣に腰を下ろした。
「大体わかった。会長だろ。そんなの無視したらいい」
「で、できないよ」
「なんで?俺たちの問題なのに」
「でも、会社がらみの結婚だったし。それに、鷹士さんは次の婚約がある、し」
「次?」
「前の婚約者の人と結婚させるって。綺麗な人だった」
私とよりもお似合いだと言えないのは、なけなしのプライドだった。惨めさと悲しい気持ちでもっと口の端が下がると、鷹士さんも深くため息を吐く。
「はぁ、あの人はとことん俺が気に食わないらしいな」
「……責任とらなくていい」
「は?」
「キスくらい気にすることない。酔った時のことだし」
「酔っていても、意識はちゃんとあった」
私の言葉に被せるように言い放った。彼のムキになった口調は初めて聞く。言い連ねようとした言葉がすっと喉の奥に落ちた。
「あなたにキスしたくなったからした。好きだから」
腕を掴まれて引き寄せられる。キスをした時と同じ、彼の胸元に頬が当たって、ほんのりとムスクの甘い香りが鼻腔に届くと、ドクドクと耳の奥で鼓動が大きくなった。
「許可なくした手前責任をとるなんて回りくどいことを言ったのが悪かったなら、はっきり言う。あなたのことが好きだ。ちゃんとした夫婦になりたい。一生を共にしたいと思えたのはつぐみだけだ」
真摯な声音が私に注がれる。名前を呼ばれてわかりやすく胸が高鳴った。じわじわとそれが全身に広がって、目頭を熱くする。
「つぐみは?」
「え?」
「俺は嫌か?」
「……嫌じゃない」
「なら問題な……」
「だめ。好きだけど……だめなの」
ついに堪えきれず涙が目の端から零れ落ちた。