夜を導く光、それは赤い極道でした。

【第2話】名前の鍵


「のぶ兄さん、千代子ママのそちらの腕は怪我をされてます」

 
 それでも澪が唱えるのは、ありのままの事実。

「私のせいです。大切な奥さんに申し訳ありません」

 信昭の命令を、お願いを、指示を守った故の行動。澪を面倒を見るという形で監視していたから負った傷。2人の関係に口を出すことはしないが、自分のせいで生じたことは謝罪をする。

 信昭は立ち止まり、千代子へと視線を向けた。

「そうなの?千代ちゃん大丈夫?」

「大丈夫ですよ、擦り傷です」

「無理しないでね」

「はい、信昭さん」

「約束だよ?知らない間に千代ちゃんの体に傷とか俺、堪えられないからね」

 それは、普通の夫婦の会話のようで。でも少し何かが違うような、そんな説明し難い微妙な違和感がある。
 
「……ごめんなさい、気をつけますね」

「うんうん。心配して倒れちゃうからね。千代ちゃんが好きすぎて」

 信昭の表情は微笑みを浮かべたまま。妻を愛する夫そのものの発言。知らない人からすれば、気にも留めないもの。でも澪の頭の中には、千代子の言葉が巡っている。

 

 “私はあの人の言葉をすべてを守りたいの”

 
 主人に尽くす忠実な犬のように……。

「あの……っ?」

 澪は服の後ろの裾を引っ張られる。中途半端に途切れた言葉に「ん?」と信昭が振り向く。誰がそうしたのか、答えは1人しかいない。

「ありがとうございました。お大事になさってください」

「うん、澪ちゃんも……はしゃぎすぎないように気をつけてね」

 そう告げると2人は廊下の先へと消えていく。その背を見送りながら、澪は呟いた。


 

「なにか、まずいことがありましたか?」

 それは隣の久我山に向けてのもの。あの時澪は確かに信昭に何かを言おうとした。内容なんて考えてもいない。ただ、千代子の考え方への疑問。それの原因である信昭への問いかけ。

 それを察したのか、阻止をしたのが久我山だった。

「私が余計なことを言わないようにですか?」

「ああ、深く関わるな。命が惜しけりゃな」

「私のせいで、怪我をする人がいるのに?」

「おまえが、おとなしくしてりゃそうはならねぇよ」

「学校もあるのに?外に出ますよ私」

「それは俺が護衛してんから、千代子さんはこねぇはずだ。今回は俺の姿がなかったから動いたんだろ」

 淡々と言葉を紡ぐ久我山。筋書が通っているから穴がない。けれど澪は、納得がいかないから話を終わらせない。

「これは、いつまで続きますか?私はどれだけの人を巻き込むんです?くーちゃんだって、そうですよね?私の護衛になって、大変でしょうに」

「若頭が決めたことだ。もう気にしなくていい。だいたい、真次郎(しんじろう)のミスにはちげぇねぇからな」

「それでも……ジロは、私を助けてくれましたよ」

 澪は久我山へと顔を向ける。真っ直ぐに逸らさない眼差し。ずっとある、真次郎への感謝を表す。

「それでも、関係ねぇな。とにかく敵組織とのトラブルが落ち着くまでは、ずっとおまえはここからは出られねぇ」

「まるで、籠の中の鳥ですね。条件付きでの自由」

「……その翼を折られるよりは、マシだろ?」

 久我山の声が低くなる。昨夜と同じ。極道の世界の闇に手を伸ばして、跳ね除けられる感覚。これ以上はもう平行線だと察した澪は、大人しく口を閉じた。

 沈黙が2人を包む。互いに目を逸らすことがない状況。無言の会話が続く中、異色の音を奏でたのは……



 

 ──ぐうううううっ

 澪のお腹だった。

「……そういえば、お腹が空いてました。くーちゃん朝ごはん食べましょうよ」

 気の向くまま、腹が減るまま、欲求に正直な澪に久我山は大きなため息を吐くと一歩先へ。

「台所で適当に食え」

「パンはありますかね。私パンが食べたいです」

「食パンがあんじゃねーの?」

「マーガリンもあるとうれしいですね」

「あー……冷蔵庫に入ってんだろ」

「蜂蜜があったら最高です」

「……なんだそれ、給食かよ。おまえ注文多すぎ」

 久我山は呆れつつも澪の発言を無視せずに一々返す。それは真面目さ故か、澪のしつこさに毒されているのか。

 どちらにせよ、他愛のない2人のお喋りは尽きなかった。


 ────


 柔らかく撫でる声に、痛みは隠された
 愛という名の檻の中で、笑顔はしずかに鎖になる

 空を見上げて羽ばたこうとしても
 扉には鍵が、
 鍵には名前が、ついていた
 


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