夜を導く光、それは赤い極道でした。

【第3話】想いの配達人


「だからっ!絶対ソースだろ!」

「いえいえ、塩コショウでしょう」

「おまえ、マジで舌バグってんな。こうなったら今から食べ比べだ」

「くーちゃんが塩コショウ派になる記念日になりますね」

「言ってろ」

 久我山が台所の扉を開けると、ふわっと香るバターの匂いが鼻腔をくすぐる。目を向ければテーブルに置かれたトレーの上にスクランブルエッグやベーコンソテー、レタスやミニトマト、それにバターの匂いの正体であるクロワッサンが綺麗に盛られた皿があった。

「あ、おはよう」

 そのトレーにカトラリーを乗せた松野(まつの)は、澪達を見て爽やかに挨拶をする。

「澪休みなのに、こんな早くに起きたの?」

「おはようございます、まっつん。まあ私は常日頃、健康を意識しておりますのでね。早起きなんて楽勝ですよ」

「へぇ、すごいね。俺は用がないならギリギリまで寝ていたいかなぁ」

「それは怠惰まっしぐらですね。朝活して気合いを入れましょう散歩とかオススメですよ」

「おまえのは傍迷惑な散歩だったけどな」

「くーちゃん、それはシーっですよ」

「ん?澪なんかしたの?」

 久我山に向けて澪が唇に人差し指を立てる仕草をすると松野がすかさず反応をした。「えー?」と、知らないふりをしれっとするのが澪という人間。

「さぁ?夢でも見たのでは?」

「あ"?おまえなぁ……」

「それよりも、まっつんは随分と美味しそうな物を作られていますね」

「ああ、これ?うん、俺の気持ちを込めてるからね」

「そんなに想いを……これは私の朝ごはんですか?」

「ふふ、残念。澪のじゃないんだ。澪の分はちゃんと後で作るからね」

「なんと、ありがたいです。では、これを食べるのはご自身ですか?」

「……ううん、ちがうよ」

 松野は眉を下げて少し悲しそうな、寂しそうな顔を見せる。澪はどうしたのかと隣の久我山に視線を合わせた。久我山は何か知っているのか、難しい表情のまま。
 本来ならここで流すのが大人なのだろう。余計な詮索はしない、それは互いのために。

「まっつん、それはフードデリバリーするんです?」

 スノとは正反対の考えだ。

「うーん、どうしようかな……」

「え?作ったのに?食べてもらわないんです?」

「そうだねぇ……」

「おまえもよくやるよな。毎回懲りずによ」

 痺れを切らした久我山が吐き捨てる言葉に、松野は苦笑いをするだけ。切なげに見つめる手元のトレー。そこにある色鮮やかな朝食は、食べる相手を想う松野の心が反映されている。


 
「それでは、私がお届けしましょうか?」

「え?」

「おまえ、また何言ってんだ」

 澪の提案に二人は目を丸くする。さらに久我山は怪訝そうにするまでがセットで。

「だって、せっかくまっつんが作ったご飯ですよ?こんなに美味しそうですし。食べてもらわないなんて、もったいないですよ」

「そうだね、食材を無駄にしちゃうし」

「違いますよ。まっつんの心が伝わらないのが、もったいないんですよ」

 澪は平然と、そう告げた。


 
「食材は無駄にはならないでしょう。最悪、私が食べますし。でも、まっつんが届けたかった相手への想いは報われませんよね。それは、悲しいことですし。伝えられる時に伝えないと」

 

 澪の言葉は真剣でも軽薄でもない。当たり前のことを当たり前というように、唱えるだけ。

 その心が、この極道の世界でどれだけ純粋か……本人はわかりもしない。


 

「……そう、だよね」

「はい。ですので、今から私がビューンとひとっ飛びならぬ猛ダッシュしますよ」

 松野が躊躇いがちに返す中、澪は呑気なまま。久我山は呆れ返っていた。
 
「おまえ、相手の場所言われてもわかんねーだろ」

「そこは、ほら?くーちゃんの出番ですよ」

「はぁ?なんで俺まで、んな面倒なこと……」

「護衛でしょう?」

「関係ねえことは却下だ。おとなしくしとけ」

「そんな冷たい。ブリザードですよ?北極くまならぬ、北極くーちゃんですか?黒から白にカラーチェンジ?」

「おい、人の頭見ながら言うんじゃねーよ」

「黒の布のがお似合いですよ」

 澪はジッと久我山の頭部を見つめる。

「白は、ほら……老いたのかと紛らわしいですし」

「くだらねぇ、んなわけあるか」

 テンポよく交わされる二人のやり取り。最初は澪のことを渋っていた久我山もいつのまにか慣れているなと驚きながら松野は、小さく笑みを浮かべる。

「大丈夫だよ、久我ちゃん。俺が自分で持っていくから」

「なら、とっとと行け」

「まっつんが持っていくなら私はお役御免ですね。フードデリバリー改め、ミオデリバリーは閉店ということで」

「いや、澪は一緒にきてくれる?」

「おや?私が必要でしたか」

 松野の表情は笑っているのに暗く、少し不安そうに瞳は揺れている。澪は大人の松野の弱々しい姿に物珍しさを感じながら、頷いた。その時の安堵したような表情。

「ありがとう、澪」

 感謝を述べられて、不思議そうに思ってしまったのは、仕方がなかった。



 ────


 温めた心は 手のひらの中
 冷めてしまう前に 渡したかった

 届くかどうかじゃない
 伝えるかどうかなんだ

 言えなかった言葉たちは
 皿の上で 小さくなる


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