夜を導く光、それは赤い極道でした。
【第4話】それぞれの味、それぞれの想い
久我山とわかれて澪は、松野の隣に並んで廊下を歩く。大事そうに手に持つトレー。それを視界に入れつつ澪は気になる疑問を投げかける。
「どんな人なんです?今から向かう場所にいる方は」
「うーん……そうだなぁ。綺麗で強くて、少しだけ見せてくれる笑った顔が可愛くて……素敵な女性だよ」
松野の唱える声音はひどく優しい。澪はよほど大切な相手なのかと察する。ふと、頭に過ぎるのは……以前に松野本人が教えてくれた言葉。
“綺麗で可愛い奥さん持ち”
「もしかして、相手にされていないというお嫁さんですか?」
ストレートな物言いに松野は苦笑いをするしかない。眉を下げたまま、力無く頷く。
「ん、そうだよ」
「食べてもらえないんですか?まっつんが作ったのに」
「俺が作ったから、嫌みたい」
努めて明るく振る舞うその姿。これが大人の為せる技。自分の心に防波堤を作り、深くは傷つかないようにしていく。
「理由は聞かないんですか?」
「うん、俺と話すのも無理みたい。まともに部屋にすら入ったことないんだ」
「え?夫婦なのに?まっつん好きなんですよね?」
「……好きだよ」
狐は静かに、けれどハッキリと想いを唱える。
「すごく、好き」
松野の表情は慈しむような、愛おしいものを見るような目で……どれだけ想いが通じ合わなくても曲げない意思の強さを澪は感じる。
──自分本位ではなく、相手を思って。
「さすが、まっつんは大人ですね」
「そう?ただ、真実を受け止めるのが怖い臆病者なだけだよ」
「それだけ、想い焦がれているということですね」
澪の嫌味のない言葉に松野は目を細める。
「なんだか、澪とこんな話してると照れるな」
「好きを素直に伝える方はいいと思いますよ」
「なら、澪も好きな人ができた時は素直に伝えてね。俺みたいに……苦しい思いをしないように」
紡ぐ声音は、やはり切なさを含んでいた。澪は何か励ましたいなと、笑ってほしいなと足りない頭でぐるぐると考える。
「まっつんはソース派ですか?塩コショウ派ですか?」
「ん?」
唐突に切り出される内容。松野は先程までの雰囲気から一変して、呆けた顔をする。けれど澪は止まらない。
「私は絶対に塩コショウなんですよ。焼く時から振りかけておけますし。でもくーちゃんはソース!男は黙ってソースモリモリだろって」
「えーと?それ、何の話?ステーキとか?」
ステーキソースと塩コショウが思い浮かんだのだろう。松野が尋ねると澪はキョトンと首を傾げる。
「え?目玉焼きに何をかけるかですよ?」
「は?」
これには思わず松野も素が出てしまったようで、いつになく素っ気ない反応。
「そんなことで?朝からもめてたの?あんなに?」
「重大な議題ですよ?朝ごはん食べる時に思っていたのと違う味がきたら萎えるでしょう?私は嫌です」
「んー、まあ……でもさ?それなら、それぞれが好きな味を作ればいいんじゃない?」
「それは、つまり?」
「どっちかに合わせるんじゃなくて、それぞれが笑顔になれる選択肢をとれたらいいなって。少なくとも俺なら、そうするかな」
松野の発案に澪は目をパチクリとさせる。思ってもいなかった考え。どちらかが我慢をするのではなく、どちらも幸せになれる道。
それが、すんなりと出てくるから松野は本当に心根が優しいのだと澪は確信した。
「まっつんは、本当に優しいですね」
「そんなことないよ」
「いえいえ、私は今のアイディアで心はハッピーになりましたから。さすがですよ」
「……そう?ありがとう」
松野が微笑む。澪は安堵した。ああ、よかった……このまま、悲しむことがないように。
そう、願いながら隣を歩いた。
******
ある程度、奥まで進んだ屋敷内。ようやく松野は足を止める。目の前には扉。ここが、松野の奥さんのいる部屋かと澪は横目でチラリと松野の様子を窺う。緊張した面持ちの彼は、眉根を寄せたまま。
「私がノックしましょうか?」
「……え?」
「トレーを持っていたら無理でしょう」
「あ、ああ……そうだよね。うん、お願い」
歯切れの悪い松野に澪は関係無いという風に素早く扉を叩く。
「……ん?あれ?」
しかし、反応はない。澪は松野に目を向ける。松野は顔を俯かせていた。暗い表情。澪はスッキリしない気持ちになる。
ここまできた。松野が想いを込めて作った料理。ただ好きな人に食べてほしくて届けたい気持ち。それが全て水の泡。
それは、悲しい。
「──仕方がありませんね。ここはとっておきの呪文を唱えましょう」
澪の言葉に松野が顔を上げる。弱気な表情のまま絡まる視線。澪は自身の胸を叩いてアピールをする。
「私にお任せください。まっつんの想い、必ず届けてみせますよ」
そのためには、この目の前の扉を突破しなければならない。澪は息を吸って、吐いて、また吸って……音を発した。
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扉の向こうへ
伝えたい想いが 冷めてしまう前に
声をかけたら
何かが変わると 信じたくて
だから私は
今日も ノックする
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