夜を導く光、それは赤い極道でした。
Lux7:限られた世界で
【第1話】未明に灯る声
きっと私は、まだ知らない。
笑って誰かの背中を押すことが、
時には、誰かの“勇気”になるってこと。
本当の気持ちを言葉にすることが、
どれだけ怖くて、どれだけ強いことかなんて、
今の私は、何ひとつわかっていない。
ただ、今日も私は、笑う。
信じてる。
誰かの隣に、ちゃんと幸せがあると。
────
結局あの後、松野と共に台所へと戻った澪は彼の作った手料理を食べた。栞のために想いを込めて作られたものを。美味しいと夢中で食べれば、松野は笑ってはいた。けれど、その瞳はどこか悲しげなまま。
それは、昼も夕飯時も同じまま。澪が台所で松野の作った温かい料理を食べる傍らで、視界に入るトレー。
「まっつん」
「ん?なに、澪?おかわり?」
「……そうですね、美味しいので食べすぎでしまいます」
「うれしいよ、ありがとう」
大人だから、隠すのがうまいのか。松野はいつものように爽やかな笑みを浮かべる。胸の奥がザワザワとする。澪は彼の手料理を口にしながら、なんだか物足りない何かを感じていた。
******
「送っていただいて、ありがとうございます」
「仕事だからな」
夕飯まで終われば、澪は自室へと戻る。まだ覚えていない屋敷の中を久我山に送り届けてもらって。
「いいな?勝手に出歩くなよ」
「屋敷内ならいいです?」
「却下だ。おとなしくしとけ」
「ちょっとだけ、ほーんのちょっと」
「……」
「冗談ですよ。そんな怖い顔しないでください。大丈夫です。ちゃんと部屋にいますから」
久我山の圧に即座に白旗をあげた澪は、これまた本当にわかっているのかいないのか。そんな呑気な態度のまま。久我山は大きなため息を吐いた。
「GPSでバレるんだからな」
「私がスマホを置いていくという考えは?」
「あ"?」
「肌身離さず装備させていただきますね。くーちゃんの愛を」
「気色悪いこと言うな」
久我山は吐き捨てると踵を返す。その背に澪は「くーちゃん」と呼びかけた。
「おやすみなさい。まあ明日」
「……おう」
振り返ることなく去っていく久我山。澪は、そんな態度にも気にはせず、扉を閉めた。
入浴も歯磨きも済ませて、後は眠るだけ。敷いた布団の上でゴロゴロと横になりながら、澪は思案する。
千代子や松野たちのことを。
信昭と千代子。そして松野と栞。2つの夫婦は各々独自の愛を示している。支配と依存、無償と放置。ネット小説のハッピーエンドの物語にはないような展開ばかり。
まるでそれぞれが、自分の中だけで“愛”を定義してるみたいだった。
そもそも、愛とはなんなのか。愛するとは、どういったものなのか。
澪には、そこが疑問だった。
恋愛小説や乙女ゲームでヒロインが結ばれる幸せな話には、気持ちが舞い上がるしキュンともする。
でもそれは、ファンタジーとして。リアルで起こるような想像はつかない。
好きすぎて、その人しか考えられない……そういう対象も澪には経験がない。だから、余計にわからない。
よくドラマや小説では共にいて、お互いを求め合い、末永く気持ちを紡いでいく。好きな人と同じようなものが欲しいとか、一緒のことがしたいとか。
澪の友人たちもよく彼氏とお揃いにしたとか、毎晩電話してるとか、そんなことで盛り上がっていた気がする。
だから、愛は……そうやって────
その時、コンコンと部屋の扉がノックされた。澪が起き上がるのと同時に「起きてる?」と声がかかる。
その声は、今朝からずっと考えていた相手。澪の口元が緩くなる。
「合言葉を唱えてください」
「は?」
「ここを開くには、愛情たっぷりの合言葉が鍵です」
「ふざけんな。さっさと開けろ」
「せっかちですねぇ。そんなに私に会いたいとは……仕方ありませんね。特別ですよ」
「いいから」
「照れないでください」
「おまえ、ほんっと……そーいうとこだぞ」
扉越しに声をかけて、澪は相手の反応に不思議と心が弾んだ。意味のないやり取りなのに、楽しくて仕方がない。
「ジロ、会いにきてくれたんですね」
扉を開けると、澪の目の前には眉根を寄せた真次郎がいた。1人はニコニコともう1人はムスッとしている、傍からみればおかしな光景。けれど、澪は真次郎が本気で気分を悪くしているとは思わない。
「兄貴の命令だから、仕方なくだよ」
「ちゃんと約束を守ってくださるなんて、私感動してます」
「わざとらしい」
「どうしてです?こんなにも喜んでいるというのに。伝わらないだなんて……涙の一つでも流せばよろしいですか?」
「言ってる時点で意味ねぇーじゃん、アホか」
真次郎が若頭の龍臣から命じられた『一日一回澪の話し相手』という、特殊な任務。律儀に守るあたりが、口が悪くも真次郎という人間の内面が出ていた。
澪は、うれしかった。なぜか真次郎は自分の護衛を最初に申し出たり、ここに匿ってくれようとしたりと世話を焼いてくれるから。そんな彼が望んだことを、命令とはいえど叶えてあげられることが、だ。
それに────……
「やはり、こうでないと」
「は?なに?」
「まっつんもくーちゃんも他にも話相手はいますけど、ジロの代わりはいませんから」
その声音は、凛と透き通っていた。
「ジロの顔が見れて、話せて、うれしいです」
「……何言ってんだ、ばぁーか」
澪の言葉に真次郎は眉間の皺を深くして、でも耳は少し赤い。そんな反応に澪は、笑うだけ。夫婦でなくても、こんなに楽しいお喋りがあるのに……再び、澪は脳裏で松野や千代子達を思い浮かべた。
「なんか、あったの?」
澪の態度に少し違和感を覚えたのか、真次郎が尋ねる。そこには揶揄う素振りも、興味津々という素振りもない。
ただ単に“心配”という想いが見えてきそうな雰囲気で、語りかけてくる。
「え、なにも?いつも通り元気でしたよ?」
「本当か?全然ちげーけど」
怪訝そうに真次郎が言うと、澪は瞬きをし、小さく笑った。
「ジロは鋭いですね」
「まぁな」
そう言って真次郎も笑う。その笑顔につられて、澪は小さく息を吐いた後、ゆっくりと言葉を紡いだ。
────
いつからだろう、
心に名前をつけたくなったのは。
愛でも恋でも、ただの居場所でもない、
その声が、夜を破って届くから──
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