夜を導く光、それは赤い極道でした。
【第3話】池の中の恋
翌日、澪は約束通り久我山を待ち2人で松野のいる台所へ向かった。またしても、いい香りが漂う中、手つかずのトレーが目に入る。
毎日、毎日。届かない想いを抱えて松野はしんどくないのだろうか?澪は、黙ったまま彼の作った朝食を口へ運ぶ。
温かい、優しい味を。
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なんで、二人は好き同士なのにすれ違う?想いが通じあっていれば、幸せになれるはずでは?それが王道展開なのに、ここの現実はそうはならない。
「おまえ、難しい顔してんな」
「くーちゃんは、恋ってしてます?」
「はあ?」
「いや、なんで好き同士なのにうまくいかないんですかね」
屋敷の庭の中で、鯉が泳ぐ池の前でしゃがむ澪。自由に水の中を漂う彼らは、決してこの中からは出られない。その限られた自由の中を精一杯謳歌する姿に悲壮感は微塵も感じない。
極道という世界に嫁として足を踏み入れたその代償は、いろいろあるのだろう。その中で歪みつつも愛を感じる者もいれば、頑なに逆らうように拒否をし続ける者もいるのは当然。
けれど、これから先……死ぬまでここに囚われ続けるのならば、より幸せになれる道を選ぶほうがいい。自分の気持ち次第でどうにかなるのなら、なおさら。
「また変に首つっこもうとしてんじゃねぇよな」
「またとは失礼な」
「子どもは自分のことだけ考えてろよ」
「まっつんと栞さんが、なんでしょうか。もどかしくてですね」
澪の隣に立つ久我山に、二人の名前を出せば大きくため息を吐かれる。それは澪と同じように焦ったさからくるものなのか、それとも……また別なのか。
「おまえは、本当に子どもだな」
「どういう意味です?」
「そのまんま」
澪は久我山へと視線を向ける。呆れる表情は変わらない。面倒そうな態度のまま、未だに疑問符を頭に浮かべる澪を見て、またため息を一つ。
「あいつのジャケット、見たことねぇか」
「ないですね。シャツにベスト姿しか」
「貰ったんだとよ。ベストと同じ青色の。だから、普段は汚したくなくて着れねぇんだと」
その言葉に澪は一瞬だけ目を丸くする。
「色まで合わせて……プレゼントですね、それは」
誰にとは聞かない。その答えは考えてる通りだと思うから。松野のベストの色。
単純な青とは違う。
少し色味が複雑で、まるで──夜明け前の空のような。
それと合わせる、それだけで“適当”ではないのだと理解する。
久我山は澪が察したのに気づき、そのまま話を続けた。
「んでよ、そのジャケットの内側に刺繍がしてあるんだと」
「え?詳しくないですか?くーちゃん。もしや……盗聴?」
「んなことするかよ」
「ダメですよ、夫婦の話を盗み聞きは。プライバシーでしょう」
「だからしてねぇって。全部、松野の野郎が吐いたんだよ」
「それは惚気という?」
「酔っ払った時にな。うれしくてうれしくてたまらないって感じで、ずーっとだ。聞かされるこっちの身にもなれってんだよ」
文句を吐き捨てる久我山に澪はただただ意外そうな顔をした。あの2人はすれ違ってなどいない。しっかりと想い合っていて、けれど噛み合わない時のが多い。
そう、昨日のやり取りから感じた。
「なんで、まっつんは嫌がられてると思うんですかね?確かに冷たくされてましたけど、あれはいわゆる流行りのツンデレでは?」
「自信がねぇんだろ」
「プレゼントまで貰って、想われているのに?」
「あいつは昔から自分が我慢すればって考え方すんからな」
澪は首を傾げる。好かれている自信がないことと我慢が繋がらない。それは別問題な気がするから。しかし久我山は珍しく丁寧に説明をする。
「あいつの嫁、とあるイタリアマフィアのボスの娘」
「え!まさかのワールドワイド!へぇ、まっつんがそんな……政略結婚です?」
「表向きはな」
「と、いうと?」
「あいつ自身は、そう思ってねぇってこと」
久我山はどこか遠くを眺め、言葉を紡いでいく。
「イタリアからわざわざ自分の嫁にきてもらった、プレゼントをもらった、でもそれは組同士の仲を円満に取り持つために仕方なくやっている、相手が犠牲になっていると思ってる」
「……そんな、ことがあったんですね」
澪は、言葉を失った。
「プレゼント」や「手料理」が、これほどまでに重たい意味を持つとは思いもよらず──。
「だから、本当はめちゃくちゃ大好きなのに自分から動けないと?」
久我山は頷く。澪は松野の顔を思い浮かべる。いつも優しくて、そんな彼が一心に想う相手。その相手もどう考えても好きなはずなのに。好かれている自信がないから、思い切って行動できない。本当は抱きしめたくても、我慢をしてやりすごす。何回跳ね除けられても……。
それでも、また寄り添おうとする。あの人はそういう人だ。
「なんだか、わざわざ遠回りするんですね。絡んだ紐を解けばいいのに」
そうすれば、それは綺麗な直線になる。真っ直ぐに、相手へと向かう。
「外野が何回言っても、あいつは自分の殻を破らねぇよ。頑なに否定すんからな」
「それは、頑固すぎでは?」
「そういう奴なんだよ」
面倒くさそうに再び吐き捨てて、久我山は澪の腕を掴み立ち上がらせる。澪はもう庭を眺めるのは終わりなのかと察して素直に動いた。離される腕。しかし、久我山は険しい顔つきのまま、それ以上は動こうとしない。
「どうしました?」
「おまえなら、どうする?」
「なにがです?」
「あいつのこと」
示すのはきっと松野のこと。澪は「んー」と思案しつつ、単純明快な答えをだした。
「私なら、まっつんは放置です」
「あ?」
「代わりに、栞さんを攻めます」
それは久我山には思いもよらなかったこと。澪はスラスラと考えを述べ始める。
「まっつんの自信も我慢も栞さんが好き好きアピールをすれば解決でしょう?もともと栞さんも好きなんだろうし、そちらを説得した方が早くないですか?」
「……無理だろ、そんなん。他人変えんのなんか一番面倒だろ」
「そうですね。けれど、好きな相手のことなら変われるでしょう」
淡々と告げる澪に久我山は眉根を寄せる。それは明らかに無理だと表情で語っていた。それでも澪は唱え続ける。
「だって、これからずっと一緒に生きていく相手ですもん。覚悟を持ってここにきた人なら、この狭い中で精一杯幸せに生きようとするはずです」
それは池の中の鯉のように……。
「理想論だろ」
「理想を語れない人に、よいパフォーマンスはできませんから」
「んだよ、パフォーマンスって」
「人生という名のステージで踊り狂うことですね」
澪は久我山の横を通り縁側へ上がる。そして、手招きをした。
「ほら、くーちゃん。行きますよ」
「どこにだよ」
「そんなの、決まっているでしょう」
澪はニッと口の端を上げる。それは悪戯っ子のような表情で、どんな突拍子もないことを言い出すのかと久我山は警戒した。ただ、それを防ぐ術はない。
「──扉を開けに、ですよ」
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声をかけたのに
返事はこなかった
想いがあれば届くはず
そう信じていたのに
開かない扉の前で
きみはまだ立ち尽くしてる
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