夜を導く光、それは赤い極道でした。
Lux8:勇女
【第1話】選ばなかったチョコの味
──夢を見ていた。
笑って、歌って、恋を語って。
きらきらした“今”が、ずっと続くと思ってた。
「行ってらっしゃい」
その背に手を振った瞬間、
運命は、もう決まっていたのかもしれない。
知らなかった。
この夜が、
誰かにとっての最後の“平穏”だったことを。
────
面影庵で過ごしながら、澪の毎日は変わらず続いていく。当たり前のように高校へ行き、変わらず友人と過ごして、松野の作ったお弁当を「すごーい!」などと褒められたりして。
そうした時間の中で、最初こそ慣れなかった久我山の送迎も今となっては様になってきていた。
「ねぇ、くーちゃん。毎回車のドアを開けてくれるのは、私をプリンセスだと確信しているからです?」
下校時刻。校門から少し離れた場所で停まる黒塗りの車。あまり生徒が通らない脇道を選んでいるのは、澪への配慮なのだろう。
目立つことをして、変に注目を浴びせても今後の生活がやりづらくなるという気遣いなのだが、当の本人である澪は騒がれたところで何のダメージも負わなさそうではある。
「いいから、さっさと乗れ」
「ぶっきらぼう系男子ですか?本当はおまえが大切なんだ……離したくない、的な?」
「言ってろ」
久我山は呆れ返って、もはや相手にする気もない。
澪が後部座席に乗りこむと、ドアが閉まる。その時でさえ、いちいち澪に「もっと奥いけ」と、指などを挟まないように声をかけるのだから、あながち例えは間違ってないなと澪は思う。
思えば、突き放されるような言い方なのに先回りする優しさを受けていた。だからこそ、たまにちぐはぐに感じてしまう。
「……くーちゃんって、どこまでが本気なんだろ」
ぽつりと呟いた声は、運転席まで届いたかどうかもわからない。
けれど、それからの久我山は一言も発さなかった。
車内に流れる静けさが、なぜか澪の胸をチクリと刺す。
緩やかに車が進んでいく。しばらくして、スマホを眺めて澪は「あ!」と声を漏らした。
「くーちゃん、くーちゃん!コンビニ寄ってください」
「なんで」
「新作のチョコが出てるんです!これは即チェックですよ。甘いものをこの身に宿すものとしては」
「んだよ、そのわけわかんねぇ使命」
「でも、くーちゃんの好きなホワイトチョコもありますよ」
「いくぞ」
澪の誘導に久我山はまんまと流されて、目的地をコンビニへ。後ろで澪がガッツポーズをしていたのはいうまでもない。
******
「あーー、これも。これはいちご!あーこっちは裏切らない味!」
久我山と共にコンビニにて買い物をし始めた澪。陳列されたチョコの菓子を一つ、また一つと見て頭を悩ませる。そんな澪を隣で呆れたように眺める久我山。傍からみると強面の男と女子高生の組み合わせはある意味目立つ。
「おい、まだか」
「待ってください。これとこれが私の心を惑わすんですよ」
澪は最終的に2つまでチョコ菓子を厳選したが、その先が困難を極めていた。正直、どちらも欲しい。
「こちらのオーソドックスなミルクチョコにすべきか……限定品のいちごチョコにすべきか」
「早くしろよ。決まんねぇなら帰んぞ」
「そんなことあります?チョコを買いにきているのにチョコを買わずに帰る?それはもうアホそのものですね」
「よかったな自己紹介できて。“二兎を追う者は一兎も得ず”だな」
久我山がバカにしたように笑うその横で澪は何か閃いたのか悩んだ物とはまったく別の菓子を手に取った。
「おまえ、チョコを買いにきたんじゃねぇのかよ」
「これだけ悩むということは違う道があるという神の導きかと思いましてね」
「それにしてもラムネって……」
「なんですか、おいしいじゃないですかラムネ」
今にもラムネへの思いを熱弁しそうな勢いの澪に適当に相槌を打ち久我山はその菓子と、澪が悩んでいたチョコ2つをレジへと持っていく。澪は「よろしいんです?」と声をかけるが、久我山は特に気にもせず頷くだけ。
「私お金もってますよ」
「俺のついでだ。子どもが気を使うな」
そう言う久我山のもう片方の手の中には、新作のホワイトチョコがしっかりと握られていた。それを覗き見て澪は、ニッと微笑む。
それは、後でもらおうという下心。
「ありがとうございます。あ、唐揚げ棒もお願いします」
「ふざけんな、何しれっと頼んでやがる」
「気を使うなと、言われましたよ?え?数秒前の会話をお忘れですか?」
澪の言葉に久我山はため息を吐く。それは、明らかな呆れ。
「それとこれとは話がちげぇよ。はぁ、いいけどよ」
「ありがとうございます。くーちゃんはいい人ですね」
「こんな数百円でいい人とは、おまえも単純だな」
「悩み苦しむより、単純な方が生きやすいですから」
「……ちげえねぇな」
久我山の顔が一瞬変化したのを澪は見逃さない。眉根を寄せて、笑うその姿。問いかける前に消え失せて、いつもの表情と目が合う。
「なんだ?」
「いえ、なんでも?」
気になると聞かずにはいられないのに、この時ばかりは澪はなぜか……それ以上踏み込むことができなかった。
いつもと違う、苦しげな笑みが……胸をざわつかせた。
笑ってるのに、苦しそう。──なんでだろう、わからない。でも知りたい。
でも、聞けなかった。
……ああ、くだらねぇ。普通の会話なんか、一番、いけ好かねぇ
わかってる。距離を保てなくなるのは、自分のせいだ。
……情なんて持つつもりなかった。それなのに──
澪の視線を受けつつ、久我山は全て察しているのにあえて気づかないフリをした。それは、澪の護衛を任された日に信昭に告げられた──……
「この子が“戦力”になるなら使え。そうじゃないなら、餌になる」
「判断は任せるよ。ただし、情に流されるな──潰れちゃうよ、久我ちゃん」
その命令から。
馴れ合ってはいけない。絆されてはならない。だって、こいつは監視対象。道具かどうか、価値はあるのか、見極める役割がある。
そう自身を律して久我山は会計を済ませると澪へと買ったものを袋ごと渡す。
「……ほら」
「ありがとうございます、くーちゃん」
裏のない声音。
“くーちゃん”などと、呼ばれることに久我山の心は……いちいち軋んだ。
その呼び方が、まるで……自分が“誰か”になれたような気がするから、腹が立つ。
そのたびに、壊したくなる。壊せないくせに。
お菓子を出しながら喜ぶ澪の隣で、久我山は苦しそうに眉根を寄せた。
────
──守るふりで、壊したいほどの優しさを。
触れた指先に、もう言い訳はできなかった。
それでも、誰かになる資格なんて、ないくせに。
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