夜を導く光、それは赤い極道でした。

【第2話】芍薬は見つめていた


 買い物を終えて屋敷に戻ると何やら人が多く集まっていた。澪は車から降りて唐揚げ棒を食べながら、それを眺める。

 門から玄関までの道を並ぶように立つ黒い服の男たち。なんだかここを通るのが躊躇されるが、通らなければ部屋に戻れない。車を戻しにいった久我山を待ってもいいが、それを待つのも面倒。

 と、なれば進むしかない。

 澪は唐揚げ棒を食べながら、黒服が両脇に立ち並ぶその間を堂々と通る。ジロジロと異物を見るような視線が刺さるが、気にしていても仕方がない。

 というより、半分以上は唐揚げのおいしさに心奪われていて頭に入ってこなかった。

「おい、おまえ何入ってんだ」

「え?口の中には唐揚げが入ってますが?」

「はぁ?ちげぇよ、なめてんのか」

「いえ、噛んでます」

「なんだこの子ども(ガキ)っ」

 澪の前を塞ぐように詰め寄る男たちは、皆怪訝な顔をしている。この人たちには自分の存在って知られていないのか、まあまだ屋敷にきて数日だもんな無理かと冷静に頭で考えながら澪は唐揚げを飲み込んだ。

「そこを通りたいのですが」

「通すわけねぇだろ。帰れ」

「困りましたね。この道しか知らないんですが」

「さっきから、なんなんだ。ふざけた態度で」

「痛い目見せないとわかんねぇのか?」

「えー?暴力反対です」

 糠に釘、暖簾に腕押し。まさにその言葉を体現するような澪に黒服の男たちの眉間の皺は深くなる。そろそろ久我山がきてもいい頃合いだが、それよりも早く悪い大人たちの洗礼を受けそうだ。

 取り囲まれた中心、どの視線も排除を含む威圧つき。
 唐揚げ棒をもつ指が、緊張で少し震えた。

 一人が澪の肩を掴もうと手を伸ばす。

 

 



「──何しとんねん」


 それは、スッとその場に響いた。

 黒服の男たちが一斉にそちらへと体を向ける。そして頭を下げた。それによって塞がれた視界がクリアになる。澪の目に映るのは、着物を着た一人の女性。

 黒字に桃色の桜の花びらが彩られ、帯も薄いピンクの可愛らしいもの。緩く纏めた焦茶髪と相反してハッキリと紅を塗った唇が不思議な魅力を放つ。

 凛と立つその姿は、ある言葉がピッタリと当て嵌まった。
 

 “立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花”
 

 思わず息を呑んで見惚れてしまう澪。その女性と目が合った。真っ直ぐに澪の元へ向かう女性。誰もその道を妨げようとはしない。

 この屋敷で女性は3人。その最後の一人が今、目の前に……

「はじめましてやな、澪」

 ああ、この人は。この組で一番偉い龍臣(りゅうしん)の相手。

「私は若頭の妻、(りん)や」

「龍臣さんの……ということは、(ねえ)さんというわけですね」

 澪が口にしたのはそれだけ。いつもならもっと変なことをペラペラと喋れるのに、なぜかそれができない。

「ちょっとばかし前からお世話になっています。よろしくお願いします」

 瞬きすら忘れてしまう。それほどの存在感。
 
「そんな固くならんでええよ。まだ高校生やろ?うちのことで迷惑かけたなぁ。ごめんな?」

「いえ、大丈夫です」

「ならええわ。で?中に入らんの?」

「入りたいですが、その……」

「ん?あー……なるほど」

 歯切れの悪い澪に何かを察したのか、凛は目を細めてその後に、黒服たちに向けて言葉を放つ。

「この子はうちのお客様や!舐めた態度とったらただじゃおかん。ほら、さっさと道あけぇ」

「はい!姐さん!」

「先程は失礼しました!」

 鶴の一声ならぬ、姐さんの一声。黒い波が一斉に左右へ下がる。圧倒されている澪の後ろからようやくやってきたのか久我山が怪訝そうに眉をひそめて近づいてきた。

「おい、なんかあったか……あ"?」

「あ"?じゃないねん、何離れてんねん」

「車置いてきたんだよ。問題でもあったんか?」

「おおありや。可哀想に兎みたいにプルプルしとったで?なぁ?」

「こいつが?夢でもみてんじゃねぇか?」

「久我、あんたなあ、一応今の私はオフやないんやで?ええんか?その態度」

「それは大変失礼いたしました。姐さん」

「よろしい」

 フランクな雰囲気から相手を敬う態度へと切り替える久我山の隣で澪は二人の会話に耳を傾ける。親しげな雰囲気から、気のおける友人のような空気を感じた。

「おでかけですか?」

「会食や。面倒やけど、これもあの人の女房としての仕事のうちやしな」

「送りたいのはやまやまですが、自分には澪の護衛がありますので」

「それでええ。この子のこと、しっかり守り」

 凛は澪へと目を向ける。そして柔らかく微笑んだ。

「なんか困ったことあったらすぐ言いや?叫んでも飛んできたるから」

「それでは、お凛さーーーーん!と屋敷中に聞こえる声でお呼びしますね」

「なんやお凛て、忍か!」

 思わずつっこむ凛の表情は楽しそうで、澪の心も温かくなる。

「凛さーーんより、お凛さーーん!って呼びたくなる不思議ですね。いつでも、どこでも、寝る前もあなたを思って叫びます」

「迷惑だからやめろ」

「え?だめです?」

「んー、でもそれは逆に聞いてみたいわぁ」

「ほら、こう仰ってますよ」

「冗談に決まってんだろアホか」

「人を疑うなんて……心が荒んでますね。あ、ラムネいります?糖分」

「いらねぇ」

「食べさせてほしいと?」

「ちげぇわ!」

「あはははは!なんや久我がほんまに振り回されとんのか」

 久我山が隣にいる安堵感からか少し調子を取り戻し、ふざけたことを口にする澪。それに対して大声で笑う凛は、千代子や栞とはまた違う。


「ほんま、話に聞いてた通りのおもろい子やな」

 何をしても包み込んでくれそうな、そんな不思議な感情を抱かせた。


 ────

 ──知らない声が、知らない感情を、呼び覚ます。
 それは、いつかの傷か。これからの、爪痕か。
 心がまだ、痛みの名を知らぬうちに。
 名を呼ばれた、その響きが──
 まるで、罠みたいやった。


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