夜を導く光、それは赤い極道でした。
【第3話】芍薬、夜に荒ぶる
「ほな、行ってくるわ」
凛が足を進める。黒服の男が車へと案内する。澪はその背に思わず声をかけた。
「あの!……行ってらっしゃい」
振り向いた凛は、ニッと口の端を上げて「気張ってくるわ」と軽く片手を上げていた。
車が出るのを見送り、久我山と屋敷内へ戻る。澪は気になっていたことを聞いてみた。
「お凛さんと仲良さそうでしたね、くーちゃん」
「ああ、高校の時の同級生。松野もな」
「え!そんな時代がくーちゃんに?」
「普通だろ。今のおまえくらいの時に会ったんだよ」
「そこからずっとですか、わぁ……なんか、ドラマみたいですね」
「んな、いいもんじゃねぇけどな」
懐かしむような顔をする久我山。澪はそれを横目に先程の凛を思い出す。勇ましく、極道の女という姿を表していた人。それなのに気さくな面もあり、笑う顔は眩しかった。
「でも、お凛さんってかっこよいですね。大人の女性の強さを詰め込んだような」
「まあ、若頭が気に入るようなやつだしな」
「そこにもドラマチックな恋愛が……気になりますね」
「だから、あんま首つっこむなよ」
「恋バナもダメなんです?恋しないと生物は繁殖しませんよ?」
「そんなする暇あったら勉強でもしとけ」
「くーちゃんの口から、勉強?え?明日は嵐か何かですか?」
「おまえなぁ……」
いつものように他愛もないやり取りをしながら、二人は屋敷内の廊下を進んでいった。
******
夜になり、松野のところで夕食を食べた後。澪は久我山に部屋まで送ってもらい、シャワーを済まして寝るまでのんびりと過ごす。
明日は土曜日。今朝のように好き勝手に外に出ることはしない方が賢明。そうすると、暇になる。ネット小説でも読むか、もしくは書くべきか。書くとするなら殺伐とした極道ライフよりも恋愛のが書きやすそうだ。
澪は身近な人間を思い浮かべる。信昭に千代子。松野に栞。どちらも大人すぎて、自分には彼らの恋愛パターンの理解ができない。それでは、書くことなど無理。
もっと手近にちょうどいい人間はいないものか……そう澪が思い巡らしていると、何やら妙な物音が聞こえてきた。
バシッ、バシッ!と不確かなリズムを刻んで奏でられる。それとは別に廊下に響く、低く重たい、床を踏みしめる音。
何の音だろう……澪が不思議そうに顔を向けるのと同時────、
ばぁぁんっ!と突然襖が開いた。
「ああああああ!もうっ、ほんまに!うっざい!」
一瞬、心臓がビクリと跳ねた。
“敵じゃない”とわかる前に、本能が一瞬、怯えた。
荒々しい声と共にズカズカと入り込んできた相手。
その勢いに、空気がピリつく──そのはずだったのに。
「あのエロおやじっ!人がニコニコしたってからに、キャバクラちゃうねんぞ!!」
相当な怒り具合で頭を掻きむしる姿。ボサボサ具合がもはや山姥の如し。警戒しつつも澪は、ついに妖怪が出たと嬉々として様子を窺うと、ようやくその主と目が合う。
「あん?」
「はい?」
「…………え?なんでここおるん?」
「ここが、私の城ですから」
「……ほんまに?」
「ほんまに」
思わず同じ口調で返すと相手の目がカッと見開くのがわかった。そして部屋から出る。閉まる襖に、なんだったのだろうと思っていると再び開く襖。
「なんや、澪の部屋はここやったんか」
そこにはボサボサ頭は相変わらずだが、微笑みを浮かべた女性。まるで何事もなかったかのように立つその顔は、夕方に見た人物とリンクする。
「あれ?妖怪の正体はお凛さんでしたか」
「誰が妖怪やねんアホちゃうか」
お凛は呆れながら澪の隣に腰を下ろす。そのまま足を伸ばして寛ぎ始めた。
「でも、ごめんな。ここにおるとは思わんかったわ」
「いきなり荒ぶる妖怪が人間界へ復讐しにきたのかとワクワクしてましたよ」
「なんでやねん」
「古風な屋敷に潜む妖の影……ロマンありません」
「全然わからん」
「そういえば、お凛さんは何故あんなに荒ぶっていたんです?」
「あー……んー」
凛は、思い出したのか顔を歪める。整った顔立ちからは考えられないような表情。ある意味特殊メイクのような変化。
「いや、まあ仕事の鬱憤や。だいたい1人でわーーっとなるからここで発散したるんやけど」
「その部屋を私が城にしていたと」
「せやな。いつも誰もおらんから。ここは先代の奥さんの使ってた部屋やし。普段から誰も近づかんねん」
「そんな部屋を提供してくださったんですね」
不思議に思っていた。この部屋。ただの客室や空き部屋としてではなく、先代の奥さんという記憶を未だ刻んだままの空間。
古い香水の匂い、色褪せた飾り棚。
今はここにはいない存在なのに、その面影は強いのだろうなと……澪は感じた。
────
夜の廊下を、誰かの怒りが駆け抜けた。
甘い匂いの残る部屋で、
私はまだ、その温度を知らない。
けれど──
心を剥き出しにする声は、
なぜだろう。
どこか、うらやましかった。
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