夜を導く光、それは赤い極道でした。

【第4話】叩かねば、ならない

 だからこそ、綺麗に保たれたままなのだと澪は部屋を見回した。ここでどのようなドラマがあったのか、大変気になる。

「初めてここにきた時に、素敵なお部屋だなって思いました。快適ですし」

「せやろ?私もお気に入りやねん」

「お凛さんは、ここによくくるんですね」

「……私が、唯一何も縛られず“私”でおれる場所やからな」

 静かに語る言葉には、何か背負っている重圧が滲み出ていた。澪は凛の表情を眺めつつ、もう一度部屋を見回す。

 古風な雰囲気はホラーな要素を醸し出すのに、ここの部屋にあるのは温もりだった。
 それは、匂いや見た目からの部屋の記憶と……

「大切にされてるって、わかる部屋です」

 丁寧に扱われているのがわかる。塵一つないという事実が物語っていた。
 
 
「掃除はしとったからな。そいや、ここ誰が案内したん?」

「のぶ兄さんです」

「あんの狸……」

 ぼそっと呟き眉根を寄せる凛。澪は()の言葉に首を傾げたが、凛の話は止まらない。

「なんで、こんな奥の部屋なん。ほんまセンスないわ。澪も久我とかの近くのがええよな?そっちのが安心やん」

「くーちゃんの近く……私はいいですけど、くーちゃんが嫌がりそうです」

「そんなん気にせんでええねん、護衛なんやから」

「そういえば、お凛さんには護衛はいないんです?」

 澪はふと、疑問を問いかけた。千代子も栞にも護衛のような存在はなかった。夕方の凛を見たところ誰かを連れているというよりは、不特定多数に守られているという印象。

 自分と久我山のような、個々の関係はなさそうに思えた。

「おらんなぁ。どっか行く時は手の空いてる人を連れてくし」

「それじゃあ部屋の近くに誰かが警備しているとか?」

「そんなんないわ。私は龍臣(りゅうしん)さんと離れに住んどるし」

「若頭と……そうか、ご夫婦でしたね。2人の愛の巣はこの屋敷内ではなかったと」

「なんやねん愛の巣て」

「好き同士の男女の秘密の集合場所?」

「秘め合う必要ないわ」

 呆れながらも逐一ツッコミを入れる凛。鬱陶しそうに顔にかかる前髪を後ろに流して、その時に目の上の傷が視界に入る。夕方に会った時にはなかったそれ。けれど、真新しいものには見えない。
 
「傷がありますね、眼の上」

「あー……これな、勲章や」

「勲章?何かと戦ったんです?」

「せやな。この世界の闇みたいなんとバチバチしとったわ。負けるわけにはいかへんし」

「わー、かっこいいですね。龍臣さんもバチバチ?」

「あの人は血相変えとったわ。まあ、その頃私は一般人みたいなもんやったし……」

「あれ?お凛さんって極道のお嬢様とかではなかったんですね」

「せやで。普通の女が、今では若頭の妻や。人生、何を賭けるかで変わるんやなぁ」

 ──そう言って薄く笑って語る姿は、何一つ後悔などしていないように澪には見えた。しかし凛の声には、どこか“切り捨ててきた何か”の影があった。

 久我山と高校生の時に出会って、そこからどう龍臣と繋がっていくのか疑問だったが、まさか一般人と極道が繋がり結ばれるストーリーがリアルで存在するとは思わず、ただただ驚く。

「その勲章がきっかけでプロポーズされたんです?」

「んー、そうかもなぁ。そん時ボロボロになってたからいまいち覚えとらん──せやけど、“勝つ”って、誰かの上に立つってことやろ?そんなん、綺麗なもんやないで」

 凛は、一呼吸あえておく。

「──誰かが沈んで、初めて立てるんや」

 その声音は、背筋が凍るような冷たさを感じさせた。


「でも、ここにいるんですね」

「まあ……こうなったらもう戻られへんからな。せやから前向くしかないんよ」

「勝ち続けながら、です?」

「負けたら()()()やからな。……あの時、一回でも負けとったら……今ここにはおらん。──だから」


 凛は目を細めて、傷を触る。



「これは、()()()()()になった証やな」
 

 懐かしむような、それでいて愛おしそうに唱える凛。

 その表情からわかる。この人は本当に龍臣を好きでいることが。極道の世界に足を踏み入れて、その限られた中で、愛し愛される人。

 まるで、小説の中の主人公のように。


「お凛さんは、今は幸せですか?」

「もちろん。──めっちゃ幸せや」

 ハッキリと告げる言葉。澪は胸が打たれる。これだと、こういうものを求めていたのだと。この素敵なエンディングを迎えた2人の話なら極道の恋愛が書けそうだと。

「ドラマチックファンタジー小説のようで、素敵ですね」

「え?それ褒めとんの?」

「え?めちゃくちゃ褒めてますよ。その首にあるネックレスも、贈り物ですよね?」

 澪の視線が、凛の首元へと吸い寄せられる。
 ピンクの宝石が淡く輝く──小ぶりながらも華やかで、凛という人物にぴたりと似合っていた。

「せやな。龍臣さんから……初めての贈り物や」

 どこか照れたように、それでいて少し誇らしげに凛が言う。
 彼女の表情には、戦って得たものだけが映っているわけじゃなかった。

「そんな素敵エピソード……まさに、シンデレラのようですね」

「なんやねん、どこからでんねんシンデレラ」

「ご存知ない?私の将来の夢はシンデレラなんですよ」

「そんなけったいな夢よー考えるわな」

「女の子はいつでも王子様を夢見る権利がありますからね」

「王子様なぁ……」

 凛はニヤリと口の端を上げる。その顔はお姫様とは程遠い。

「澪の王子様は誰やろな」

「え?」

「やって、シンデレラになりたいんやろ?この組に目星つけとるもん、おるんかなーって」

 ──凛は冗談めかして笑ってみせたが、澪の返答をじっと待っていた。

 こんな極道の世界の中に、わざわざ入ってこなくてよいから。引き返せるのなら、そのまま穢れのない場所で生きた方が縛りが少ない。

 この世界に憧れるなら、それなりの覚悟を持って踏み込め。

 甘さだけでは、生き残れない場所。

「秘密にしとったるから。こっそり教えてや」

 ──この娘が指差す“王子”が誰であろうと、
 必要なら、その男を斬る。
 澪の未来のために。

「な?あかん?」

 先に、叩かねばならない。


 ────

 傷跡は、捨てたものと、守りたいものを隔てる境界線。
 それを愛と呼ぶには、あまりにも強すぎた。


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