夜を導く光、それは赤い極道でした。
Lux13:秘密の部屋

【第1話】君がいない部屋の前で



 ねえ、君は願う?
 それとも、諦める?

 欲しいものは、
 ほんとうに「それ」だった?

 誰かを救う代わりに、
 何かを捧げる。

 “その選択”は、
 ほんとうに君の意思?

 

 ──世界は、優しくなんてできていない。
 でも、笑う誰かが嘘だと決めつけた現実が、
 いつか君を壊していく。

 

 だから、ようこそ。
 現実にある、現実じゃない場所へ。

 ここでは、願いが叶う。
 その代わり……
 君が一番、大切にしているものを。


 ────


 
 学校から帰宅し、(みお)は台所へ向かう。中から人の気配がして、いるであろう人物の名を唱えながら扉を開けた。

「まっつーん」

 呼ぶと、振り返る背中。松野(まつの)は夕飯の支度の途中のようで彼のそばに食材が置いてある。

「澪、おかえり」

「ただいまです。これ、おいしかったです。いつもありがとうございます」

「よかった。夕飯は、サバの塩焼きときんぴらごぼうだよ」

「わーい魚!……あれ?最近ずっと和食ですね」

「あー……んー」

「まっつんも、愛する人の前ではデレデレ松野ですね」

「こら、澪。大人を揶揄わないの」

「揶揄ってなんかいません。素敵なことだなと思っただけですよ」

「顔がニヤついてるよ。そんな子は味見はなしだね」

「ええ?それは悲しみの事実。もう泣きながら屋敷内を練り歩くしかありません」

「それはやめて?俺が絶対悪者になるじゃん」

 苦笑いをしつつ、澪の口にきんぴらを放り込む松野。それを咀嚼して飲み込んだ澪は満足そうに頷く。

「とってもおいしいです。私が食べた中で最高ランクのきんぴらです」

「それはよかった。真次郎(しんじろう)も俺のきんぴら好きなんだよ、同じだね」

「そーいえば、まっつん。ジロは今日もまだ仕事です?」

 松野の口から出たその名前に澪は聞きたいことを問いかける。昨日までと違い過剰に反応はしないが、真次郎のことが気になるのは間違いない。その心には、早く会いたいという思いが隠れているのだが。

「どうかなー?何か掴めば即帰還だけど、今の所なにも進展がないのかもね」

「屋敷には戻ってきてます?」

「戻ってはいるみたい。ただ、夜遅くだし……朝もめちゃくちゃ早いみたいだよ。俺より早いんだもん」

「え!朝ごはんの準備をするまっつんよりも?それは……まるでご老人のようですね」

「睡眠も削られて、結構疲労もあると思うから心配だよね」
 
 松野はなんてことないように言うが澪は心配しかない。いつものことなのかもしれない。けれど澪にとっては初めてのこと。

 真次郎に何かあったら……と、頭の中で描くのは自分の首にナイフを当てられた時の感覚。死を間近に感じた瞬間。極道の世界は常に危険と隣り合わせと、澪も理解しているから。

「ジロ、大丈夫ですかね?」

「平気だよ、真次郎は射撃が得意だから。そうそう近距離にはならないし」

「なんか、ジロにピストルって……かっこいいですね。バキューンってウインクしてそうです」

「やりそう」

 大笑いして、松野は穏やかな笑みのまま言葉を紡ぐ。それは澪を安心させるように、優しい声音。

「それに真次郎は、察知が早いんだよね危険とかの。周りをよく見てるから。俺らの中じゃ一番生存率高いよ」

「それは意外ですね。ノリよく撃ちっぱなしのイメージでした」

「よく連射してるけどね」

 松野の笑い方は温かい。澪はそれを眺めて、自分の心が少し軽くなったのを感じた。心配ばかりしていても仕方がない。久我山(くがやま)にしろ松野にしろ、付き合いの長い彼らが言うのだから……。


 ******


 次の日も、その次の日も、真次郎の姿を澪は見ない。
 仕事が忙しいのはわかっている。それでも、会いたいという気持ちは、日に日に膨らんでいった。

 顔を合わせない日々が、こんなにも空っぽに感じるなんて──思わなかった。

 けれど、こんなふうに思っているのは自分だけかもしれない。
 真次郎にとっては、毎朝のあれも、言葉も……“仕事”の一部にすぎなかったのかもしれない。

 そう考えると、思考は自然とネガティブな方へ傾いていく。

 理由なんて、本当はどうでもよくて。
 ただ、朝に聞いていた声も、夜に見ていた背中も──何もかも、消えてしまったことが、たまらなく寂しかった。

 こんなふうに感じている自分に、澪は驚いていた。
 もともと彼女は、何事も「向き不向き」で片づけるタイプだ。無理なら、そこまで。それがいつもの自分。

 けれど──真次郎のことだけは、“失いたくない”と、そう思えている。

 
 

「あ……」
 
 足が自然と真次郎の部屋の方へ向かって、その前で止まる。一度しか来たことがない。けれど、覚えていたこの道筋。

「……なに、してんだろ」
 
 今はいるわけがない。アホらしいなと自嘲して、踵を返そうとした──その瞬間。

 澪の耳に、近づく足音が響いた。
 靴音はゆったりとしていて、どこか気の抜けたようなリズム。緊張感はない。


 

「──お?どうした、こんなところで」


 

 俯いていた顔を上げる。声の主は、龍臣(りゅうしん)だった。

「ちょっと真次郎に用事があってな。……ま、いないの忘れてて、今気づいたけど」

「そう、ですか」

「うっかりだなぁ。でも──まさか澪に会えるとは思わなかった」

 軽く言いながらも、龍臣の視線が澪の顔を捉える。
 どこか沈んだ表情に気づいたようで、一瞬だけ目を丸くし──すぐに、ニッと口角を上げた。

 

「澪、甘いものでも食べ行く?」

 

 ────

 会えない時間に、
 あなたの輪郭ばかりが濃くなる。

 声が聞きたくて、
 名前を呼びたくて、
 それなのに──
 その不在までも、
 愛おしいと思ってしまうんだ。
 


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