夜を導く光、それは赤い極道でした。
【第3話】拠り所の意味
龍臣からの言葉。心の奥のやわらかいところを、すっと指でなぞられたような感覚。
「……どうして、そんなふうに?」
「拠り所が必要なんだよ。今のあいつ、昔の俺を見てるみたいでさ……だから、守るべき人間がいたほうが強い。俺がそうだったようにな」
澪が顔を上げると、龍臣は優しい顔で笑っていた。どこか遠くを思うように。
「龍臣さんにとっては……お凛さんですね」
「ああ。あいつがいなかったら、今ごろとっくに俺は地べた這ってたよ。真次郎も……似たようなもんだ」
澪は胸に手を置いた。自分が真次郎の“拠り所”だなんて、そんな立派なものじゃない。けれど──。
「真次郎のことを知りたいなら……信昭に聞くといい」
不意に出た名前に澪は眉をひそめる。龍臣の口調は穏やかだが、どこか慎重だった。
「のぶ兄さん、ですか……」
「ただな、あいつが話すかどうかはわからない」
澪は、思わず難しい顔をする。千代子とのやり取りだけでなく、信昭の表情を思い出すたび、心に妙なざらつきが残る。
「……正直、ちょっと怖いです。あの人」
「そうだろうな。だが、それでいい。簡単に心を許してもらっても困る」
龍臣はそう言って、どこか遠い目をした。まるで信昭の複雑さを、誰より知っているというように。
「信昭が情報を出さないのは、意地悪ってわけじゃない。仕事柄ってのもあるけど……澪に余計なものを背負わせたくないんだよ。うちの庵にリスクを負わせないためにもな」
「……リスク、ですか」
「ああ。情報ってのは、持ってるだけで標的になる。どこで誰に狙われるかわからない。もしもおまえが何かを知ってて、それが狙われる理由になったら──それこそ本末転倒だ」
龍臣は言葉を選ぶように、少しだけ声のトーンを落とした。
「真次郎も、そう思ってる。あいつの行動も、それについて何も言わないのも、……おまえを守るためだよ」
澪は黙って目を伏せた。真次郎が自分を守ってくれていた──それはあの夜の倉庫で、屋敷で、肌で感じた事実だった。でも、それがわざと距離を置く理由にもなってるなんて、思いもしなかった。
「……あいつには、おまえが必要なんだよ」
静かに、龍臣は繰り返す。
「俺に凛ちゃんがいるように、あいつには澪がいてほしい。……それだけだ」
──龍臣との話が終わる頃には、かき氷は溶け始め湯呑みの中のほうじ茶もすっかり冷めていた。
場に流れる静けさが、むしろ穏やかで、優しかった。けれどその余韻のなかで、胸の奥に小さな渦が静かに巻き始めていた。
真次郎のことをもっと知りたい。
けれど──その“もっと”は、誰かを危険に晒すかもしれない。自分か、誰かを。
聞くべきか、聞かざるべきか──。
******
翌朝。屋敷の廊下は朝の光を受けて、しんと静かに輝いていた。早くに目が覚めた澪は朝食までの間に少し散歩がてら、屋敷内を散策する。
真次郎の声も、久我山の気配もない。久しぶりの、ひとりきりの時間。物思いに耽るにはちょうどよかった。
浮かぶのは昨日の龍臣との会話。やり取りが、まだ澪の胸の中で温かく残っている。
“拠り所”って、そんな簡単に名乗れるようなものなのかな──
全て人から聞いた話。真次郎本人からの言葉ではない。
澪は思い悩みながら廊下を歩く。角を曲がった先で、すうっと空気が変わった。薄く香るお香と、整った足音。
「……おはようございます、のぶ兄さん」
「ああ、澪ちゃん。おはよー。こんな朝早くから会うなんて、偶然だねぇ」
現れたのは、信昭だった。
にっこりと笑う彼は、相変わらずの調子で柔らかい。薄紫色の着物に黒い羽織。小綺麗で落ち着いていて、まるで旅館の若旦那みたいだった。
いつもの紫色のスーツではないから、今日は休みなのか。はたまたこれから朝の支度をするのか。
「昨日、龍臣さんとおデートしました」
「うん、聞いてるよ。甘味は口に合った?」
「それはもう、最高でした。それで、あの……ジロのこと、お聞きしたいんですが」
信昭の目がふっと細くなった。
「誰かに何か聞いたのかな? 真次郎のこと」
「……お凛さんに」
ぴたりと、空気が止まった。
口にしてから、澪は少しだけ後悔した。
しまった──そう思うより早く、信昭の目元の笑みが、すっと消えた。
冷たく、乾いた無表情。──けれどそれはほんの一瞬で、またすぐに口元に笑みが戻った。
「……ふうん。澪ちゃんに話すとは思わなかったなー。うちの庵の仕事のこと」
ぽつりと、独り言みたいに言った後、澪を見ずに歩き出す。澪は慌てて後を追う。
「あと、龍臣さんにもです」
「ああ、それは……あーー……」
信昭は肩を落とすようにして、ゆっくりと項垂れた。
苦笑ともため息ともつかない呼吸のあと、静かに足を止めた。
「……余計なことを」
その声音には、呆れと諦めの色が、ほんのわずかに混じっていた。
────
君が知るほど、君が揺れる。
知らないままで守れるなら、
それもまた、やさしさなのかもしれない。
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