堅物マジメな御曹司は契約妻にひたすら隠した溺愛を解き放つ~円満離婚はもう無理だ~

第一章 ②

 樹齢五百年を超える御神木を眺めながら境内を歩く。
 私の前には宮司様、隣には夫となる白藤清雅、そして背後には二家族の親族がずらりと続いていた。
 いよいよ逃げ場がないことを実感しつつ、本殿へ進んだ。
 まさか離婚前提の結婚をすることになるなんて、ドキドキが凄まじい。人生とは本当になにが起こるかわからない。
 本来なら神様の前で永遠の愛を誓う儀式だというのに、ごめんなさい。私たちの間には愛情はおろか、親愛や友愛も芽生えていません。
 あるのは契約相手という約束だけ。
 神様に「二年間だけの結婚なんです」と報告するなんて、私が神だったら呆れて笑うか、ふざけてると怒るかのどちらかだわ。
 厳かな空気が私の緊張を最高潮に高めている。慣れない衣装だけでも落ち着かないし、祝詞の奏上を聞いている間も気が抜けない。
 隣に座る男は涼やかな表情を崩さない。人に見られることにも慣れており、ピンと伸びた背筋には一本芯が通っているかのよう。
 きっと体幹が強いんだろうな……と思いながら親族席へ視線を移す。
 普通は結婚相手が変更になった時点で、白藤家はきちんとした説明と謝罪を求めるはずだと思うのだけど。白藤さんがうまく説得したのか、予想していたような騒動にはならなかった。
 日本を代表するようなグループの会長夫妻は、ある程度のトラブルには慣れていらっしゃるんだろうな……。
 人前で声を荒げることのない人格者なのはわかったけれど、もしかしたら白藤さんと同じように曾祖父同士の約束を守れるのなら誰でもよかったのだろうか。
 もしくは私との結婚を受け入れる代わりになにか交渉をするつもりかもしれない。
 わからないことだらけの中、粛々と式が進んでいく。
 頭に乗せられた綿帽子がズレないか気になりはじめた。それに頭が少し痒いかも。
 絶対にしくじってはいけない場面で他のことに気が取られるのは何故なのか。少しでも緊張を和らげようとする本能的なものだったら、ありがた迷惑である。
 巫女さんにお神酒を注がれて、手元の盃をじっと見つめる。
 私の神前式のイメージは盃を交わすことだ。いよいよ結婚が現実味を帯びてきた。
 ……ねえ、本当にいいの? 
 両親が不在の間に結婚しちゃってもいいのかな⁉
 ぎっくり腰で不在中に、娘が従妹の身代わり結婚をさせられたと知ったら母まで腰を抜かすかもしれない。
 いや、でも驚きも一瞬だけかな。あの人たちなら笑って「ラッキーじゃないか」とも言いそう……よくも悪くも、ふたりは楽観的なところがある。
 契約書を交わすし期間限定の結婚だけど、考えようによっては棚からぼたもちと言えるのではないか。
 七菜香だって、『白藤家の御曹司と結婚なんて、普通に考えたらラッキーでしょう』と言っていた。簡単に縁続きができる家柄ではないのだ。
 結婚後、書類上の夫は私のルームメイトになる。本物の夫婦にならなくても友達くらいならなれるかも……。

「紫緒さん」
「……っ!」

 隣から小声で名前を呼ばれてハッとする。手元の盃に口を付けて、式を続けてもらった。
 厳かな式も終盤に入る。神前式でも指輪の交換があるのをはじめて知った。
 幸いというか皮肉というか、七菜香と私の指輪のサイズは同じだったらしい。
 左手の薬指にぴったりはまった結婚指輪が重い。これは契約の証なのだとしみじみ感じた。
 表情が一切変わらない新郎の指にも指輪を嵌めた。イケメンは手の形だけでなく、爪の先まで整っているらしい。
 でも彼の指先はひんやりしていた。冷え性なのだろうか。
 式が終わり、親族からお祝いされるが空気が白々しくて居たたまれない。
 伯父と義伯母は笑顔を浮かべつつも顔はげっそりしているし、心労が隠しきれていない。祖父だけが満足そうに笑っている。
 きっと一生嫁がないと思っていたもうひとりの孫娘が、経緯はどうであれ結婚できたのだからめでたいと思っているのだろう。
 今時独身を選ぶ未婚女性は多いのに、祖父は『女の子は男に守ってもらわないとダメだ』という考えの持ち主なのだ。
 もしかしてこれは計画的に仕組まれたことなのでは……と思いそうになったが、さすがにそんな人騒がせなことはしないはずだ。伯父たちのやつれようを見たら演技ではないことがわかる。
 式が終わった後、婚姻届の署名を求められた。

「今、ここでですか……?」
「そういう手筈になっていましたので」

 白藤さんはさらさらと記入している。納得しているとはいえ、心の準備とか必要ないんですかね……? 顔色も一切変わっていない。
 セレブな人たちは、予期せぬトラブルにも平常心で挑むのだろう。いちいち驚いていたら心臓がもたないのかもしれない。
 ようやく式が終わったというのに、私はふたたび緊張感に包まれそうになっていた。
 だってこれを提出したら本当に白藤家の一員になるわけで……心臓が落ち着かなくなるのも仕方ないだろう。
 二十八で結婚して、三十で離婚か……わかっていたことだけど、紙一枚の存在がとてつもなく重い。
 震えそうになる手でペンを握り、名前と住所を記入した。本籍地も覚えていてよかった。
 これを役所に提出したら、私は白藤紫緒になる。
 名前に色がふたつ入るのは少々ごちゃついて見えそうだけど、藤と紫は連想しやすい。まあまあ綺麗な字面かもしれない。

「おめでとう、ふたりとも」
「紫緒さん、これからよろしくね」

 義両親となった白藤夫妻に挨拶をされた。ふたりの本心はどうなのかまではわからないけれど、素直に祝福を受け止めた。
 今後の離婚の件は私たちだけの秘密だろう。余計なことを言って混乱を招くのはよろしくない。
 神社の境内で形式的な写真を撮って、名前を覚えきれないほどの親族と挨拶を交わした。
 ようやく蓮水の屋敷で白無垢を脱いだ後、私たちは一休みする間もなく、用意していた車に乗せられた。
 田舎とミスマッチな高級車である。土足で乗っていいのだろうか。

「じゃあね、紫緒ちゃん。ゆっくり休んでね」
「は、はい?」

 親戚に見送られて困惑する。
 キャリーケースと手荷物も車に乗せているので、今回の滞在で蓮水の屋敷に戻ってくることはないらしい。

「あの……どこへ行くんですか?」
「うちの系列ホテルです」
「え……はい?」
「元々予約していたのですよ。今後のことを話し合いたいですし、ふたりきりになれる場所にはぴったりでしょう」

 スーツに着替えた白藤さんは、和装とは違った貫禄があった。
 素人目でも仕立ての良さがわかる。実はスーツモデルでしたと言われても納得がいくし、足を組んでいるだけで絵になる男だ。
 そして淡々と紡がれる言葉に頷きつつも、私の表情は固まった。

「部屋は二部屋ですか?」
「新婚で別室だと知られても問題なければそうしましょうか」

 先ほど彼は白藤グループの系列ホテルに行くと言っていた。どこでどんな噂が出るかわからない。
 仮面夫婦と思われるのは面倒かもしれない……。

「安心してください。あなたを襲ったりはしません」
「お、襲う……⁉」

 忘れてた。一般的に結婚式の夜は初夜ってやつなのでは!
 目の前のことでいっぱいだったので、そこまで考えが至らなかった。
 私の顔に熱が上る。
 彼は慌てる私を見て小さく口角を上げた。見間違いがなければ笑ったようだ。

「白藤さんも笑うんですね」
「私をなんだと思っているんですか。ちゃんと人間です」
「いえ、式の間ずっと表情が変わっていないようでしたので。緊張とかしない人なんだなって思ってました」
「それなりに緊張はしていたつもりです」

 あれで? 感情が表に出にくい人なのかもしれない。
 上司と部下、先輩と後輩みたいな空気感は背筋が伸びるから少し苦手だけど、話は通じそうだ。

「それと婚姻届を提出したらあなたも白藤になるのですから、私のことは名前で呼んでください」
「え……あ、そうですね」

 清雅さんと呼ぶのを想像しただけで、無駄に緊張しそうだ。
 だって家族以外の異性の名前を呼んだことがないし、親しい異性の友達もできたことがない。
「頑張ります」と意気込みを告げて、膝に置いた手をそっと見つめる。
 左手に嵌められた結婚指輪はいつ外していいのかな。
 私のために用意したわけではない指輪を見つめていると、形容しがたい感情がこみ上げてくる。
 一生ご縁がないと思っていたものが、こんな簡単に転がり込んでくるなんて思ってもいなかった。
 納得しているとはいえ、心が複雑な感情に支配される。
 家のための政略結婚なんてドラマみたいじゃない。それに離婚が前提なのも現実では珍しい。
 車で移動すること約一時間。白藤グループのラグジュアリーホテルに到着した。

「着きましたよ」
「ここですか……!」

 一度は泊まってみたいと思っていたリゾート地のホテルだった。
 確か一番安いスタンダードルームでも一泊五万以上するので、ボーナスが出て仕事を頑張ったご褒美に! とは思っていたけれど、なかなか勇気が出なかった。
 まさかこんな形で宿泊するなんて……というか、私は家族以外の異性と同じ部屋に泊まったこともないのですが。

「紫緒さん、そちらではありません」
「え? レセプションはこっちじゃないんですか?」
「階が違うので」

 清雅さんに案内されて、エレベーターに乗った。
 ホテルの上階には、いわゆるスイートルーム専用のレセプションがあった。

「……っ」
「お待ちしておりました。清雅様」

 ホテルの支配人と思しき男性に出迎えられた。この時点で私の心臓はバクバクしている。
 チェックインカウンターで手続きをすることもなく部屋に案内された。
 ちなみに荷物は車を降りたときにホテルに預けたので手ぶらだ。
 大きな窓は森林浴ができる気持ちのいい緑が広がっていた。森の中に建てられた隠れ家風のホテルだけある。
 広々としたリビングにはバーカウンターも備え付けられており、長期滞在ができるようなキッチンまであった。
 部屋にふたりきりになると途端に緊張がこみ上げてくる。
 ベッドルームにはキングサイズのベッドがひとつだけ。スイートルームならベッドが二つあったりして? って思ったけれど、この部屋は違ったようだ。

「夕食はホテルでよろしいですか。外に食べに行くのでしたら車を手配しますが」
「いいえ、大丈夫です。ホテルの食事楽しみです」

 もう夕食の時間だったっけ? 時計を見たら十八時近かった。
 今朝は早起きして新幹線に乗って、一日がとんでもなく長い……。
 今頃蓮水の屋敷では白藤家と宴会が催されているだろう。
 祖父同士も仲がいいため、結婚相手が七菜香じゃなくても彼らにとっては構わなかったに違いない。
 式の直前に、祖父は私に「清雅君に気に入られてよかったな!」と声をかけた。そして続けざまにこう言った。

「結婚とは勢いと気の迷いだ。清雅君はいい男だぞ。ラッキーだったなぁ、紫緒! 棚ぼた婚だ」

 自分でも棚ぼたかもしれないと思っていたけれど、他の人に言われるとイラっとするのは何故かしら。
 客観的に見たらそう思われるのも無理はないし、私も理解できる。納得した上で選んだとはいえ、気持ちの整理ができるまでは時間がかかりそう。
 ちなみに祖父も七菜香のことは心配していたようだった。でも彼女は清楚な見た目によらず中身はタフなので問題ないと考えているようだ。

「それにわしは七菜香の行先を知ってるからな。内緒だぞ?」

 七菜香は祖父だけに連絡を入れたらしい。つまり当主が駆け落ちを認めたということだろう。それにも驚きである。
 マリッジブルーで精神状態が不安定なわけでもないと言われたので、一旦信じることにした。

 夜は清雅さんと創作フレンチのコースディナーを食べた。
 呪文のような料理名は覚えられる気がしないし、味も洗練されすぎていておいしいけれどよくわからない。

「紫緒さんは好き嫌いはありますか」
「いいえ、特には。なんでも食べられます。白……清雅さんは?」
「私も好き嫌いはありません」

 ……お見合いのような会話だわ。今日が初対面なのだから当然かもしれないが。
 目の前に座る清雅さんはテーブルマナーが完璧で所作も綺麗だ。なにをしていても絵になるとはこの男のことを言うのかもしれない。
 パリッと焦げ目がついた白身魚にソースを絡める。
 年に数回、友人とちょっといいご飯を食べに行くこともあるのでコース料理も好きだけど、今は無性にビールが飲みたい。
 炭火で焼いた焼き鳥とビールが恋しい。味付けは塩がいい。

「清雅さんは、お酒はワインが好きなんですか?」

 互いに白ワインを呑んでいる。すっきりした味わいのシャルドネだ。

「一緒に食べるもので選んでいるので、ワインが一番好きというわけではありません。お酒は嗜む程度です」
「そうなんですね~……」

 ……あまり会話が続かない。表面的な探り合いをしているだけに見える。
 いや、でも相手の好みを知るのは友好的な関係を築くためにも大事だし、今後同居するならある程度把握しておきたい。

「あ、そうでした。清雅さんのご自宅はどのあたりですか? 同居するなら通勤時間も変わってくるので」

 私のマンションは都内にあるオフィスから乗り換えなしで三十分ほど。
 朝は電車が激混みだし、駅からオフィスまで十分以上歩くので、出勤するだけでくたくたになる。
 清雅さんの最寄り駅は都心のど真ん中だった。いわゆる一等地で、どこに行くにも便利だけれど家賃は非常に高い。私の給料ではワンルームでも厳しい。

「そういえば持ち家って言ってましたっけ?」
「そうですね。このマンションは私名義のものですので」
「へえ、すごいですね……あの、マンションの部屋の話ですよね?」
「私の部屋だけではないですね」

 まさか都心のマンション一棟を所有しているとは……思わずパンを食べる手が止まってしまった。

「……そういえば白藤家は不動産業も営んでいましたね」

 恐ろしい……あちこちに白藤が関わっているのではないか。
 日本を代表するようなグループの会長子息がこんな風に人目がつく場所で食事をしていて大丈夫なのだろうか。

「紫緒さん、急にきょろきょろしてどうしましたか」
「いえ、清雅さんを見ている人がいないかと不安になりまして。というか、セキュリティは大丈夫ですか? パパラッチとかいません? 常に身の安全を考えて行動した方がいいのでは」

 私は一般庶民なのでわからないけれど、誘拐や身代金要求とかがありえる世界に住んでいそう。

「私の戦闘力は雑魚レベルですよ? 取り急ぎ人体の急所を調べておきましょうか」
「急に物騒な話になりましたね。なにを想像しているかはわかりませんが、心配するようなことは起こりませんよ」
「いえ、でも。用心するに越したことは」
「ここはうちの系列ホテルです。それに白藤の目もありますので」
「目……?」

 え、まさか、護衛という名の監視をされているとか?
 私たちが仲睦まじく食事をするのをどこかで見守っている人がいるってこと?

「脅してしまいましたか? すみません。女性に安心してもらいたかっただけなのですが」
「あ、いえ、お気遣いありがとうございます」

 素人がチラリと周囲を見回しても、誰が白藤の人間なのかさっぱりわからない。もしかしたらホテルの中までは見られていないかもしれない。
 デザートのソルベと紅茶をいただきながら改めて思う。
 私はとんでもない男と結婚することになってしまったらしい。

 ◆ ◆ ◆

「私はリビングのソファで寝ます」

 お風呂上りの清雅さんは、けしからん色気を放ちながら枕を片手にリビングへ向かおうとした。

「いえ、待ってください。でしたら私がソファで寝ますので! 清雅さんがベッドをご使用ください」
「女性を差し置いて自分だけベッドでは寝られません」

 聖人君子のような空気感を纏い、清廉潔白な人だとは思っていたけれど、中身もやっぱり紳士だった。
 とはいえ、一泊いくらするのかわからないスイートルームの部屋で、悠々とベッドで眠れるほど私の神経は図太くない。

「……わかりました。それなら一緒に寝ましょう」

 キングサイズのベッドは大人がゆったり眠れる広さだ。多少寝相が悪くても大丈夫だろう。

「正気ですか?」

 清雅さんは訝しんだ。別に私は初夜のお誘いをしているわけではない。

「ただ寝るだけです。安心してください、襲ったりしませんから」

 そもそも私は処女なので、そんな度胸はありません。彼に明かすつもりはないけれど。
 それに清雅さんも私を襲わないと宣言していた。たった一日しか知らないけれど、彼は嘘をつくような不誠実な人間ではないだろう。

「ちゃんと真ん中にクッションと枕を置いておきますので。ほら、横になったら互いの顔も見えません」

 眉間に皺を刻む男に安心してもらうように告げて、私は浴室へ逃げる。

「お風呂に入ってきます。寝てていいですからね」

 なにかを言いたそうにしていた彼に背を向けて、私はゆっくり一日の疲れをお風呂で癒した。
 そして呼吸が止まっているのではないかと心配になるほど、静かに眠る清雅さんと清らかな朝を迎えたのだった。

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