堅物マジメな御曹司は契約妻にひたすら隠した溺愛を解き放つ~円満離婚はもう無理だ~
第三章
「清雅様、資料をタブレットにまとめておきましたよ」
「ありがとう」
清雅は藤枝に手渡されたタブレットの中身を確認する。それは仕事の重要な資料より、ある意味もっと大事なものだ。
「まさか清雅様が女性の本音を理解しようとする日が来ようとは……成長されましたね」
涙ぐむような演技を見せた藤枝を無視して、清雅は資料の項目に目を通す。
藤枝が作成したリストには彼が見つけたサイトのリンクを貼り付けられていた。
恋人になる前に結婚をすることになった夫婦が少しでも距離を縮めるために、参考になりそうだと判断したものをまとめたそうだが……、清雅は容赦なく不要なものを削除していく。
「女性に好まれるファッションブランドくらい残しておいてもいいのでは」
「彼女の好みかはわからない」
清雅が藤枝に依頼したのは女性が好むデートスポットとレストラン情報だけだった。紫緒が一般女性に当てはまるかはわからないが。
「頭が固いですね、清雅様は。女性の心を理解しようとする姿勢は好ましいですが、どれも無難すぎますよ。知識は柔軟に幅広く得ておかないと」
一理あるが、頷いたら最後。藤枝は悪ふざけをする癖がある。
「まあ、有効活用するかどうかは清雅様次第ですが。でもいい傾向ではないですか? おふたりの仲が深まるのであればいくらでも手助けしますよ。白藤の監視の目もありますし」
タブレットを弄る手が止まった。
清雅が思っていた以上に、どうやらふたりの関係を気にする人たちは多いようだ。
「お前はどのくらい監視が続くと思うんだ」
「さあ、どうでしょうね。おふたりが仲睦まじい姿をこれでもかって見せつけたら、当主様や蓮水家の人々も安心されるのでは」
厄介なことに一番ふたりを心配しているのは祖父たちらしい。
わがままな老人ふたりがタッグを組んでいると思うだけでげんなりする。
「そういえば週に一度は報告しろと言われているんだったか」
新婚生活が順調かどうかを実家に報告するなんてどうかしていると思うが、逆らうことは難しい。
清雅は最初のうちだけ付き合えばいい、すぐに飽きるはずだと思っている。
「それで報告内容を増やすためにもデートに行くんですね。いい心がけだと思いますよ」
積極的に外に出て、実家を安心させたらいい。順調に愛を育んでいることが証明されたら家の目もなくなるだろう。
「あと蓮水家から送られてきた紫緒様の経歴と、興信所で調べた調書もありますが確認しますか?」
プライバシーの侵害にあたらないかと考えたこともあったが、書類上の妻を知りたいと思うのは当然のことだろう。
「そうだな。なにか彼女にトラブルがあれば対処もしやすくなる」
封筒から写真が数枚落ちた。
床に散らばったそれらを拾い上げて、清雅は動きを止めた。
「おや、可愛らしいですね」
背後から藤枝に覗かれた。
清雅は咄嗟に手の中の写真を隠す。
「なんで隠したんですか。紫緒様の幼少期と学生時代の写真ですよね? 私にも見せてください」
「断る。なんか嫌だ」
「なんか嫌って、そんな雑な断り方をされたのははじめてですよ」
「お前に見せたら紫緒さんが減りそうだ」
「なにを仰っているんですか。減るはずがないでしょう」
それはそうなのだが、物理的な話をしているわけではない。
――写真を見られるのが嫌なのは何故だろう。
同封されていた写真は紫緒の子供時代のもの。七五三のときの写真と、制服姿の写真だった。
藤枝が言った褒め言葉はまさしく清雅が思ったものと同じだ。誰かを可愛いと思ったのははじめてかもしれない。
素敵だと感じたものは共有してもいいのではないか。
普段ならそう思えるのに、今はなんだか気が進まない。
「で、実際どうなんですか? 新婚生活は」
唐突に藤枝から質問された。清雅は写真を手帳に挟む。
「なにも心配するようなことはない。普通に順調だ」
「でもまだ紫緒様は遠慮がありますよね。まあ、遠慮するなと言う方が無理な要求ですが。こればかりは時間をかけて関係を築いていくしかないですかね」
――確かに彼女の口調もまだ硬い。
徐々に敬語をなくすと言っていたが、未だにその片鱗は見えない。清雅に対して遠慮をしているところも多そうだ。
だが、歩み寄りがないわけではない。
「お茶を点てたらアイスクリームを入れられた。予想外で面白かった」
「はい? そんな大胆なことを?」
良家の令嬢ならしないだろう。同じ蓮水でも、本家育ちの七菜香だったら確実にしないはずだ。
「あれはおいしかったな」
思い出しては笑いそうになる。
予想していなかったことをされたら不愉快になるどころか愉快な気分になるなんて、自分でも知らなかった一面だ。
彼女といると予想外なことに遭遇する。戸惑いもあるが、自分の新たな感情に気づかされることも悪くない。
「清雅様が思わず微笑むとは……紫緒様はやり手ですね」
「どういう意味だ」
「おふたりの相性が良さそうで安心しということですよ。次の休みのデートも頑張ってきてください」
――デート……デートか。
女性とのデートに張り切る日がくるとは考えたこともなかった。
契約妻とはいえ、紫緒が清雅の妻に変わりはない。
妻を喜ばせるのは夫の責務だろう。
「まずは紫緒さんをその気にさせる必要があるな」
休みの日はひとりで部屋に引きこもりたいと言われるかもしれない。
もちろん彼女の意思を尊重したい気持ちはあるが、それだと近い未来に白藤家の者が自宅に乗り込んできそうだ。
清雅は藤枝がまとめたサイトを確認し、資料を作成することにした。
◆ ◆ ◆
「紫緒さん、次の週末の予定はなにか入ってる?」
夕食を食べながら、清雅さんに尋ねられた。
「いいえ、特には。あ、家の用事が入りましたか?」
もしかしてはじめて夫婦で出席しなくてはいけない予定でもあるのだろうか。
ドキドキと身構えていたら、清雅さんは否定した。
「なにも予定がなければ、一日出かけないか」
「いいですよ。どこか行きたいところでもありますか?」
ひとりで行きにくいところでもあるのだろうか。
私はわりとソロ活ができる人だけど、名家のお坊ちゃんはひとりで行動をするイメージはないかも。運転手も同行しそう。
「俺が行きたいところではなく、紫緒さんが行きたいところを選んでほしい」
「え? 私が? なんだかそれってデートみたいですね」
なんて笑って言ったら、急に空気がぎこちなくなった。
「一応、その……デートのつもりなんだが」
そっと視線を逸らされた。
表情が変わりにくいため気づかなかったけれど、もしかして照れてるのかもしれない。耳がほんのり赤くなっている。
「あ、ありがとうございます……」
思いがけない提案を受けてお礼を告げた。
はっきりとデートのお誘いと言われると、なんだか緊張感がこみ上げてくる。
「外での交流を増やした方が白藤の皆さんも早く安心できそうですよね」
私たちの関係が問題ないと判断されたら監視も終わるだろう。
私が監視に気づいたことはないけれど、どこかで見られているんだろうな……プロって怖い。
「その目論見ももちろんあるけれど、それだけではないんだが」
「はい?」
もしかしたら単純に私との交流を増やそうとしてくれたのだろうか。
今でも時間が合えば食事を一緒にしているけれど、それだけでは不十分だと思ったのかもしれない。
「では土曜日で構わないか?」
清雅さんに提案されて、こくこくと頷いた。
なんだか胸の奥がむず痒い気持ちになるんだけど、今まで真正面からデートに誘われたことがないからかな。
「では早速プランを確認してほしい。一日で帰って来られる範囲で考えてみたんだが、移動方法は車、新幹線、飛行機の三パターン。車は近場とドライブのプラン、新幹線なら往復三時間以内がいいだろう。飛行機なら日帰りの国内旅行で、思い切って北海道か九州もありかもしれない。それと雨天の場合のプランを一通り作成してみた」
……予想外にガチな資料だと思ってしまった。
プロジェクターで白い壁にプレゼンの資料を投影される。いきなりこの場が会議室に見えてきた。
「忙しいのにこんなにたくさん練ってくれたんですか。すごいですね」
「いい気分転換になった」
それはよかったけれど、私はデートにプロジェクターを用いたプレゼンをされたことがなくて戸惑いの方が強い。
北海道と九州でおいしいもの巡りをするのは非常に惹かれるけれど、飛行機で行くなら日帰りはもったいない。
同じく新幹線で行くなら一泊してゆっくり見て回りたい。
「監視されるのが前提なら、いきなり遠出にはしない方がいいと思いますね。最初のデートなんですから、まずは近場でショッピングとか映画くらいからはじめませんか?」
初デートにアクティブすぎるのも、ついてくる人達が大変だろう。遠出をするときは監視がなくなった後がいい。
「一理あるな。すまない、少し張り切りすぎたようだ」
「いえ、お忙しいのにありがとうございます」
真面目な優等生タイプで少しズレているとは思っていたけれど、もしかしたらこの人はただの天然なのかもしれない。
「せっかく作ったんですから、このプランは一旦保留で。また今度にとっておきましょう。週末のデートは近場をプラプラ歩いてカフェでおいしいコーヒーでも飲みましょうか」
夜カフェもいいよねと思ったけれど、清雅さんは早寝早起きの人なのであまり遅くまでは出歩けないだろう。夕飯前に帰宅がちょうどいいかもしれない。
ふと気になったことを尋ねる。
「つかぬことを伺いますが、清雅さんは電車に乗ったことってありますか?」
そういえばいつも車移動だった気がする。
何気ない質問だったのだけど、彼は一言「もちろん」と答えた後、考えこんでしまった。
「……新幹線も電車だよな」と、自問自答のように言いだしたので待ったをかける。
「普通の電車の話ですよ。徒歩数分の最寄り駅を利用したことは? 交通系のICカードを使ったことは?」
真顔で考えこんでいるのを見て、この人は私が想像していた以上にセレブのお坊ちゃんだと実感した。
いや、確かに公共の乗り物を利用しているイメージはないけれど。でも一度も使わないってありえるの? 都内に住んでいて?
「スマホにICカードのアプリをインストールした記憶はある」
「でも使用した記憶がないんじゃ意味ないですね」
「……」
運転手の送り迎えが当たり前の日常を送っていたのなら、電車に乗る必要はないのだけど。三十年間生きてきて乗らずに過ごせたことがすごい。
ある意味初デートは社会見学みたいなものではないか。
「では、せっかくなので切符を買ってみましょうか。車はなしで移動しましょう。私が案内します」
「……わかった。よろしく頼む」
素直なところは好感度が高い。年上だけど可愛らしい。
自分とは真逆な性格で、二年間の同居生活はシンドイかもと思っていたけれど、少しずつ知らなかった一面に触れていくと新しい発見がある。
真面目で表情筋が硬く無口な美形というだけではなくて、実は天然で世間知らずというのは深く交流しないと気づけなかっただろう。
清雅さんのはじめての経験を一緒に味わえるのは面白いかもしれない。最初のデートは庶民的なところを巡るのもアリかな。
「ところで紫緒さん。今から丁寧語を禁止にするので、君の口調を改めてほしい」
「はい? 何故急に」
「徐々にと言うから待っていたけれど、全然距離が縮まっているようには見えない。一般的に考えて、妻が夫に丁寧語で話すのはおかしいんじゃないか」
清雅さんに一般常識を語られるとはね……と少し思ったことは内緒だ。
「今のままでは俺たちは仕事の関係者に見られそうだ」
「それはそうかも?」
甘い空気は頑張って作れるものではなくても、親しさは見せないと。白藤の監視が延長されるのは避けたい。
「では気を付けま……気を付けるので、清雅さんはそろそろ私のことを名前だけで呼んでもいいかと」
名前の呼び方に距離がない方が、親密度が上がって見えるはずだ。上司と部下の関係性に間違われないためにも呼び名は大事。
そう思って提案すると、清雅さんは数秒考えこんでから口を開いた。
「紫緒」
「……っ!」
真っすぐ見つめられながら名前を呼ばれただけで、心臓がドキッと跳ねた。これはちょっと恥ずかしいかもしれない……!
「あ……あー! もうこんな時間! お風呂に入らなきゃ! じゃあそういうことで。おやすみなさい!」
言い逃げのように部屋に駆け込んだ。しばらく顔の熱が引かなかったのはきっと照れているからに違いないだろう。
約束の土曜日は朝から雲ひとつない空が広がっていた。
清雅さんは今日も五時に起きて一通りのルーティンをこなしてから、私に予定表を見せた。
「十時四十五分発の電車に乗って十一時過ぎに目的地に到着。そこから三十分ほど散策して十一時半にランチ(注釈一)を一時間ほどで済ませて、十三時に上映の映画を鑑賞。十五時ほどにカフェ(注釈二)に入り映画の感想を語り合い、その後二時間ほどショッピング。十八時半に夕食を食べて帰宅は二十時前後のスケジュールで問題ないだろうか」
「完璧なプランだと思うけれど……映画の時間だけ決めておくのかと思ってた」
まさか注釈一と二に、予約なしで入れる周辺のランチとカフェまでまとめられているとは思わなかった。
仕事ができる人だとは思っていたけれど、予想以上にきっちりしすぎでもある。
「あらかじめ決めておいた方が動きやすいかと」
清雅さんは、なにか問題が? と言わんばかりである。
確かに大体の予定を決めておく方がわかりやすい。でも仮にもこれはデート。仕事でも任務ではない。
「では清雅さん。話題の新作映画を調べてくれたのはうれしいけれど、清雅さんはこれが観たいの?」
今をときめく大人気俳優が出演しているファンタジーコメディ映画だ。異世界の王子様が同人誌即売会にトリップして一躍SNSでバズり、何故かアイドルになるという超展開ストーリーである。
清雅さんは知らないかもしれないけれど、これの原作はBL漫画だ。
というか、そもそも清雅さんが漫画を読む姿が想像できない。資料としてなら目を通しそう。
「普段あまり観ないジャンルを観るというのも学びになると思う」
そう大真面目な顔で言ってるけれど、私は不安でしかない。
同人誌即売会なんて行ったことないだろうし知らないよね?
薄い本のカルチャーを訊かれたら、私はなんて答えたらいいのかわからないんですが。集団幻覚です、でごり押しできるかな……。
「清雅さんが観たい映画がないなら無理して観なくていいんじゃないかな? それにデートだからって定番を網羅しなくてもいいし、こうしなきゃいけないっていうルールはないから」
デートの固定観念なんていらない。したいことをしたらいい。
ランチとショッピングして、目的を作らずに歩くだけというのも立派なデートではないか。
「でもせっかく調べてくれたのだから、ランチは清雅さんがおすすめのところに行きたいかな」
スペイン風中華料理なんて想像がつかない。老舗の洋食屋も気になるし、人気のイタリアンもそそられる。
「それなら映画はなしで、気になる店に入ろうか」
よかった。最初のデートでスケジュールが作成されたら、今後も同じように作られそう。それもありがたいけれど、忙しいのにわざわざ負担になることは避けておきたい。
「紫緒。手を」
「え?」
エレベーターに乗ったと同時に手を求められた。これは一体……?
「マンションを出たら俺たちは仲睦まじい新婚夫婦だろう。手を繋ぐくらいは普通なんじゃないか?」
「……っ! そ、そうね。うん、そうかも」
指先が触れ合うとドキッとする。
しかもすぐに指を絡められて落ち着かなくなった。
「この握り方は……」
「恋人繋ぎというやつらしい。恋人や夫婦はこれがルールだと誠に言われた」
藤枝さんの入れ知恵か!
急に積極的すぎじゃない? と思ったけれど、嫌なわけではない。
それに私たちが問題ない夫婦だと見せつけるなら手を繋ぐことも、腕を絡めることも大事だ。
とはいえ、私の心臓がなかなか落ち着いてくれない。
マンションのロビーを歩く清雅さんを見上げる。彼の表情にはほんのり恥じらいが混じっていた。
「なにか?」
「もしかして清雅さんも照れてる?」
「……そう思うならそっとしておいてくれてもいいと思う」
プイッと視線を逸らされてしまった。その表情がまたレアで、思わず私の視線が釘付けになる。
照れているのは私だけではないらしい。
なんだか顔がにやけそうになるので、意識的に気を引き締めることにした。
事前に切符の買い方を調べていた清雅さんに隙はなかった。私が教えてあげようと思っていたのに抜かりはない。
「デートは男がエスコートをするものだろう。女性に恥をかかせたくない」と言っていたので、いろいろ下調べを済ませていたのだろう。
そんな真面目なところも清雅さんらしいけれど、ちょっと肩ひじを張りすぎている気もする。
「わからないことがあっても私は恥をかいたなんて思わないよ。誰にだってはじめてはあるんだし、知っている人に頼るのは普通でしょう。私は夫婦は対等がいいって思っているから、清雅さんに頼られるのは嬉しいよ」
張り切ってくれるところは微笑ましい。
エスコートしてくれるのもありがたいけれど、デートなら気を張らずにふたりの時間を楽しみたい。
繋いでいる手にギュッと力を込める。清雅さんの顔に戸惑いが浮かんだ。
「男がリードするものではないのか」
「私はこだわりはないかな。リードしてもらいたいときもあると思うけど、今はそんなことを考えずに並んで歩きましょう」
特に目的がなくても街を散歩するだけでも十分楽しいはずだ。
隣を歩く清雅さんは少し頬を緩めていた。
「わかった。じゃあ、紫緒。どこに行きたい?」
その声には優しい温度が込められていた。
いつも涼やかで冬の冷たい空気が似合う人が急に春の温かさを感じさせるなんて、ちょっとそのギャップはズルくないですか。
私の身体は単純なので、いちいち心臓が反応しそう。
「清雅さんが予約してくれたレストランが十二時なので、それまでは近くをショッピングして時間を潰して、ご飯を食べた後は……」
ふとプラネタリウムの看板が目に入った。
彼を誘導して、上映されている作品を確認する。
「プラネタリウムのコンサートが最終日ですって。弦楽四重奏ってお面白そう」
上演時間は十三時半から一時間ほど。
お昼を食べた後にプラネタリウムを観ながらクラシックを聴くというのは眠くなりそうだけど、幻想的な中で素敵な音楽というのは最高にリラックスできるだろう。
「あ、でもチケットは売り切れてるかな?」
「確認しよう」
颯爽と窓口で確認する。運よく二枚チケットを入手できた。
「清雅さん、これチケット代」
カードで支払ってもらったので現金で返そうとするが、彼は受け取りを拒否した。
「妻のチケットを夫が払うことは当然なので」
「私から誘ったのに」
「妻の誘いを喜ばない夫はいないんじゃないか」
なんか聞きようによっては卑猥に聞こえませんか?
咄嗟に周囲を見回したけど、幸い誰も聞き耳を立てている様子はなかった。
言葉選びに気を付けてほしいところだけど、この方は天然だと思ってグッと飲み込む。なにも他意は込められていない。
「じゃあ、お昼は私が」
「それも受け入れられない。俺が予約したのだから支払いは俺に任せてほしい」
却下を食らった。割り勘も受け入れてくれないらしい。
「ありがとう。ではお言葉に甘えて……でもせめてカフェ代は私に出させてね」
「……」
「清雅さん、答えたくないときに無言で微笑むのはズルいと思うの」
「さあ、なんのことかな」
放していた手を握られた。はぐらかされたらしい。
それにしても自然と手を握られることに慣れつつあるのが恐ろしいというか恥ずかしいというか。ショーウィンドウに映った私の顔がちょっと赤い。
傍から見たらどう思われるのかな。他人の距離感ではないよね。
恋人同士か夫婦に見えていたらいいけど、あまり意識するとぎこちなくなりそう。
荷物になりそうな買い物は後回しにして、ブティックを覗いてから予約していたレストランへ向かった。
スペイン風の中華料理はモダンな店内で、カジュアルとラグジュアリーな空間の両方が味わえる。一見敷居が高そうに見えるけれど、カウンター席もあってひとりでも入りやすそうだ。
見た目は辛そうだけど刺激は少ない。スペイン料理も混じった創作中華という新しいジャンルはオシャレで味も絶品だった。特にピリ辛な水餃子が味わい深い。
お手頃なコース料理もあるので、女子会にもぴったりだろう。
「清雅さんはオシャレなレストラン情報をたくさん持ってそうね」
「ここは誠がオーナーと顔見知りだそうだ」
藤枝さん、どんな人脈をしているんだろう。
「そろそろ店を出ようか」
時計を確認した清雅さんに促された。プラネタリウムの上映時間に十分間に合いそうだ。
「紫緒、外で歩くときは手を握って」
「あ、はい」
「店の入り口付近に座っている男女は白藤の監視だから」
えっ! 本当に監視がいるの⁉
忘れかけていたけれど、これはただのデートではなかった。私たちが順調に夫婦として歩んでいるのを証明するためのものだった。
そうであれば、もうちょっと親密度を上げた方がいいのではないか。
「じゃあ、腕を借りるね」
恋人繋ぎだけでは芸がない。私も積極性を見せた方がいい。
戸惑う清雅さんの腕に手を添えた。見ようによっては抱き着いているようにも見えそうだ。
「このくらいの密着は自然かなって。ほら、多分シャッターチャンスじゃない?」
隠し撮りをするなら今だ。
もちろん監視に視線を向けないように堂々と歩く。
「……少し、密着しすぎじゃないか? その、俺は構わないが、君が不快なら離れた方が」
「ううん、私は別に。というか清雅さんって着痩せするんだね? 腕が筋肉質。もしかして元運動部とか?」
服の手触りも抜群にいい。どこのブランドだろう。
横断歩道の前で足を止めた。じっと見上げていると、彼の目尻が僅かに赤いことに気づいた。
「あまり俺をからかわないでくれないか」
からかうとは。そんな意図はひとつもない。
「待って、照れてる? 可愛い」
無表情がデフォルトの男が恥じらう顔というのはズルいと思う。今こそシャッターチャンスではないか。記念写真が撮れたら私にも一枚分けてほしい。
「今の言葉こそからかっていると思っていいな?」
表情がスンッと元に戻ってしまった。
残念、もう少し堪能したかった。
「無自覚ってのもズルいよね。さすが天然」
「天然とはどういう意味だ?」
「意味を知ったら養殖になっちゃうかもしれないので黙っておきます」
「紫緒はたまに不可解なことを言う」
信号が青になったと同時に手を握られた。腕に抱き着くのはお気に召さなかったみたいだ。
クラシックの四重奏を聴きながらプラネタリウムの幻想的な空間にいたら、眠気に誘われたらしい。最後の方は意識が落ちていてなにも覚えていない。
近くのカフェにて、コーヒーを飲みながら「気持ちよく寝ていたな」と言われて羞恥心を刺激された。
でもあのリラックス空間の中で寝るなという方が無理では?
「癒し効果がすごかったからつい……ああ、でもせっかくの生演奏がもったいないことをしちゃった」
清雅さんはきっと人前で居眠りなんてしないのだろう。うとうとくらいはしたかもしれないけれど、私には気づかせない気がする。
「音楽が好きなら今度はコンサートを聴きに行こうか」
「ぜひ。清雅さんは普段どんなコンサートを聴きに行くの?」
「年に数回はクラシックとオペラを」
わあ……イメージぴったりだわ。さすがすぎる。
「それって本場の?」
「海外が多いかもしれない」
まさか私も海外のオーケストラを聴きに行こうって誘われてる? 確認するのが少し怖くなってきた。
「それで、まだ家の人たちは見てる?」
きょろきょろしたら怪しまれるので、コーヒーのカップに口をつけながらこっそり尋ねた。挙動不審になってはいけない。
「ああ、俺がわかる範囲では二組かな」
何故そんなに?
隠す気がないのかはわからないけれど、私たちが監視に気づいているって大丈夫なのだろうか。
頼んでいたリコッタチーズのパンケーキが届いた。シャインマスカットが載ったふわふわのパンケーキだ。
なにか夫婦らしいことをするのであれば、これを一緒に食べるっていいアイディアでは。
ナイフでパンケーキを一口サイズに切ってフォークに刺した。それを清雅さんに差し出す。
「はい、あーん」
「……」
彼は目をぱちくりと瞬いては固まっていた。
そんなことをされた経験は一度もないのかもしれない。
「紫緒、これは……」
「一口味見するでしょう? 絶対おいしいと思うの」
清雅さんはコーヒーしか頼んでいない。私だけデザートを食べるというのも気が引ける。
断られるかもと思っていたけれど、彼はパクリ、とフォークに喰らいついた。
「……っ!」
「甘い。でもシャインマスカットが瑞々しくて、クリームとよく合っていておいしい」
照れながらおいしいって言われたら、もうお皿ごと全部あげたくなるんですが?
「あ、うん。よかった……」
不意打ちの微笑は心臓に負荷がかかる。
私はまだ一口も食べていないのに、急に口の中が甘いもので満たされたみたいだ。
平然とコーヒーを飲んでいる姿もなんて絵になる人だろう。彼の周りだけ空気清浄機があったりして。ここだけ酸素が濃いようだ。
「紫緒? 食べないのか?」
「え? いえ、いただきます」
心臓が騒がしくて落ち着かない。自分から仕掛けておいてなんだけど、これは間接キスになるのでは……。
軽率な行動をした自分に反省しながら、無心でパンケーキを食す。おいしいんだけど、緊張しすぎてあまり味わうことはできなかった。
カフェ代は私が払うと言ったのだけど、なんだかんだと丸め込まれて結局清雅さんが全部奢ってくれた。
「家の目があるので」と言われたらお財布を仕舞うしかない。
清雅さんが悪く言われることはしたくないので、今日のデートのお礼はどこか別のところでしようと思う。
「食後の散歩をしようか。どこか見たいお店は?」
「うーん、特に思いつかないかな」
ただ街を歩くだけでも楽しい。
ほしいものは思い浮かばないと告げると、清雅さんは私の手を引いて歩きだす。
「それなら連れて行きたいお店がある」
へえ? どこだろう。
行きつけのブティックでもあるのかな? と思っていたら、彼が連れてきたのは老舗のジュエリー店だった。
「……ここ?」
歴史のある国産のブランド店を選ぶところが清雅さんっぽい。彼なら外国のラグジュアリーブランドも似合うけれど、和を好むイメージがある。
「新しい装飾品を買いに来たの? ネクタイピンとか?」
スーツに合わせやすいオシャレな小物も多い。カフスボタンもありそう。
けれど彼はサッと店内を見回して、指輪の売り場へ歩いて行く。
「婚約指輪も買えていないから、紫緒がほしい指輪がないかと思って。君はどういうものが好きなんだ? ここは真珠のクオリティも高くていいものが揃っている」
「え……え? 私の指輪?」
予想外すぎてびっくりした。
今まで男性とまともにお付き合いをしたことがなかったため、こうしてプレゼントを選びに来たのもはじめてなんですが!
「でももう結婚指輪もいただいているので」
外ではちゃんと薬指に嵌めている。新婚なのに指輪を外していたら、それこそ私も蓮水の本家に呼び出しを食らうかもしれない。
「その指輪は元々紫緒のために用意したものではないので、君にとっては嫌なんじゃないかと」
まあ、結婚式の当日に花嫁チェンジで私が代打になったわけだけど、指輪に罪はない。
それに七菜香と選んだものならまだしも、彼女の指輪のサイズしか知らされていない状況で用意したものだとか。知れば知るほどふたりの関係性は謎である。
「そんなに気にしなくてもいいのに。結婚指輪はサイズがぴったりでラッキーくらいに思っていたけれど。無駄にならなくて経済的だし」
そう言ってフォローしたつもりだったのだけど、なにやら清雅さんの機嫌を損ねてしまったようだ。彼の顔からスン、と表情が消えた。
「経済的と言うが、普通は怒るべきだと思う。君は変なところで素直というか、聞き分けがよすぎないか」
「そんなつもりは……」
「他の女性に買ったものをあてがわれて、雑に扱われていると憤るべきだ。もちろん俺は妻を雑に扱おうなんて思っていないが、君はもっと貪欲でわがままになっていい。私にとびきりの指輪をちょうだいくらい言わせたくなる」
「……っ!」
耳元で囁かれた。
小声で告げられた台詞の圧が強い。
なんだか妙な色気まで感じて耳元がぞわぞわした。
「あ、う……えっと、でもお気持ちだけで充分……」
「どれがいい? 指輪をつける習慣がないならネックレスやペンダントにしようか」
それも高価すぎるんですが!
今は金の価格がものすごく上がっている。数年前の何倍? ってくらい高いので、気軽にねだれるものではない。
「一粒パールのペンダントも素敵だと思う。チェーンの長さが調整できて、使い勝手がいいんじゃないか。シンプルなシャツにも合いそうだ」
「清雅さん? あの、ちょっと待っ……」
いつの間にか店員さんにケースを開けてもらっていた。
今さら婚約指輪を受け取るよりはペンダントの方が気楽だけれど、それでもゼロがひとつ多い……!
「こちらはダイアモンドもついた新作のペンダントです。イエローゴールドのK18とプラチナの二種類がございます。スライドチェーンで長さの調節が可能で……」
笑顔で説明を受けるけれど、私の目は値札に釘付けだった。
あのこれ、税込みで私のお給料が三か月分は余裕で消えるんですが……!
イエローゴールドの方を試着する。ジュエリーの効果で一気に華やかな印象になったが、値段が怖い。
ダイアモンドが入ってるから余計高価なのかもしれないと思いつつ、留め具を外してもらった。
「とっても素敵ですが、ちょっとゴージャスすぎるかなと……もう少し控えめな方が普段使いがしやすいですね」
目に入ったペンダントを選ぶ。
小さめのパールが四つ、花のように並んでダイアモンドがアクセントに入っている。イエローゴールドとホワイトゴールドの二種類があり、価格は二十万弱でお手頃だ。
……ジュエリーって怖い。
高すぎるものを見た後に二十万のものが安く見えるってどういうことなの。十分高価なのですが!
「可憐な印象で可愛らしい」
清雅さんのお気に召したようだ。
ちょっと可愛すぎるかと思ったけれど、イエローよりホワイトゴールドの方が肌馴染みもよくてしっくりきた。シンプルなカットソーに合わせても悪目立ちしない。
「ではこれと先ほどのペンダントを」
え? まさか二本購入する気⁉
「ちょ、ちょっと待って! さっきのもってなんで……」
「とてもよく似合っていたので。普段使いはできなくても、たまに出かけるときに使えばいい」
いやいや、よろしくないですが!
これじゃあ私はただの欲張りな女じゃない!
「無理です、高価すぎて無理ですって」
小声で抗議する。総額百万越えは怖すぎる。
粘りに粘って、私が希望したペンダントだけに絞ってもらえた。顔に表情が出ないけれど、清雅さんは少々不満気ではある。
お店を出た後、彼は私の手を握りながら告げる。
「やっぱり婚約指輪も選びたい」
「勘弁してください」
滞在時間は短かったけれど、私の精神はゴリゴリと削られた気分になった。
「ありがとう」
清雅は藤枝に手渡されたタブレットの中身を確認する。それは仕事の重要な資料より、ある意味もっと大事なものだ。
「まさか清雅様が女性の本音を理解しようとする日が来ようとは……成長されましたね」
涙ぐむような演技を見せた藤枝を無視して、清雅は資料の項目に目を通す。
藤枝が作成したリストには彼が見つけたサイトのリンクを貼り付けられていた。
恋人になる前に結婚をすることになった夫婦が少しでも距離を縮めるために、参考になりそうだと判断したものをまとめたそうだが……、清雅は容赦なく不要なものを削除していく。
「女性に好まれるファッションブランドくらい残しておいてもいいのでは」
「彼女の好みかはわからない」
清雅が藤枝に依頼したのは女性が好むデートスポットとレストラン情報だけだった。紫緒が一般女性に当てはまるかはわからないが。
「頭が固いですね、清雅様は。女性の心を理解しようとする姿勢は好ましいですが、どれも無難すぎますよ。知識は柔軟に幅広く得ておかないと」
一理あるが、頷いたら最後。藤枝は悪ふざけをする癖がある。
「まあ、有効活用するかどうかは清雅様次第ですが。でもいい傾向ではないですか? おふたりの仲が深まるのであればいくらでも手助けしますよ。白藤の監視の目もありますし」
タブレットを弄る手が止まった。
清雅が思っていた以上に、どうやらふたりの関係を気にする人たちは多いようだ。
「お前はどのくらい監視が続くと思うんだ」
「さあ、どうでしょうね。おふたりが仲睦まじい姿をこれでもかって見せつけたら、当主様や蓮水家の人々も安心されるのでは」
厄介なことに一番ふたりを心配しているのは祖父たちらしい。
わがままな老人ふたりがタッグを組んでいると思うだけでげんなりする。
「そういえば週に一度は報告しろと言われているんだったか」
新婚生活が順調かどうかを実家に報告するなんてどうかしていると思うが、逆らうことは難しい。
清雅は最初のうちだけ付き合えばいい、すぐに飽きるはずだと思っている。
「それで報告内容を増やすためにもデートに行くんですね。いい心がけだと思いますよ」
積極的に外に出て、実家を安心させたらいい。順調に愛を育んでいることが証明されたら家の目もなくなるだろう。
「あと蓮水家から送られてきた紫緒様の経歴と、興信所で調べた調書もありますが確認しますか?」
プライバシーの侵害にあたらないかと考えたこともあったが、書類上の妻を知りたいと思うのは当然のことだろう。
「そうだな。なにか彼女にトラブルがあれば対処もしやすくなる」
封筒から写真が数枚落ちた。
床に散らばったそれらを拾い上げて、清雅は動きを止めた。
「おや、可愛らしいですね」
背後から藤枝に覗かれた。
清雅は咄嗟に手の中の写真を隠す。
「なんで隠したんですか。紫緒様の幼少期と学生時代の写真ですよね? 私にも見せてください」
「断る。なんか嫌だ」
「なんか嫌って、そんな雑な断り方をされたのははじめてですよ」
「お前に見せたら紫緒さんが減りそうだ」
「なにを仰っているんですか。減るはずがないでしょう」
それはそうなのだが、物理的な話をしているわけではない。
――写真を見られるのが嫌なのは何故だろう。
同封されていた写真は紫緒の子供時代のもの。七五三のときの写真と、制服姿の写真だった。
藤枝が言った褒め言葉はまさしく清雅が思ったものと同じだ。誰かを可愛いと思ったのははじめてかもしれない。
素敵だと感じたものは共有してもいいのではないか。
普段ならそう思えるのに、今はなんだか気が進まない。
「で、実際どうなんですか? 新婚生活は」
唐突に藤枝から質問された。清雅は写真を手帳に挟む。
「なにも心配するようなことはない。普通に順調だ」
「でもまだ紫緒様は遠慮がありますよね。まあ、遠慮するなと言う方が無理な要求ですが。こればかりは時間をかけて関係を築いていくしかないですかね」
――確かに彼女の口調もまだ硬い。
徐々に敬語をなくすと言っていたが、未だにその片鱗は見えない。清雅に対して遠慮をしているところも多そうだ。
だが、歩み寄りがないわけではない。
「お茶を点てたらアイスクリームを入れられた。予想外で面白かった」
「はい? そんな大胆なことを?」
良家の令嬢ならしないだろう。同じ蓮水でも、本家育ちの七菜香だったら確実にしないはずだ。
「あれはおいしかったな」
思い出しては笑いそうになる。
予想していなかったことをされたら不愉快になるどころか愉快な気分になるなんて、自分でも知らなかった一面だ。
彼女といると予想外なことに遭遇する。戸惑いもあるが、自分の新たな感情に気づかされることも悪くない。
「清雅様が思わず微笑むとは……紫緒様はやり手ですね」
「どういう意味だ」
「おふたりの相性が良さそうで安心しということですよ。次の休みのデートも頑張ってきてください」
――デート……デートか。
女性とのデートに張り切る日がくるとは考えたこともなかった。
契約妻とはいえ、紫緒が清雅の妻に変わりはない。
妻を喜ばせるのは夫の責務だろう。
「まずは紫緒さんをその気にさせる必要があるな」
休みの日はひとりで部屋に引きこもりたいと言われるかもしれない。
もちろん彼女の意思を尊重したい気持ちはあるが、それだと近い未来に白藤家の者が自宅に乗り込んできそうだ。
清雅は藤枝がまとめたサイトを確認し、資料を作成することにした。
◆ ◆ ◆
「紫緒さん、次の週末の予定はなにか入ってる?」
夕食を食べながら、清雅さんに尋ねられた。
「いいえ、特には。あ、家の用事が入りましたか?」
もしかしてはじめて夫婦で出席しなくてはいけない予定でもあるのだろうか。
ドキドキと身構えていたら、清雅さんは否定した。
「なにも予定がなければ、一日出かけないか」
「いいですよ。どこか行きたいところでもありますか?」
ひとりで行きにくいところでもあるのだろうか。
私はわりとソロ活ができる人だけど、名家のお坊ちゃんはひとりで行動をするイメージはないかも。運転手も同行しそう。
「俺が行きたいところではなく、紫緒さんが行きたいところを選んでほしい」
「え? 私が? なんだかそれってデートみたいですね」
なんて笑って言ったら、急に空気がぎこちなくなった。
「一応、その……デートのつもりなんだが」
そっと視線を逸らされた。
表情が変わりにくいため気づかなかったけれど、もしかして照れてるのかもしれない。耳がほんのり赤くなっている。
「あ、ありがとうございます……」
思いがけない提案を受けてお礼を告げた。
はっきりとデートのお誘いと言われると、なんだか緊張感がこみ上げてくる。
「外での交流を増やした方が白藤の皆さんも早く安心できそうですよね」
私たちの関係が問題ないと判断されたら監視も終わるだろう。
私が監視に気づいたことはないけれど、どこかで見られているんだろうな……プロって怖い。
「その目論見ももちろんあるけれど、それだけではないんだが」
「はい?」
もしかしたら単純に私との交流を増やそうとしてくれたのだろうか。
今でも時間が合えば食事を一緒にしているけれど、それだけでは不十分だと思ったのかもしれない。
「では土曜日で構わないか?」
清雅さんに提案されて、こくこくと頷いた。
なんだか胸の奥がむず痒い気持ちになるんだけど、今まで真正面からデートに誘われたことがないからかな。
「では早速プランを確認してほしい。一日で帰って来られる範囲で考えてみたんだが、移動方法は車、新幹線、飛行機の三パターン。車は近場とドライブのプラン、新幹線なら往復三時間以内がいいだろう。飛行機なら日帰りの国内旅行で、思い切って北海道か九州もありかもしれない。それと雨天の場合のプランを一通り作成してみた」
……予想外にガチな資料だと思ってしまった。
プロジェクターで白い壁にプレゼンの資料を投影される。いきなりこの場が会議室に見えてきた。
「忙しいのにこんなにたくさん練ってくれたんですか。すごいですね」
「いい気分転換になった」
それはよかったけれど、私はデートにプロジェクターを用いたプレゼンをされたことがなくて戸惑いの方が強い。
北海道と九州でおいしいもの巡りをするのは非常に惹かれるけれど、飛行機で行くなら日帰りはもったいない。
同じく新幹線で行くなら一泊してゆっくり見て回りたい。
「監視されるのが前提なら、いきなり遠出にはしない方がいいと思いますね。最初のデートなんですから、まずは近場でショッピングとか映画くらいからはじめませんか?」
初デートにアクティブすぎるのも、ついてくる人達が大変だろう。遠出をするときは監視がなくなった後がいい。
「一理あるな。すまない、少し張り切りすぎたようだ」
「いえ、お忙しいのにありがとうございます」
真面目な優等生タイプで少しズレているとは思っていたけれど、もしかしたらこの人はただの天然なのかもしれない。
「せっかく作ったんですから、このプランは一旦保留で。また今度にとっておきましょう。週末のデートは近場をプラプラ歩いてカフェでおいしいコーヒーでも飲みましょうか」
夜カフェもいいよねと思ったけれど、清雅さんは早寝早起きの人なのであまり遅くまでは出歩けないだろう。夕飯前に帰宅がちょうどいいかもしれない。
ふと気になったことを尋ねる。
「つかぬことを伺いますが、清雅さんは電車に乗ったことってありますか?」
そういえばいつも車移動だった気がする。
何気ない質問だったのだけど、彼は一言「もちろん」と答えた後、考えこんでしまった。
「……新幹線も電車だよな」と、自問自答のように言いだしたので待ったをかける。
「普通の電車の話ですよ。徒歩数分の最寄り駅を利用したことは? 交通系のICカードを使ったことは?」
真顔で考えこんでいるのを見て、この人は私が想像していた以上にセレブのお坊ちゃんだと実感した。
いや、確かに公共の乗り物を利用しているイメージはないけれど。でも一度も使わないってありえるの? 都内に住んでいて?
「スマホにICカードのアプリをインストールした記憶はある」
「でも使用した記憶がないんじゃ意味ないですね」
「……」
運転手の送り迎えが当たり前の日常を送っていたのなら、電車に乗る必要はないのだけど。三十年間生きてきて乗らずに過ごせたことがすごい。
ある意味初デートは社会見学みたいなものではないか。
「では、せっかくなので切符を買ってみましょうか。車はなしで移動しましょう。私が案内します」
「……わかった。よろしく頼む」
素直なところは好感度が高い。年上だけど可愛らしい。
自分とは真逆な性格で、二年間の同居生活はシンドイかもと思っていたけれど、少しずつ知らなかった一面に触れていくと新しい発見がある。
真面目で表情筋が硬く無口な美形というだけではなくて、実は天然で世間知らずというのは深く交流しないと気づけなかっただろう。
清雅さんのはじめての経験を一緒に味わえるのは面白いかもしれない。最初のデートは庶民的なところを巡るのもアリかな。
「ところで紫緒さん。今から丁寧語を禁止にするので、君の口調を改めてほしい」
「はい? 何故急に」
「徐々にと言うから待っていたけれど、全然距離が縮まっているようには見えない。一般的に考えて、妻が夫に丁寧語で話すのはおかしいんじゃないか」
清雅さんに一般常識を語られるとはね……と少し思ったことは内緒だ。
「今のままでは俺たちは仕事の関係者に見られそうだ」
「それはそうかも?」
甘い空気は頑張って作れるものではなくても、親しさは見せないと。白藤の監視が延長されるのは避けたい。
「では気を付けま……気を付けるので、清雅さんはそろそろ私のことを名前だけで呼んでもいいかと」
名前の呼び方に距離がない方が、親密度が上がって見えるはずだ。上司と部下の関係性に間違われないためにも呼び名は大事。
そう思って提案すると、清雅さんは数秒考えこんでから口を開いた。
「紫緒」
「……っ!」
真っすぐ見つめられながら名前を呼ばれただけで、心臓がドキッと跳ねた。これはちょっと恥ずかしいかもしれない……!
「あ……あー! もうこんな時間! お風呂に入らなきゃ! じゃあそういうことで。おやすみなさい!」
言い逃げのように部屋に駆け込んだ。しばらく顔の熱が引かなかったのはきっと照れているからに違いないだろう。
約束の土曜日は朝から雲ひとつない空が広がっていた。
清雅さんは今日も五時に起きて一通りのルーティンをこなしてから、私に予定表を見せた。
「十時四十五分発の電車に乗って十一時過ぎに目的地に到着。そこから三十分ほど散策して十一時半にランチ(注釈一)を一時間ほどで済ませて、十三時に上映の映画を鑑賞。十五時ほどにカフェ(注釈二)に入り映画の感想を語り合い、その後二時間ほどショッピング。十八時半に夕食を食べて帰宅は二十時前後のスケジュールで問題ないだろうか」
「完璧なプランだと思うけれど……映画の時間だけ決めておくのかと思ってた」
まさか注釈一と二に、予約なしで入れる周辺のランチとカフェまでまとめられているとは思わなかった。
仕事ができる人だとは思っていたけれど、予想以上にきっちりしすぎでもある。
「あらかじめ決めておいた方が動きやすいかと」
清雅さんは、なにか問題が? と言わんばかりである。
確かに大体の予定を決めておく方がわかりやすい。でも仮にもこれはデート。仕事でも任務ではない。
「では清雅さん。話題の新作映画を調べてくれたのはうれしいけれど、清雅さんはこれが観たいの?」
今をときめく大人気俳優が出演しているファンタジーコメディ映画だ。異世界の王子様が同人誌即売会にトリップして一躍SNSでバズり、何故かアイドルになるという超展開ストーリーである。
清雅さんは知らないかもしれないけれど、これの原作はBL漫画だ。
というか、そもそも清雅さんが漫画を読む姿が想像できない。資料としてなら目を通しそう。
「普段あまり観ないジャンルを観るというのも学びになると思う」
そう大真面目な顔で言ってるけれど、私は不安でしかない。
同人誌即売会なんて行ったことないだろうし知らないよね?
薄い本のカルチャーを訊かれたら、私はなんて答えたらいいのかわからないんですが。集団幻覚です、でごり押しできるかな……。
「清雅さんが観たい映画がないなら無理して観なくていいんじゃないかな? それにデートだからって定番を網羅しなくてもいいし、こうしなきゃいけないっていうルールはないから」
デートの固定観念なんていらない。したいことをしたらいい。
ランチとショッピングして、目的を作らずに歩くだけというのも立派なデートではないか。
「でもせっかく調べてくれたのだから、ランチは清雅さんがおすすめのところに行きたいかな」
スペイン風中華料理なんて想像がつかない。老舗の洋食屋も気になるし、人気のイタリアンもそそられる。
「それなら映画はなしで、気になる店に入ろうか」
よかった。最初のデートでスケジュールが作成されたら、今後も同じように作られそう。それもありがたいけれど、忙しいのにわざわざ負担になることは避けておきたい。
「紫緒。手を」
「え?」
エレベーターに乗ったと同時に手を求められた。これは一体……?
「マンションを出たら俺たちは仲睦まじい新婚夫婦だろう。手を繋ぐくらいは普通なんじゃないか?」
「……っ! そ、そうね。うん、そうかも」
指先が触れ合うとドキッとする。
しかもすぐに指を絡められて落ち着かなくなった。
「この握り方は……」
「恋人繋ぎというやつらしい。恋人や夫婦はこれがルールだと誠に言われた」
藤枝さんの入れ知恵か!
急に積極的すぎじゃない? と思ったけれど、嫌なわけではない。
それに私たちが問題ない夫婦だと見せつけるなら手を繋ぐことも、腕を絡めることも大事だ。
とはいえ、私の心臓がなかなか落ち着いてくれない。
マンションのロビーを歩く清雅さんを見上げる。彼の表情にはほんのり恥じらいが混じっていた。
「なにか?」
「もしかして清雅さんも照れてる?」
「……そう思うならそっとしておいてくれてもいいと思う」
プイッと視線を逸らされてしまった。その表情がまたレアで、思わず私の視線が釘付けになる。
照れているのは私だけではないらしい。
なんだか顔がにやけそうになるので、意識的に気を引き締めることにした。
事前に切符の買い方を調べていた清雅さんに隙はなかった。私が教えてあげようと思っていたのに抜かりはない。
「デートは男がエスコートをするものだろう。女性に恥をかかせたくない」と言っていたので、いろいろ下調べを済ませていたのだろう。
そんな真面目なところも清雅さんらしいけれど、ちょっと肩ひじを張りすぎている気もする。
「わからないことがあっても私は恥をかいたなんて思わないよ。誰にだってはじめてはあるんだし、知っている人に頼るのは普通でしょう。私は夫婦は対等がいいって思っているから、清雅さんに頼られるのは嬉しいよ」
張り切ってくれるところは微笑ましい。
エスコートしてくれるのもありがたいけれど、デートなら気を張らずにふたりの時間を楽しみたい。
繋いでいる手にギュッと力を込める。清雅さんの顔に戸惑いが浮かんだ。
「男がリードするものではないのか」
「私はこだわりはないかな。リードしてもらいたいときもあると思うけど、今はそんなことを考えずに並んで歩きましょう」
特に目的がなくても街を散歩するだけでも十分楽しいはずだ。
隣を歩く清雅さんは少し頬を緩めていた。
「わかった。じゃあ、紫緒。どこに行きたい?」
その声には優しい温度が込められていた。
いつも涼やかで冬の冷たい空気が似合う人が急に春の温かさを感じさせるなんて、ちょっとそのギャップはズルくないですか。
私の身体は単純なので、いちいち心臓が反応しそう。
「清雅さんが予約してくれたレストランが十二時なので、それまでは近くをショッピングして時間を潰して、ご飯を食べた後は……」
ふとプラネタリウムの看板が目に入った。
彼を誘導して、上映されている作品を確認する。
「プラネタリウムのコンサートが最終日ですって。弦楽四重奏ってお面白そう」
上演時間は十三時半から一時間ほど。
お昼を食べた後にプラネタリウムを観ながらクラシックを聴くというのは眠くなりそうだけど、幻想的な中で素敵な音楽というのは最高にリラックスできるだろう。
「あ、でもチケットは売り切れてるかな?」
「確認しよう」
颯爽と窓口で確認する。運よく二枚チケットを入手できた。
「清雅さん、これチケット代」
カードで支払ってもらったので現金で返そうとするが、彼は受け取りを拒否した。
「妻のチケットを夫が払うことは当然なので」
「私から誘ったのに」
「妻の誘いを喜ばない夫はいないんじゃないか」
なんか聞きようによっては卑猥に聞こえませんか?
咄嗟に周囲を見回したけど、幸い誰も聞き耳を立てている様子はなかった。
言葉選びに気を付けてほしいところだけど、この方は天然だと思ってグッと飲み込む。なにも他意は込められていない。
「じゃあ、お昼は私が」
「それも受け入れられない。俺が予約したのだから支払いは俺に任せてほしい」
却下を食らった。割り勘も受け入れてくれないらしい。
「ありがとう。ではお言葉に甘えて……でもせめてカフェ代は私に出させてね」
「……」
「清雅さん、答えたくないときに無言で微笑むのはズルいと思うの」
「さあ、なんのことかな」
放していた手を握られた。はぐらかされたらしい。
それにしても自然と手を握られることに慣れつつあるのが恐ろしいというか恥ずかしいというか。ショーウィンドウに映った私の顔がちょっと赤い。
傍から見たらどう思われるのかな。他人の距離感ではないよね。
恋人同士か夫婦に見えていたらいいけど、あまり意識するとぎこちなくなりそう。
荷物になりそうな買い物は後回しにして、ブティックを覗いてから予約していたレストランへ向かった。
スペイン風の中華料理はモダンな店内で、カジュアルとラグジュアリーな空間の両方が味わえる。一見敷居が高そうに見えるけれど、カウンター席もあってひとりでも入りやすそうだ。
見た目は辛そうだけど刺激は少ない。スペイン料理も混じった創作中華という新しいジャンルはオシャレで味も絶品だった。特にピリ辛な水餃子が味わい深い。
お手頃なコース料理もあるので、女子会にもぴったりだろう。
「清雅さんはオシャレなレストラン情報をたくさん持ってそうね」
「ここは誠がオーナーと顔見知りだそうだ」
藤枝さん、どんな人脈をしているんだろう。
「そろそろ店を出ようか」
時計を確認した清雅さんに促された。プラネタリウムの上映時間に十分間に合いそうだ。
「紫緒、外で歩くときは手を握って」
「あ、はい」
「店の入り口付近に座っている男女は白藤の監視だから」
えっ! 本当に監視がいるの⁉
忘れかけていたけれど、これはただのデートではなかった。私たちが順調に夫婦として歩んでいるのを証明するためのものだった。
そうであれば、もうちょっと親密度を上げた方がいいのではないか。
「じゃあ、腕を借りるね」
恋人繋ぎだけでは芸がない。私も積極性を見せた方がいい。
戸惑う清雅さんの腕に手を添えた。見ようによっては抱き着いているようにも見えそうだ。
「このくらいの密着は自然かなって。ほら、多分シャッターチャンスじゃない?」
隠し撮りをするなら今だ。
もちろん監視に視線を向けないように堂々と歩く。
「……少し、密着しすぎじゃないか? その、俺は構わないが、君が不快なら離れた方が」
「ううん、私は別に。というか清雅さんって着痩せするんだね? 腕が筋肉質。もしかして元運動部とか?」
服の手触りも抜群にいい。どこのブランドだろう。
横断歩道の前で足を止めた。じっと見上げていると、彼の目尻が僅かに赤いことに気づいた。
「あまり俺をからかわないでくれないか」
からかうとは。そんな意図はひとつもない。
「待って、照れてる? 可愛い」
無表情がデフォルトの男が恥じらう顔というのはズルいと思う。今こそシャッターチャンスではないか。記念写真が撮れたら私にも一枚分けてほしい。
「今の言葉こそからかっていると思っていいな?」
表情がスンッと元に戻ってしまった。
残念、もう少し堪能したかった。
「無自覚ってのもズルいよね。さすが天然」
「天然とはどういう意味だ?」
「意味を知ったら養殖になっちゃうかもしれないので黙っておきます」
「紫緒はたまに不可解なことを言う」
信号が青になったと同時に手を握られた。腕に抱き着くのはお気に召さなかったみたいだ。
クラシックの四重奏を聴きながらプラネタリウムの幻想的な空間にいたら、眠気に誘われたらしい。最後の方は意識が落ちていてなにも覚えていない。
近くのカフェにて、コーヒーを飲みながら「気持ちよく寝ていたな」と言われて羞恥心を刺激された。
でもあのリラックス空間の中で寝るなという方が無理では?
「癒し効果がすごかったからつい……ああ、でもせっかくの生演奏がもったいないことをしちゃった」
清雅さんはきっと人前で居眠りなんてしないのだろう。うとうとくらいはしたかもしれないけれど、私には気づかせない気がする。
「音楽が好きなら今度はコンサートを聴きに行こうか」
「ぜひ。清雅さんは普段どんなコンサートを聴きに行くの?」
「年に数回はクラシックとオペラを」
わあ……イメージぴったりだわ。さすがすぎる。
「それって本場の?」
「海外が多いかもしれない」
まさか私も海外のオーケストラを聴きに行こうって誘われてる? 確認するのが少し怖くなってきた。
「それで、まだ家の人たちは見てる?」
きょろきょろしたら怪しまれるので、コーヒーのカップに口をつけながらこっそり尋ねた。挙動不審になってはいけない。
「ああ、俺がわかる範囲では二組かな」
何故そんなに?
隠す気がないのかはわからないけれど、私たちが監視に気づいているって大丈夫なのだろうか。
頼んでいたリコッタチーズのパンケーキが届いた。シャインマスカットが載ったふわふわのパンケーキだ。
なにか夫婦らしいことをするのであれば、これを一緒に食べるっていいアイディアでは。
ナイフでパンケーキを一口サイズに切ってフォークに刺した。それを清雅さんに差し出す。
「はい、あーん」
「……」
彼は目をぱちくりと瞬いては固まっていた。
そんなことをされた経験は一度もないのかもしれない。
「紫緒、これは……」
「一口味見するでしょう? 絶対おいしいと思うの」
清雅さんはコーヒーしか頼んでいない。私だけデザートを食べるというのも気が引ける。
断られるかもと思っていたけれど、彼はパクリ、とフォークに喰らいついた。
「……っ!」
「甘い。でもシャインマスカットが瑞々しくて、クリームとよく合っていておいしい」
照れながらおいしいって言われたら、もうお皿ごと全部あげたくなるんですが?
「あ、うん。よかった……」
不意打ちの微笑は心臓に負荷がかかる。
私はまだ一口も食べていないのに、急に口の中が甘いもので満たされたみたいだ。
平然とコーヒーを飲んでいる姿もなんて絵になる人だろう。彼の周りだけ空気清浄機があったりして。ここだけ酸素が濃いようだ。
「紫緒? 食べないのか?」
「え? いえ、いただきます」
心臓が騒がしくて落ち着かない。自分から仕掛けておいてなんだけど、これは間接キスになるのでは……。
軽率な行動をした自分に反省しながら、無心でパンケーキを食す。おいしいんだけど、緊張しすぎてあまり味わうことはできなかった。
カフェ代は私が払うと言ったのだけど、なんだかんだと丸め込まれて結局清雅さんが全部奢ってくれた。
「家の目があるので」と言われたらお財布を仕舞うしかない。
清雅さんが悪く言われることはしたくないので、今日のデートのお礼はどこか別のところでしようと思う。
「食後の散歩をしようか。どこか見たいお店は?」
「うーん、特に思いつかないかな」
ただ街を歩くだけでも楽しい。
ほしいものは思い浮かばないと告げると、清雅さんは私の手を引いて歩きだす。
「それなら連れて行きたいお店がある」
へえ? どこだろう。
行きつけのブティックでもあるのかな? と思っていたら、彼が連れてきたのは老舗のジュエリー店だった。
「……ここ?」
歴史のある国産のブランド店を選ぶところが清雅さんっぽい。彼なら外国のラグジュアリーブランドも似合うけれど、和を好むイメージがある。
「新しい装飾品を買いに来たの? ネクタイピンとか?」
スーツに合わせやすいオシャレな小物も多い。カフスボタンもありそう。
けれど彼はサッと店内を見回して、指輪の売り場へ歩いて行く。
「婚約指輪も買えていないから、紫緒がほしい指輪がないかと思って。君はどういうものが好きなんだ? ここは真珠のクオリティも高くていいものが揃っている」
「え……え? 私の指輪?」
予想外すぎてびっくりした。
今まで男性とまともにお付き合いをしたことがなかったため、こうしてプレゼントを選びに来たのもはじめてなんですが!
「でももう結婚指輪もいただいているので」
外ではちゃんと薬指に嵌めている。新婚なのに指輪を外していたら、それこそ私も蓮水の本家に呼び出しを食らうかもしれない。
「その指輪は元々紫緒のために用意したものではないので、君にとっては嫌なんじゃないかと」
まあ、結婚式の当日に花嫁チェンジで私が代打になったわけだけど、指輪に罪はない。
それに七菜香と選んだものならまだしも、彼女の指輪のサイズしか知らされていない状況で用意したものだとか。知れば知るほどふたりの関係性は謎である。
「そんなに気にしなくてもいいのに。結婚指輪はサイズがぴったりでラッキーくらいに思っていたけれど。無駄にならなくて経済的だし」
そう言ってフォローしたつもりだったのだけど、なにやら清雅さんの機嫌を損ねてしまったようだ。彼の顔からスン、と表情が消えた。
「経済的と言うが、普通は怒るべきだと思う。君は変なところで素直というか、聞き分けがよすぎないか」
「そんなつもりは……」
「他の女性に買ったものをあてがわれて、雑に扱われていると憤るべきだ。もちろん俺は妻を雑に扱おうなんて思っていないが、君はもっと貪欲でわがままになっていい。私にとびきりの指輪をちょうだいくらい言わせたくなる」
「……っ!」
耳元で囁かれた。
小声で告げられた台詞の圧が強い。
なんだか妙な色気まで感じて耳元がぞわぞわした。
「あ、う……えっと、でもお気持ちだけで充分……」
「どれがいい? 指輪をつける習慣がないならネックレスやペンダントにしようか」
それも高価すぎるんですが!
今は金の価格がものすごく上がっている。数年前の何倍? ってくらい高いので、気軽にねだれるものではない。
「一粒パールのペンダントも素敵だと思う。チェーンの長さが調整できて、使い勝手がいいんじゃないか。シンプルなシャツにも合いそうだ」
「清雅さん? あの、ちょっと待っ……」
いつの間にか店員さんにケースを開けてもらっていた。
今さら婚約指輪を受け取るよりはペンダントの方が気楽だけれど、それでもゼロがひとつ多い……!
「こちらはダイアモンドもついた新作のペンダントです。イエローゴールドのK18とプラチナの二種類がございます。スライドチェーンで長さの調節が可能で……」
笑顔で説明を受けるけれど、私の目は値札に釘付けだった。
あのこれ、税込みで私のお給料が三か月分は余裕で消えるんですが……!
イエローゴールドの方を試着する。ジュエリーの効果で一気に華やかな印象になったが、値段が怖い。
ダイアモンドが入ってるから余計高価なのかもしれないと思いつつ、留め具を外してもらった。
「とっても素敵ですが、ちょっとゴージャスすぎるかなと……もう少し控えめな方が普段使いがしやすいですね」
目に入ったペンダントを選ぶ。
小さめのパールが四つ、花のように並んでダイアモンドがアクセントに入っている。イエローゴールドとホワイトゴールドの二種類があり、価格は二十万弱でお手頃だ。
……ジュエリーって怖い。
高すぎるものを見た後に二十万のものが安く見えるってどういうことなの。十分高価なのですが!
「可憐な印象で可愛らしい」
清雅さんのお気に召したようだ。
ちょっと可愛すぎるかと思ったけれど、イエローよりホワイトゴールドの方が肌馴染みもよくてしっくりきた。シンプルなカットソーに合わせても悪目立ちしない。
「ではこれと先ほどのペンダントを」
え? まさか二本購入する気⁉
「ちょ、ちょっと待って! さっきのもってなんで……」
「とてもよく似合っていたので。普段使いはできなくても、たまに出かけるときに使えばいい」
いやいや、よろしくないですが!
これじゃあ私はただの欲張りな女じゃない!
「無理です、高価すぎて無理ですって」
小声で抗議する。総額百万越えは怖すぎる。
粘りに粘って、私が希望したペンダントだけに絞ってもらえた。顔に表情が出ないけれど、清雅さんは少々不満気ではある。
お店を出た後、彼は私の手を握りながら告げる。
「やっぱり婚約指輪も選びたい」
「勘弁してください」
滞在時間は短かったけれど、私の精神はゴリゴリと削られた気分になった。