Pleasure Treasure(プレジャ、トレジャ)

4、signal(3)


 雨上がりの青空は晴れやかで、菫子は目を細めて見上げた。
「……なんだか泣きそう」
 涼は菫子と同じく空を見上げた。
 自分よりずっと近くに空を感じられる涼が、菫子には羨ましい。
「涼ちゃん……やっぱり送って」
「へ。菫子、帰るん。めっちゃ寂しいなあ」
 しみじみつぶやく様子が、おかしくて笑う。
 明るい気分にさせてくれようとしている。
 どうやら鈍感らしい菫子だが、今の涼の態度は敏感に感じ取った。
「……帰らないわよ。腹立たしいけど涼ちゃんのお望み通りに
 今日は一緒にいるわ……から」
 最後は、かなりの小声になっていた。だがこれが菫子の精いっぱいだ。
「何やって。ちゃんと言ってくれんと聞こえへん」
 涼は性質(たち)が悪い笑みを浮かべた。
 毎度のパターンに見事にはまる菫子であった。
「私が一緒にいたいから!」
「うんうん。素直になったなあ。
 とっとといくで」
 お互いに差し出した手を繋ぐ。
 菫子は大きな手で包まれて安心する。
「……ん」
 バイクに乗り込んで走り出す。
 風に煽られながらも、運転席と後部座席での会話は始まる。
「わざわざ今帰らんでもええやん」
「昨日と同じ服だし着替えたいのよ……だって帰るの夜だし」
「女は大変やな」
「……泊まったりするなんて思わなかったんだもの」
「今夜決めるつもりって言っとけばよかったか」
 涼の爆弾発言に菫子は、涼の背中を拳でたたいた。
「うわー。落ち着け。もう大人やろ」
 菫子はむっとする。
「……理屈で割り切れないことだってあるの」
拗(す)ねたように呟いて、菫子は涼の背中に頭を押しつけた。
 ヘルメットがぶつからないように、緩く寄りかかった。

「ちゃんとそこで待ってて。入ってこないでね」
「了解」
 菫子の部屋にたどり着いてすぐ涼にきつく釘を刺して室内に入った。
 玄関先で待ってもらうのは申し訳ないと思うが、まだ中に入ってほしくなかった。
 約束の日まではと頑なに守っていた。
 涼には、玄関で飲ませるのが申し訳なかったが、ホットココアを渡して、
 菫子は背中を向けた。台所(キッチン)を通り過ぎて扉を閉める。
 ボスン、と玄関に音が響いた。
 菫子は、くすくすと笑ってクローゼットを開けて服を選び始める。
 この部屋を出る時よりも、高揚した気分だ。
 選ぶのが楽しい。
 うきうきと服を取り出し、ベッドの上に広げては仕舞うことを繰り返す。
 そういえば、下着も替えなければとチェストから取り出した。
「よしこれにしよ」
 着ていた服を脱いで、下着を身につける。
 全身が映る鏡の前で確認する。
 部屋が狭く感じるけど、置いてよかったと思う。
 膝丈のチュニックワンピースにデニムのレギンスを履いて、薄手のカーディガンを羽織った。
 最後に鏡の前で確認して、部屋の扉を開けた。
「あっ」
 涼が立ちつくして、こちらを見ていた。
 菫子は急に恥ずかしくなって顔をそむける。
「春っぽくてええな。めっちゃ可愛いで」
 涼から、マグカップを引(ひ)っ手繰(たく)って、踵(きびす)を返す。
 手早く洗い物を片づけて、トートバッグを手に急ぎ足で玄関に戻った。
「……行こ」
 そそくさとショートブーツを履いた菫子は涼をちらりと見上げた。
「菫子」
 首の痛みを堪えながら、踵を浮かせると、涼も背をかがめ、視線を合わせた。
 視線を交わして、照れる菫子を見つめながら、頬に口づけた。
 一秒ほどの刹那のキス。
 目を瞠った瞬間には、涼の唇は離れていた。
「……食べてしまいたいくらいや。苺のパジャマ姿もやばかったけど」
 耳元でささやかれた声に、顔を真っ赤にした。
 それでも、自分から涼の手を繋(つな)いで、部屋を出る。
 マンションを後にして、バイクに乗りこむ。
 風が、強く吹きこんで髪を乱した。

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