Pleasure Treasure(プレジャ、トレジャ)

12、優しい嘘(4)

バッグを手にして、慌てて部屋を出た。
 個人経営の大きな病院。
 タクシーを呼んで病院の名前を告げると、運転手は場所を知っていた。
「急いでください」
 無茶な注文をつけた後で、すみませんと謝る。
 事情を察したのか、近道を通って向かってくれた。
 広い敷地内。
 入口がいくつもあるけど、救急の方から入ってねと
 聞いた通り救急の入口で、タクシーを降りる。
 タクシーの真横には、救急車が止まって赤い光を点滅させていた。
 その光にどきっとして、足早に病院内に駆け込む。
 走ったらいけないと歩みを緩めて、受付で病室の場所を聞いた。
 心臓が、激しく暴れている。
「……菫子さん?」
「え、あの……涼さんのお母さんですか?」
 病室の外の廊下に、電話をくれた人と同じ声の持ち主が佇んでいた。
「はい……来てくれてありがとう」
 首を振る。差し出された手を掴む。
「まだ意識は戻らないのよ……」
 視線を落とした姿に、現実を改めて思い知った。
 同じように俯くしかできない。
 自分のせいで、彼は事故に遭って目を覚まさないままだなんて口にできはしない。
 罪悪感と、どうしようもない不安で引き裂かれそうだ。
「入ってもいいですか……?」
「どうぞ」
 返事を聞くと、恐る恐る扉を開けた。
 ベッドに横たわる姿に悲鳴を上げそうになる。
 顔を見ることができても、嬉しいと思えなかった。
 点滴の管に繋がれ、たくましい肩や胸元に痛々しく包帯が巻かれた姿につ、と胸が苦しくなる。
「涼ちゃ……ん」
 薄く開いた唇は息を紡ぎ、胸元が波打っている。
 規則正しいとはいかないまでも呼吸音は、ちゃんと聞こえる。
 そっと、包帯の上から心臓の音を確かめて、ようやく胸をなでおろした。
「ごめん……ごめんなさい」
 投げだされている手を握りしめる。
 頬に指を沿わせて温もりに触れた。
 早く、声が聞きたい。またふざけた口調で笑わせてほしい。
 涼の手をベッドに戻し、置かれていた椅子に座った。
 あまり動かしてはいけない。
「こんな寝顔は見たくないわ……」
 今日流した涙で一番、悲しい。
 顔を手で覆い、声を殺して泣いた。
 涼の側を離れない菫子を気遣うように毛布を掛けてくれたのは涼の母親だった。
 翌日の大学は休んだ。
 伊織に事情を説明するととても心配してくれ、ノートを取ってくれることを約束してくれた。
 薄情(はくじょう)とも思えたが、次の日から大学に行った。
 涼は、菫子の生活ペースを崩してまで、つきっきりでいることは望まないと思ったのだ。
 バイトの方は行かなかったが。
 そして、涼の誕生日の前日になっても未だに彼は目を覚まさない。
 時折、瞼が震え、目を覚ますのを期待するが、決して開かないのだ。
 医師によれば、もうすぐ意識が戻るだろうとのことだった。
 その言葉を信じたというより、涼の強さを信じた。
 彼は簡単にいなくなったりしないと根拠(こんきょ)もなく思う。
 待つしかできないことが何より辛かった。
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