Pleasure Treasure(プレジャ、トレジャ)

13、声を聞かせて(4)

「菫子ちゃん、この寝顔を見てみなさい」
「はい……み、美耶子(みやこ)さん」
「あら、そう呼んでくれるんやね。嬉しいわあ」
 はにかんだ菫子は、涼の寝顔を見下した。
「名前で呼んでくれた方がうれしいんよ」
 目上の人に対して失礼なのでは
 と戸惑ったが、そう言われて菫子の方こそ、嬉しかった。
 涼と同じ血だからなのか、とても話しやすい人だ。
「鼻で息しているのに、何で口を開けてるんでしょう」
「……わが子ながら面の皮が厚すぎるわ」
「面の皮!?」
「キスしてほしいんちゃう。ほらお姫様は王子様のキスで目覚める言うやんか。
 それをあんたに、強請ってるんや。立場が逆やけど」
 確信に満ちた表情で、頷く姿に菫子は唸(うな)る。
「……それで起きなかったらキスし損」
「大丈夫や。起きる。廊下に出とるから、はよしなさい」
 涼よりもばりばりの関西弁は、凄まじい迫力だった。
 上品そうな婦人の面影は最早(もはや)ない。
 いや品はあるのだが、勢いがものすごいのだ。
「……分かりました。何が何でも起こしてみせます!」
 力強い一言に草壁美耶子(40代半ば)は、満足そうに頷いた。
 ぽん、と菫子の肩を叩き耳元で
「頼んだわ」
 と囁(ささや)き病室を出て行った。
「涼ちゃんのお母さん……強烈ね」
 それしか感想が浮かばない。とてもいい人だというのは分かるのだが。
「……」
 菫子は息をのみ込んだ。
 静かになった病室には眠り続ける涼と自分だけ。
 おくれ毛がこぼれて、首筋に落ちる。
 今日は二つに結えている。
 腰をかがめて涼の方に体を傾ける。
 普段のキスは、背伸びするか背をかがめてもらわなければできなかった。
 今日は、菫子から涼に体勢を合わせている。
 顔を重ね薄く開いた唇に触れ合わせた。
 下唇がやや厚めの涼の唇。
 こんな時なのに何故だか、色っぽさを感じてしまう。
 長いような短いような刹那(せつな)、重ね合っていた唇を離す。
 穏やかな寝息が、聞こえてくるだけだ。
「駄目か……」
 傾けていた体を離す。
 ふう、と諦めのため息をつきかけた菫子は、
 ベッドの縁(ふち)に置いた手のひらが掴まれているのに気づいた。
 じいっと涼の方を見つめる。
 固く閉ざされていた瞼が、ゆっくりと開かれていく。
 大きく見開いたあと、眩しそうに目を細めた。
「すみれの匂いがする」
 菫子は首を傾げる。目ざめの第一声は何とも不明瞭(ふめいりょう)なものだった。
「……もしかしてこれかしら」
 ポケットからポプリを取り出して、涼に見せると、緩く横に首を振った。
「ちゃう……」
 ぐいと、引き寄せられる。
 さっきまで眠っていたとは思えない強い力だった。
 息も触れ合う距離で見つめ合う形になった菫子は顔を赤らめた。
 頭が撫でられている。
 優しい笑みを浮かべて、髪を梳かれた。
「菫子……お前や」
「……ん」
 素早く唇が重なる。
 柔らかく啄(ついば)んで離れた唇に、どくんと心臓が鳴った。
「涼ちゃん……ごめん」
「何で謝るんや」
「私が急かしたから、事故になんて遭っちゃったんじゃない……だから、ごめんなさい」
 椅子に座った菫子は、伸びてきた手を掴んだ。
「菫子のせいやない。自分の不注意や……」
「俺こそ心配かけてごめんな」
 涼は、真っ直ぐに菫子を見つめている。
 涙が滲んで来て、顔を覆う。
「三日も目を覚まさなかったのよ。
 涼ちゃんは戻ってくるって信じてたけど、それでも怖かった」
 ぽたぽた、膝に落ちる涙が熱い。
「菫子が目を覚まさせてくれたんやろ」
 かあっと顔が熱くなる。涼は、口の端を吊り上げた。
 どんな表情さえ、見ていると泣けてくる。
 不安を掻きたてられる寝顔だけは、もう勘弁(かんべん)だけれど。


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