夜探偵事務所

仁は健太の手を引いて、護摩堂の中へと滑り込んだ。背後で重々しい扉が閉まり、外の世界の気配が完全に遮断される。堂の中は、焚かれた護摩の清浄な香りと、壁や柱に貼られた無数の御札が放つ、張り詰めた霊気で満たされていた。
「ここまでは、作戦通りやな」
仁は、荒い息を整えながら言った。
「健太さん、大丈夫ですか?」
先に中で待機していた璃夏が、青い顔をした健太に駆け寄る。
「あぁ、問題ない」
仁が、健太の代わりに答えた。その言葉とは裏腹に、健太の心は恐怖で支配されていた。
「夜さんは……あの女に、勝てるのでしょうか?」
震える声で、健太は一番の懸念を口にした。仁は、その問いに、一瞬だけ悲しげな目をすると、静かに、そして残酷な事実を告げた。
「……勝つのは、無理やろうな」
その言葉に、璃夏は息を呑み、両手で口を覆った。
「えっ!?じゃあ、何故あの女と夜さんを二人っきりにしたんですか!」
健太は、パニックに陥り、仁の狩衣の胸倉を掴んだ。
「落ち着け、健太君」
仁は、健太の行動を咎めることなく、静かにその手を諭すように外させた。
「夜は、あの女には勝てん。だが……あの女も、今の夜には勝てん」
「え?じゃあ、勝負がつかないってことですか?」
意味が分からず、健太は問い返す。
「夜が、意地を張ってる間はな……」
仁の言葉には、諦めと、娘に対するもどかしさが滲んでいた。
「意地って……どういうことですか?」
「健太君、君は見とらんのか?事務所で。夜の後ろに、ずっとおったアイツの姿を」
「あ!」
健太の脳裏に、あの光景が鮮明に蘇る。山本夜の背後に、影のように佇んでいた、巨大な鎌を持つ、黒いフードの存在。
「あ、アレは……一体、何なんですか?」
仁は、まるで古い友人の名を呼ぶかのように、あるいは、決して口にしてはならない禁忌を語るかのように、静かに、そして重々しく、その名を告げた。
「アイツの名前は――日(あきら)…」
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