夜探偵事務所
深妙寺・護摩堂
本堂から響く衝撃音は未だ止むことがない。その音を聞きながら仁はまるで遠い昔を懐かしむかのように静かに語り始めた。
「夜が初めて深淵の者と戦ったのはあの子が15の時やった……。いやその話をする前にまずはあの子の子供の頃の話をせにゃならんな」
【回想】
夜が小学校二年生になった頃やったか。ある日あの子がワシにこう言ってきたんや。
「お父さん。最近私の後ろに何かがずっと引っ付いてるのに気づいてるやろ?」
ワシはドキリとした。まさかあの子自身も気づいとったとは。
「え?あぁ……まぁ気付いてはいたけど。なんでワシが気づいてるって分かったんや?」
すると夜は無邪気にキャッキャッと笑って言った。
「お父さんの脳みそがそう思ってるのが見えたから」
「はぁ?」
ワシには娘の言っていることがすぐには理解できんかった。
夜には人の思考や感情が映像や感覚として見えてしまう能力があった。だからワシが「黒い影」の存在に気づいていることもお見通しやったんや。
そして夜はこう続けたんや。
「この子、日(あきら)って名前やねんて」
ワシは言葉を失った。夜(よる)がおるから日(ひ)がおる。光と影。生と死。そのあまりにも出来過ぎた符合に背筋が凍る思いやった。この子は全てを分かった上でその存在を受け入れとる。ワシが思っているよりもずっと早くから……。
その力は夜を深く孤独にした。
中には夜のことを怖くないと言って仲良くなろうとしてくれる心優しい子らもおった。だが夜には分かってしまうんや。その優しさの奥底にどうしても消しきれないほんのわずかな恐怖心があることを。嘘をついていることが見えてしまう。
まだ幼い子供らにしてみれば得体の知れない力を持つ同級生に対し恐怖心を完全に消すなんてことできるわけもない。
だがその「嘘」が見えてしまう夜は自分から人を遠ざけ自ら孤立する道を選んだ。そうしてあの子はたった一人で孤独と戦いながら成長していったんや。
そして夜が15歳になった年あの事件が起きた。
深妙寺・護摩堂
「事件……?」
健太がゴクリと喉を鳴らした。
「そうや」
仁は辛い記憶を思い出すように一度目を伏せた。
「近所の山の頂上でな数人の子供らが古い祠(ほこら)にイタズラをしたのがきっかけやった。その祠に封じられとった深淵の者が目覚めてしもうてな。子供らが危険にさらされたんや」
「……!」
璃夏が息を呑んでそっと口を手で覆った。
「だが人の考えが分かる夜はその危険を誰よりも早く察知しとった。あの子はワシにも誰にも何も言わんと一人で山へ向かい自分が囮(おとり)になってその子供らを全員逃がしたんや」
「ワシがそのことを知ったのは泣きながら下山してきた子供らが麓の大人たちに保護されてからのことやった。いてもたってもいられんくてな。ワシはすぐにその山を登った」
「頂上に着いた時には……もう深淵の者の気配はなかった。そこにはただ血まみれで倒れとる夜だけがおった」
「流石にあの時はもうダメかと思うたよ。ズタボロの姿やった。それから三日間あの子は生死の境をさまよった」
「……人間っていうのは身勝手な生きもんや。命を救われたはずの子供らやその親たちは夜のことを『化け物を呼び出した元凶』『化-け物退治をしたもっと恐ろしい化け物』とそう呼んで恐れ石を投げた。その日から夜の心の鎧はもう誰にも壊せないくらい分厚く頑丈になってしもうたんや」
健太は言葉を失った。あまりにも理不尽で悲しい話だった。
「それで……その時の深淵の者は……?」
仁は真っ直ぐに健太の目を見てそして全ての謎を解き明かす最後の真実を告げた。
「結果から言えば夜……いや」
仁はそこで一度言葉を切りはっきりと訂正した。
「――日(あきら)が倒した」
璃夏はその言葉の意味を悟りただ黙って涙を拭った。